亀井静香氏は守旧派か? -2

中海干拓事業については多くの地域住民が反対の声を挙げました。保守、革新を問わず、かけがえのない郷土の宝である本庄の海を守り抜くために、それぞれの立場から必死になって干拓事業の中止を求めてきたのです。

その中でも目をみはるユニークな活動をしたのが「ゆりかもめの会」という女性の団体でした。

保守系の女性が発起人として名を連ね、地道な署名活動を展開し、有志によるカンパ資金をもとにして、朝日新聞の全国版に意見広告を掲載。全国的に共感の輪が大きく広がっていきました。
意見広告は、干拓事業が中止になるまで実に8回もなされました。ゆりかもめの会の方々には、しばしばお会いし、意見交換をしたのですが、この方々は単に声高に反対を叫ぶのではなく、この公共工事の本質について、各方面の専門家の意見に耳を傾け、熱心に勉強会を開いた上で会としての意見を集約し、意見広告に反映させていました。この方々の郷土を自らの手で守り抜こうとする真摯な姿勢には頭の下がる思いがしたものです。
私は今、スクラップ・ブックを開き、「ゆりかもめの会」の最後の意見広告に目を通しています。平成12年10月11日付の朝日新聞に掲載されたものです。原圭子さん、山根愛子さん、石倉芳江さんをはじめとした21名の発起人と746名の賛同者の名前が記されています。
この意見広告は、政調会長の亀井静香さんをチーフとする連立与党(このときは、自民、公明、保守)の政策責任者が、この年の8月22日に中海の干拓事業の現地視察を行った上で中止の方針を公表し、その後干拓工事を所轄する農林水産省が中止の決定をした直後に掲載されました。

最後になった意見広告は、

“ついに「中海干拓中止」、全国の皆様ありがとうございました。中海、宍道湖の蘇生を願う=ゆりかもめの会=発起人一同心よりお礼を申し上げます。”

との大見出しをつけ、

“この広告は「7」以降に寄せられた746名の方々の賛同署名を掲載いたしました。3年3ケ月に亘って国内はもとより世界各地から13,000名の賛同の署名を頂きました。有志の方々のカンパによるシリーズ「1」から「8」までの意見広告には掲載ご希望全員の皆様のお名前を載せさせていただきました。”

と述べ、当初の目的が達成されたために、

“2000年(平成12年)10月30日をもって解散いたします。”

と、締めくくっています。

意見広告の中央には、松江出身の漫画家園山俊二さんが祈りを込めて描いた中海の日の出を喜ぶガタピシの絵が

“ガタピシたちが愛して止まぬ故郷(ふるさと)のみずうみが守られて嬉しく思います。 園山俊二 妻宏子(東京都)”

とのコメントを添えて飾られています。
園山俊二さんは、23年前に始った淡水化反対運動の中核的メンバーの一人でした。この国民的漫画家は、淡水化事業の中止を自らの目で確認しながらも、亀井静香さんの英断による干拓事業の中止については仲間たちと喜びを分かち合うことはできませんでした。平成5年1月20日、多くの人に惜しまれながら57年の生涯を終えられたからです。
この意見広告に飾られている絵は、生前書き残してあった原画を奥様が選び出され、コメントを添えられたものです。

“ゆりかもめの会“-
百合鴎(ゆりかもめ)は、小さなカモメの仲間で秋に群れをなして日本にやってくる渡り鳥です。私たちの宍道湖と中海は、白鳥、鴨など各種渡り鳥の楽園で、中でもゆりかもめは飛来数の多さとかわいい可憐な姿からとても人気があり、松江の代表的な渡り鳥として松江市民にこよなく愛されているものです。
冬、粉雪と共に白い羽を広げて乱舞する姿は、ほれぼれするほど実に見事なものです。
私のオフィスは、宍道湖と中海をつなぐ大橋川のほとりにあります。北西の強い風によって、粉雪やボタン雪が窓の外を西から東に向って文字通り真横に流れていく中に、無数のゆりかもめが赤い嘴と赤い足をアクセントにして、白い羽根を優雅になびかせて窓に向って競演してくれるのです。まさに、“見れど飽かぬかも”といった情景です。大社町日御碕の経島(ふみじま)の日本海で、華麗に乱舞するウミネコに比べても決して見劣りのするものではありません。
このように、ゆりかもめは2つの湖のシンボルであり、可憐にして清楚な姿は、次の世代によりよい形で郷土をバトンタッチしていくことを心から願う女性たちの姿でもありました。
ちなみに、ゆりかもめは、在五中将、在原業平が主人公に擬せられている伊勢物語の主人公が、

“名にし負はば いざこと問はん 都鳥(みやこどり) わが想ふ人は ありやなしやと”

と、都に残してきた恋人を偲んで唱い、その想いを託したみやこ鳥であるとも言われています。

私は、中海を懸命になって守って下さった「ゆりかもめの会」の皆様と共に、このたびの干拓堤防の開削方針決定を心から喜びたいと思います。
同時に、5年前自民党内の強い抵抗をはねのけて干拓工事の中止を決断された亀井静香さんに対して、改めて心からの敬意を表し、御礼を申し上げます。
私たちの島根県は、全国で有数の保守王国、自民党王国と言われてきました。そのためでしょうか、公共事業の県民一人当りの投入額は、常に全国一位にランクされているほどです。県民として決して名誉なことではなく、恥ずかしく思っているのは私一人ではありません。
そのような島根県の中でシンボル的な存在であったのが中海干拓工事でした。進行中のこの大型公共工事に対して、政権与党である自民党の中から「ノー」の烙印を押し、“過(あやま)ちては則ち改むるに憚ること勿(なか)れ-(論語、学而)”とばかりに中止の断を下し、実際に中止させてしまった亀井さんの政治家としての見識と力量には、ただただ敬服するほかありません。

荒れすさんでいく私達の郷土をなんとしてでも守り抜こうとした地域住民の間で、干拓工事の中止を断行した改革政治家としての亀井静香さんの名前は、感謝の念をもって永く語り伝えられていくことでしょう。
亀井静香さん、本当にありがとうございました。

―― ―― ―― ―― ――

ここで一句。

“歴史上超大国はみな滅び” -大分、春野小川。

 

(毎日新聞:平成17年8月17日号より)

(“この世をば わが世とぞ思ふ もち月の 欠けたることの なしと思へば”、-藤原道長がわが世の春を謳歌したのを境に、藤原一族は衰退の道を辿り歴史の表舞台から消えていきます。あるいは又、“平家にあらずんば人にあらず”とまで驕りたかぶった平家一族は、ほどなくして壇の浦の藻屑と消えていきました。“まことに燈(ともしび)消えんとて光なを増す、人滅(めつ)せんとて悪念(あくねん)起る譬(たとへ)かや”。(「恨の介」上))

 

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