冤罪を創る人々vol.82
- 2005.10.04
- メールマガジン
2005年10月04日 第82号 発行部数:416部
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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-
日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ) 昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
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●(第八章)展望
「(1) 認知会計の発見」より続く
http://consul.mz-style.com/item/402
(2) 心のルーツへの旅
一、 二十年程前のことであろうか、私が40才前半の頃である。
東京で一人の僧侶と出会った。剃髪染衣のその人は、私より幾分
年長で、慶応大学出身であった。
私達は、一夕、卓を囲み、盃を傾けて親しく語り合った。尋常で
はない輝きを湛えた双眸は、私を柔らかくつつみ込み、全身から発
せられるオーラは、私の肌を粟立たせ、頭髪を逆立させた。
二、 僧侶は一つの書籍を私に勧めて去っていった。文字通りの一期
一会であり、その後再び会うことはなかった。
一週間後、松江の自宅に2つのダンボール箱が届いた。僧侶の指
示によって版元が送達したものである。
中には、「先代旧事本紀大成経」72巻が入っていた。宮東斎臣
氏の解説になるもので、活版印刷ではなく、原稿をそのままコピー
して製本したものであった。
私はまず量の多さに仰天し、ついで手作りの書籍であることに二
度仰天した。110万円という価額を了解して購入しており、ある
程度の量は想定していたが、まさかこれほどとは思っていなかった
のである。
三、 私は早速解読にとりかかった。祈りを使命としていた人物が、
全身全霊を傾けて勧めてくれた本である。何が記されているのか、
どうしても知りたくなった。
全体の解説を読み、序の巻から読み始めたところ、当時の私には
全く歯の立たない難解なものと分かり、序の巻の中途で解読を断念
せざるを得なくなった。
それから十年程この書物は、私にとって、猫に小判の存在として、
部屋の片隅にうず高く積み上げられ放置されていた。
四、 平成8年1月に逮捕され、291日間の勾留生活を送るなかで、
万葉集をはじめ日本の古代の主な文献に親しく接したことはすでに
述べた。
その時、古事記、日本書紀、懐風藻、風土記、日本霊異記等を全
て原文でじっくり読み込んだおかげで、一人の僧侶からのメッセー
ジとも言うべき、「先代旧事本紀大成経」72巻本がさほど抵抗な
く読めるようになった。
猫に小判であった「先代旧事本紀大成経」が、いわば鰹節になっ
たのである。
二ヶ月程かけて主要な巻を読み了え、一つの結論に達した。
旧事本紀72巻本は、巷間言われるように、偽書として直ちに排
斥されるべきものではなく、成立年代はさておき、一定の価値を持っ
た歴史的な書物であるということである。
たしかに、平安時代以降に書き加えられたと思われる部分が数多
くあり、聖徳太子の作とするには無理があるようだ。しかし、記紀
にない所伝が多々存在することもまた確かであり、更に日本神道の
一つの立場が詳しく説かれており、捨てがたいのである。
五、 その後私は、白河家三十巻本旧事紀に進んだ。三重貞亮氏の訓
解になるもので、松下松平氏の解題が付されているものだ。朴炳植
先生から寄贈されたものである。
更に、最近になって、先代旧事本紀十巻本が、大野七三氏によっ
て校訂編集され、訓註本として刊行された。
最近の私は、この十巻本が先代旧事本紀のコアの部分ではないか
と思うに至っている。
六、 旧事本紀が私に示唆するものは何か。20年前に発せられた、
祈りの人からのメッセージは何であったのか。
記紀で捨象もしくは改竄されたと思われる饒速日尊(ニギハヤヒ
ノミコト)が、わが出雲族と重要なかかわりを持っているのではな
いか。
出雲国風土記に多くの足跡を残し、今なお出雲地方を中心に、全
国各地で伝承されている出雲族と出雲の神々を解明する手がかりに
なるのではないか。
出雲族とその神々は私の心のルーツであり、その一端が旧事本紀
の行間から垣間見えてくるのではないか。歴史の彼方に消し去られ
た古代出雲の人達の声なき声が聴こえてくるのではないか。あるい
はまた、出雲の神々の姿が、斬新な形で現われてくるのではないか。
わが心のルーツヘの旅が、新たに始まった。62才からの出発で
ある。
(完)
※2004年3月より「冤罪を創る人々」を公開してきましたが、
今回で終了させていただきます。長い間ご愛顧いただきまして、
誠にありがとうございました。
なお、次週より「引かれ者の小唄 ― 勾留の日々とその後」をお届けいたします。
内容的には「冤罪を創る人々 (第五章)勾留の日々」の続きといった位置付けと
なります。よろしくお願い申し上げます。
「引かれ者の小唄」 ― 勾留の日々とその後
http://consul.mz-style.com/catid/41
冤罪を創る人々 (第五章)勾留の日々
http://consul.mz-style.com/subcatid/9
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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
http://consul.mz-style.com/catid/21
「江戸時代の会計士 -7」より続く
http://consul.mz-style.com/item/403
・ 江戸時代の会計士 -8
次いで、領民たちとの対話に移ります。
日時を取り決めて、百姓、町人の主だった者達をお城の大広間に
召集。同時に、老中、諸役人にも同席を要請。
領民たちを前にして恩田木工は、この会合が藩からの一方的な申
し渡しの場ではなく、領民の意見に耳を傾ける場であり、その趣旨
は対話にあることをまずもって強調します。
「自分の働きにてこの役儀相勤まる事にこれなき故、今日皆の者ども
と得(とく)と相談致す儀これあり、呼び寄せ候間、先ず手前が申
す儀を一通り聞て、その上にて皆々の存寄(ぞんじより。思うとこ
ろ。意見)を申すべく候。」
(勘略奉行の大役は私一人でできるものではない。よって、今日皆の
者とじっくりと相談したいことがあってここに呼び寄せた次第。ま
ず私が話すことを一通り聞いて、その上で皆の者の思うところを申
し出て欲しい。)
つまり、恩田木工は、危機に瀕している藩の財政を建て直すため
に、まず具体的な提案を一つ一つ提示し、それに対する領民の素直
な考えを聴こうというのです。
実際に具体的な方針を7つ、領民に提案し、それらに対する意見
を聴き、同意または不同意を問いかけています。
第一の提案は、領民に対して約束したことはキチンと守る、従来
のような朝令暮改のやり方は断固として廃するということでした。
“先づ手前儀、第一、向後(きょうご)虚言(うそ)を一切言はざる
つもり故、申したる儀再び変替(へんがえ)致さず候間、この段兼
(かね)て堅く左様心得居り申すべく候。”
(まず私は第一に、今後ウソは一切言わないつもりであるから、ひと
たび口にしたことは決して変更しないので、この点、皆にはしっか
りと心に留めておいてもらいたい。)
ウソはいわない、約束は守るというのですから、領民としては願っ
たりかなったりです。
“只今までも御役人様の嘘(うそ)を仰せられ、御だまし候には難儀
(なんぎ)仕り候処(ところ)、向後仰せられ候儀を再び変改(へ
んがえ)遊ばされずとの御事、千万有難く存じ奉り候。諸人大慶
(たいけい)この上なく御座候。”
(従来、お役人様方がウソをおつきになり、私共をだましてこられた
ことにつきましては悩み苦しんできたところでございますが、今後
はお約束なさったことを再び変更なさらないとのこと、誠にありが
たく存じます。私ども一同、この上ない喜びでございます。)
公約を守るということに加えて、木工は、
“さて又、向後は手前と皆の者どもと肌を合わせて、万事相談してく
れざれば勘略も出来申さず、手前の働きばかりにては勤まらず候間、
何事も心やすく、手前と相談づくにしてくれよ。”
(さて又、今後は私と皆の者どもと肌を合わせていきたい。何ごとも
相談してくれないことには倹約も出来ないし、私一人の力では大役
を全うすることができないので、何ごとも気易く私と相談づくにし
て欲しい。)
と、申し向けます。今後はどんなことでもいいから、自分に直接、
気軽に相談を持ちかけてくれ、と言っているんですね。
この木工の言葉は、明治維新を遡ること実に100年以上も前の
江戸中期のものですから驚いてしまいます。決して上からの強権的、
一方的なものではなく、また“由(よ)らしむべし、知らしむべか
らず”といった閉鎖的、密室的なものでもありません。オープンな
形で問題を提起し、官民一体となってことにあたろうとしているの
です。
慶応4年3月14日、天皇(後の明治天皇)が、京都御所の紫宸
殿(ししんでん)で、神々に誓って「五箇条の誓文」を読み上げま
す。
その冒頭に唱われた国家としての基本方針は、
“広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スベシ”
というものでした。維新政治の根本理念を高らかに宣言したもので
す。
恩田木工は、松代藩という一小藩の中ではあるものの、また変則
的な形ではあるものの、まさに“万機公論に決すべし”を実行しよ
うとしたのでした。
―― ―― ―― ―― ――
ここで一句。
“うまくウソをついているなあ大人たち” -小牧、比呂風。
(毎日新聞:平成17年5月31日号より)
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