120 無謬神話の崩壊
- 2005.09.06
- 冤罪を創る人々
***ニ.無謬神話の崩壊
一、 マルサと検察官については、その職務の執行は厳正になされ不正行為などあるはずがないという信仰に近いものが国民の中にあった。無謬神話と言ってもいいものだ。私も、このたびの体験をするまでは、当然のこととして疑問さえ抱いたことがなかった。
二、 仕事がら私は税務調査の現場で税務職員と接する機会が多かった。税務署から国税局に至るまで様々な人達との出会いがあった。出会った人数は延べ千人近くになるであろう。
納税者に厳しく応対しながらも、法に定められた節度を保ち、すぐれた調査能力を発揮する数多くの人達がいた。まさに税務調査のプロである。情報力と調査能力に関して、世界のトップレベルにあると評される日本の国税当局を支えているのは、調査のプロフェッショナルというべきこの人達である。私も監査のプロとして心からの敬意を表し、自然に頭が下がったものである。
三、 調査立会を通して、この人達から数多くのことを教わった。中でも国税局の資料調査課の人達からは、優れた調査技法を教わった。
私は、ミニマルサと称される料調(資料調査課)の調査立会はこれまでに7回経験している。東京国税局で2回、関東信越国税局で1回、大阪国税局で2回、広島国税局で2回の合計7回である。その全てが、従来の関与税理士が自らに責任がふりかかるのを恐れて逃げ出したケースであった。
料調の立会の中でも忘れることができないのは、二十年以上前に経験した大阪国税局に関するものである。
私の眼の前で展開された調査技法と見事な処理能力に驚いたことを今更ながら思い出す。この時も担当官と相当激しくやりあったのであるが、調査が終了した後も担当官との交流が続いており、お互いに年賀状だけは欠かさない。
四、 一方で、調査権限を振りまわして納税者を威圧し、税務調査の名のもとに理不尽な言動を繰り返し、納税者に不安と不快感を与え不当な納税を強いる人達も少なからず存在した。
この人達は概ね、税法をはじめとする法律の理解が皮相的かつ独断的であり、企業会計に対する理解も驚くほどおそまつなものであった。能力の欠如を、国家権力で補おうとでもするかのように、強引に納税者をねじふせようとする税務職員もまた数多くいたのである。
五、 国税局の料調も例外ではなかった。十数年前に立会をした関東信越国税局の資料調査課による調査は随分荒っぽいものであった。私が関与するまでに、数十人が押しかけてきて問答無用とばかりに、任意調査ではとうてい許されない取調べを行っていた。経理担当者の一人が、過労と心痛の余り、心臓発作を起して死亡したほどであった。
調査の中途から立会に関与した私は、東京九段下にある同国税局の担当国税統括官に面会を求め、違法調査に対して厳重抗議を行った。
死亡した経理担当者の白黒の写真を引き伸ばして額に入れ、黒リボンをかけて、経理責任者に持たせ、料調の部屋へ入り、担当統括官に面会したのである。
統括官は黒リボンの額を眼にするや、顔がひきつり、一言も発せずに、私達二人を料調の部屋から連れ出し地下の部屋へと導いた。
そこは、畳敷きの広い部屋で、いくつか木の座卓が置かれていた。
統括官は、経理責任者と私とを座卓に向って座らせ、私達を睨みつけた。マントヒヒのオスが敵を威嚇するように、顔を赤黒くさせ、顔のあちこちにタテヨコのシワをつくりあげて睨みつけた顔は、大見得を切る歌舞伎役者さながらの迫力であった。
次いで罵声が私達三人以外誰もいない地下の大広間に響き渡った。統括官は座卓に置かれていたアルミの灰皿を鷲掴みし、力一杯座卓に叩きつけた。バンバン叩きつけられた灰皿は本来の用をなさないほど変形してしまった。あの地下の大広間は今でも納税者と税理士を脅しあげる場所として使われているのであろうか。
六、 私はこのような虎の威を借りて威嚇し納税者をいじめる税務職員に出会うと、猛然とファイトが湧いてきたものだ。
もっとも納税者の中には、理屈に合わなくとも、税務調査が早く終るなら追徴金を払ったほうがよいと言う向きもあった。このような場合、代理人にすぎない私は、納税者本人の意向に反してまでは税務当局に立ち向ってはいかなかった。
しかし、大半の納税者は理不尽な税金の支払いをすることに抵抗があり、私は、その意向を確認したうえで、不法行為を繰り返し不当な税金の支払いを迫る税務職員には、キッチリと向き合うのを常とした。
一般納税者が税法と企業会計に無知であることに乗じて、不当な税金をふきかける人達に対しては、公僕としての公務員の立場を説き、税法と企業会計の基本をしっかりと教えることにしていたのである。
七、 国犯法による強制調査以外の任意調査に関しては、以上のように調査担当者のレベルはピンからキリまであって、納税者を脅しては、嘘を申し向けて騙してでも税金を取り立てようとする人達がかなり多くいたことは事実である。
しかし、脱税という犯罪行為を摘発するために、裁判所の捜索令状まで徴求して調査がなされる査察(マルサ)に関しては、納税者を騙したり、事実の捏造をしてまで摘発することなどありえないことと考えていた。
国税当局がマルサ案件の有罪率が100%であるとPRパンフレットで豪語しているのを単純に信じていたことに加え、査察官は国税職員の中でも選び抜かれたエリートであり、『国税査察官服務規程』を遵守する人格識見共に秀でた人達であると信じて疑わなかったからだ。
更に、検察と裁判所という二つのフィルターが用意されており、ことマルサ事案に関する限り、間違いなどありえないと考えていたのである。
八、 しかし、現実は、そうではなかった。私に関する事案と東京国税局のマルサが摘発したハニックス工業の事案は、国税当局が通常の任意調査の現場で頻繁に繰り返している不法行為が、マルサという強制調査の現場でも実際になされていることを如実に示すものだ。
マルサの無謬神話は見事に崩壊したのである。
九、 検察官は、税務当局の一部であるマルサと異なり、私には全く縁のない存在であった。私自身が逮捕されたり、当事者として取調べを受けることなど考えてもみなかったのである。
検察官は法曹三者の一角を占め、難関の司法試験をパスしてきた一握りのエリート中のエリートであると考えていた。
時の権力者に対しても臆するところなく敢然と立ち向っていく検察官にはひそかに拍手さえ送っていたほどだ。検察官は、自らを必要以上に律し、常に襟を正している人格高邁な人達であると信じ込んでいた。このような人達が自ら堂々と犯罪行為をするなど考えてもみなかったのである。
一〇、しかし、マルサと同様、検察官もそうではなかった。マルサの無謬神話と同様に、検察官の無謬神話も崩れ去ったのである。
しかも問題なのは、マルサも検察官も個人プレー的非行ではなく、それぞれが組織として敢行した非行であったことだ。私を直接取調べた藤原孝行査察官も、中島行博検事も個人的に見れば決しておかしな人物ではない。それどころか、二人共、プロフェッショナルとして敬意を表することができるほどの技量を持ち合わせていたし、人格的にも尊敬できるものがあった。違った出会いであったなら、間違いなく無二の友となりえた人達であった。
優秀な個人を犯罪行為にまで巻き込んでしまう官僚組織とは一体何であろうか。
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