冤罪を創る人々vol.81

2005年09月27日 第81号 発行部数:416部

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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-

日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
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●(第八章)展望

「一.安全弁の構築と点検」より続く
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二.公認会計士からの脱却

(1) 認知会計の発見

一、 私は前科者の烙印を押されたため、執行猶予期間の3年が過ぎ
るまでは、公認会計士の再登録ができない。これは再三述べたとこ
ろである。
この3年の間をいかにして過ごすか、考えを廻らせた。徒過する
には私は余りに貧乏性だ。何かをしなければならない。

二、 本稿の執筆が終りにさしかかった頃、突然一つの考えがひらめ
いた。
公認会計士のことをCPA、サーティファイド・パブリック・ア
カウンタントというが、現在の私は、サーティファイドが外れたパ
ブリック・アカウンタントである。公認会計士ではなくなったもの
の、依然として会計士であることに変りはない。
パブリック・アカウンタントとして何をなすべきか考え続けてい
くうちに、一つのアイデアが浮んできたのである。

三、 この10年間、私は経済的にも、精神的にも破綻することなく
なんとか乗り切ることができた。
経済的に特別に豊かであった訳でもなければ、精神的にも私に特
別なものが備わっていた訳でもなかった。ごく普通の人間でしかな
い私が、ある意味で苦難の10年をクリアできた理由について思い
をめぐらせた。その結果、次のように考えるに至った。

その時々の状況を把握しながら、流れにゆだねたのがよかったの
ではないか。逆説的に言えば、がむしゃらな努力をしなかったこと
がよかったのではないか。状況の変化に応じて、臨機応変に私自身
を順応させていったことがよかったのではないか。これはまさに認
知療法の基本ではないか。

私は、昨今うつ病の治療と予防に著効があるとして注目されてい
る認知療法を、無意識のうちに自ら実践しているのに気がついた。
しかも私の場合、通常の認知療法のワクを超えて、経済の領域に
までふみ込んでいた。精神面だけでなく、経済面でも認知療法の手
法を用いていたことに気がついたのである。

四、 30年以上も会計士稼業を続けるうちに、私は数多くの会社の
経営分析をし、企業診断を行なってきた。その都度、何か空しいも
のを感じていたというのが偽らざるところである。
考えてみると、世にいう経営分析とか企業診断というのは、主に、
融資をする金融機関のためであったり、あるいは、投資をする投資
家のために考えられたものであって、実際の企業経営には一つの参
考にはなるであろうが、さほど有益なものではない。
結果的に過去の良否をあげつらうだけで、小田原評定の域を出る
ものではない。経営分析の諸指標は、融資とか投資の際の指標とし
ては有効でありえても、必ずしも実際の企業経営に役立つものでは
ない。企業経営にあって大切なのは、現時点であり、これからのこ
とである。従来の財務諸表分析は、企業の過ぎ去った姿の一側面を
評価するにすぎないもので、日本の企業の大半を占める中小企業経
営者にはさほど有用なものではないはずである。
疑問を感じながらも、惰性に流されて今日に至った。他にかわる
方法を思いつくことができなかったからである。

五、 この10年、山根会計事務所は常に明日の見込を明確に立てる
ことができない状態であった。事態がどのように展開するのか、予
測できなかったからだ。とりわけ私が逮捕され刑事被告人となって
からは、事務所がいつ崩壊しても不思議ではなかったからである。
私には過去のデータは一切関係ないものとして考えるほかなく、
信頼できる確かなものは、現在のデータのみであった。
現在のデータは日一日と更新され、その延長として将来があると
いう図式であった。私は、それに従って現状の把握を行い、将来を
見すえることを余儀なくされた。
換言すれば、ストックを単にストックとして常に把握していく手
法であり、通常の企業会計のようにフローの結果としてストックを
把握する手法ではなかった。
私は常にプラスの財産のみならず、マイナスの財産についても、
ストックを表面化するために棚卸しを行なった。棚卸しは、計数的
に測定可能なものにとどまらず、それ以外にも拡大し、私の内面に
も及んだ。
いわば、心の棚卸しをもしていたのである。この心の棚卸しこそ、
認知療法の基本であり、出発点であることに気がついたのは最近で
ある。
常に自らを客観的に見つめる、しかも単に頭で考えているだけで
なく、紙の上に書き出す(棚卸し)ことによって、事務所を含めた
私が潰れることなく無事に過ごすことができたと信ずるに至ったの
である。
私は、個人をとりまく全ての情報を書き出して棚卸し、それを分
析の出発点とする手法を「認知会計」=コグニッティヴ・アカウン
ティングと名付けた。
この手法は、決して難しいものではない。私以外の誰でも応用で
きるものである。
認知会計をどのようにシステムとして構築していくか、私の楽し
みの思索が始まっている。

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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
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「江戸時代の会計士 -6」より続く
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・ 江戸時代の会計士 -7

恩田木工は、妻子をはじめとする身内の結束を固めたうえで、い
よいよ藩の財政改革に着手します。
木工は、自らの改革案を藩の役人達と百姓町人達に呈示して、そ
れぞれ心から納得させていきます。藩財政の建直しという一つの目
標に向かって、上下の心を一つにまとめあげていく手法は見事とい
うほかありません。
決して自らの提案を一方的に強引に押しつけるのではなく、十分
に考える時間を与えた上で、納得ずくで、木工の提案を領民達の自
発的な提案という形に転換させているのです。方法論としては、妻
子たちに用いた手法と同一のものです。
恩田木工は、さしずめ、オーケストラをまとめあげ、自分の思い
通りの曲想を創り上げていく名指揮者といったところでしょう。

「日暮硯」が描く恩田木工の改革の骨子は、次の通りです。
まず、老中はじめ藩の役人たちに対して次のような約束をいたし
ます。

(1)
「さて又いかに勘略を致せばとて、只今までの通り、旦那の召し上ら
れ候ものは勿論、その外御前(ごぜん)向き御入用の節は、一向に
勘略は相成り申すまじくと存じ候。拾万石相応に致さず候では相済
まざる事と存じ奉り候。外の儀につき、万事費(ついえ)なる儀は
勘略致すべき候事に御座候へば、万事御前向きは古来の通り致すべ
く候間、左様に相心得なさるべく候。」
(さて又どのように倹約するといっても、殿様が召し上がる食事はも
ちろんのこと、殿様関連の諸費用は決して倹約の対象にしてはいけ
ないと考えます。10万石にふさわしい体面を保つことが必要だか
らです。他のことについては、なにかにつけて倹約を旨とするつも
りであり、殿様関連の諸費用は従来通りといたしたいと存じますの
で、そのようにお考えいただきたい。)

つまり、勘略(倹約すること)といっても、殿様に関する経費に
は一切手をつけない、松代藩10万石の体面を保つのに必要なもの
は財政改革の対象外である、と明言します。

(2)
「各方(おのおのがた)を始め下々(しもじも)まで、只今までは歩
引(ぶびき。封禄を削減すること)これあり候へども、手前御役の
間は歩引申さず、本高(ほんだか。本来の封禄の額)の通り月々きっ
と相渡し申すべて候。左様御心得なさるべく候。」
(皆様をはじめ、下役の者までも従来俸給を一部カットして支給して
いましたが、私が勘略奉行を勤めます間はカットをすることなく本
来の給料を月々キチンと支給いたします。そのようにお考え下さい。)

つまり、今までは給料のカットをしてきたが、今後はカットをと
りやめ、元通りに月々キチンと支払うことを約束します。

但し、

(3)
「その代わりには御奉公に少しも麁略(そりゃく)これあり候へば、
拙者が免(ゆる)し申さず候。きっと曲事(くせごと。処罰。処分。)
申しつくべく候。各(おのおの)、下役(したやく)、支配の下々
まで、この段申し渡さるべく候。」
(その代わり、皆様の仕事ぶりに疎かなことがないように願いたい。
仮に、そのようなことがあった場合には、私が許さない。断固とし
て処罰の対象といたします。この旨皆様に申し上げますし、下役、
支配下の末端まで皆様からお話になって下さい。)

つまり、給料はカットなどせずに、キチンと支給するかわりに、
キチンとした仕事をして下さい、仕事がおろそかであったり、藩士
として悖(もと)ることをした場合には厳罰に処すと言っています。

(4)
「右の通り御奉公向き大切に相勤め候上にては、余分これある様に致
す事ならば、如何様(いかよう)の事にても苦しからず候。人々相
応の楽しみこれ無く候ては、平生きっとばかりは勤まり申さず候間、
随分楽しみも分相応には致さるべく候。その外勘略の儀は、急には
致し方も御座なく候間、先づ只今までの通りに致さるべく候。」
(右の通り、公務を大切にしてお勤めなさったうえは、お金に余裕が
できるのであればどのようになさっても結構です。皆様もそれなり
の息抜きとか楽しみがないようでは、ふだんの公務に精励できない
でしょうから、楽しみもそれ相応にご自由になさって下さい。その
他、倹約といっても急にはできないでしょうから、まず従来通りな
さって下さい。)

つまり、キチンとした勤めをするならば、今までの生活をとくに
切り詰めたりする必要もないし、お金が余れば楽しみごとも普通に
やっても構わないというのですから、この段階では、他の家老達を
はじめ役人達もむしろホッとしたのではないでしょうか。
しかし、「御奉公向き大切に相勤め候上にては」という恩田木工
の言葉の真意が後日明らかになると、一同あまりのことに真っ青に
なってしまいます。

―― ―― ―― ―― ――

ここで一句。

“みえみえのウソを強弁副総裁” -大阪、寅年生まれ。
(毎日新聞:平成17年8月21日号より)

(前道路公団内田道雄副総裁。行政のトップの総理大臣が平気でゴマ
カシを連発するのですから、右にならえ。)

 

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