冤罪を創る人々vol.75

2005年08月16日 第75号 発行部数:412部

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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-

日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
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●(第七章)総括

「(3) 容疑者」より続く
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(4) 「2番」 ― 称呼番号 ―

一、 平成8年1月26日午後2時20分、私は、松江地方検察庁か
ら手縄腰縄付きで、護送車によって松江刑務所に移送された。

二、 私の身柄は、松江刑務所が発行する身柄領収書と引き替えに、
松江刑務所拘置監の管理下に置かれることになった。
私には、山根治という名前の代わりに、「2番」という称呼
(しょうこ)番号が与えられた。名前が消えたのである。

三、 身柄領収書といい、「2番」という称呼番号といい、私は一個
の人間の形をした物品として、以後、この拘置監で291日の間、
過ごすことになった。
私は物品置場だと思っていたが、同時期に勾留されていたオウム
真理教の麻原ショーコーは、警視庁の留置場から小菅の拘置所へ移
されたとき、地獄から動物園にかわったと言ったというのである。
平成8年5月16日の面接時に、古賀益美氏からこのことを聞い
たとき、思わず笑い出してしまった。動物園とは言い得て妙である。

四、 拘置監を規定している法律は、明治41年3月28日制定の監
獄法で、さきに述べた国税犯則取締法に負けず劣らずの古めかしい
ものである。
21世紀の日本において、このような前時代的な法律が存在する
のは不思議である。収監されて、身にしみて感じたことだ。

五、 私は、「2番」という名の一個の物品であるから、一切の抵抗
は許されず、例えば、独房を替わる際にも、予告なしに突然看守が
やってきて、「テンボー!(転房)」と一言いえば、直ちに荷物を取
りまとめて移動しなければならないのである。
初めての転房のときである。看守がガチャガチャッと錠をあけ、
入口のドアをガラガラッと開けて入ってくるなり、「テンボー!」
と大声を張り上げた。私ははじめ何のことか判らず、キョトンとし
ていると、いきなりカミナリを落とされた。昨日のことのように思
い出される。クワバラ、クワバラ。
私の房には、弁護人から差し入れられた裁判関連の資料が、それ
こそ山をなすほどあり、公判準備の為に狭い部屋の中で、それらの
資料と格闘する毎日であった。
看守はそんなことおかまいなしである。「テンボー!」と宣告さ
れたら、資料チェックの途中でも、直ちに中止して応じなければな
らない。下手に抵抗すると、懲罰が待っているのである。「物品」
であっても、こんなところで壊されたらたまらない。

六、 私は、291日の拘束期間中、5回の転房をさせられた。

1. 拘下6 (拘置監一階の6号室)
(平成8年1月26日)
2. 拘下8 (拘置監一階の8号室)
(平成8年2月15日転房)
3. 拘上11 (拘置監二階の11号室)
(平成8年3月28日転房)
4. 拘上4 (拘置監二階の4号室)
5. 拘上19 (拘置監二階の19号室)

七、 五回の“物品”移動には、検察の意を受けた拘置監の戦略的意
図があるようだ。
当初の“物品”置場である「拘下6」の部屋は、一階の階段の横
にある暗くて風通しの悪い部屋であった。一日中、騒がしく、落ち
つける雰囲気は全くなかった。第一回目の起訴の日である平成8年
2月15日まで、物品としての私は、この部屋に留置された。広さ
は5.37平米。
二番目の独房は、同じく一階の8号室であった。階段の横から少
しはずれたため、初めの6号室よりは若干明るくなり、騒がしさも
少なくなった。しかし、風通しが悪く、ジメジメしているのは変ら
ない。初めの房と比較して、トイレと畳がやゝ汚いのと、タオル掛
けがステンレス製で釘止め(初めの房はプラスチック製の貼り付け)
であるのが異なっているほか、同じつくりであった。第2回目の起
訴の日が平成8年3月7日、その後三週間、この部屋に留置された。
三番目の独房に転房させられたのは、平成8年3月28日。二階
の11号室。はじめて、二階に移されたのである。

(続きはWebサイトにて)
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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
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「江戸時代の会計士 -2」より続く
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・江戸時代の会計士 -3

親類身内を呼び寄せて、親類には義絶を、妻には離別を、子供た
ちには勘当を、家来達には暇(いとま)を申し渡したのに対して、
当然のことながら強い反発がありました。

親類の者が言うのには、-

“何と木工殿には狂気にてもなされ候や。…如何なる御了簡に候や、
甚だ以て心もとなく候。”

(なんと、木工殿は気が狂ってしまわれたのか。…一体どんなお考え
なのですか。全く納得がいきません。)

これに対して、木工は、

“狂気も仕らず候へども、先達て申す通り、此度の役儀につき邪魔に
なり候故の事なり。”

(決して気が狂った訳ではなく、先に話したように、このたびの役目
を立派に果たすのに邪魔になるからである)

と、突っぱねます。

妻は涙を流しながら訴えます。

“御役儀の邪魔になるとの御事なれば、なるほど暇も貰い申すべく候。
箇様の訳に依って邪魔になると、その訳を仰せ聞けられ、得心(と
くしん)させて下され候はば、暇を貰ひ申すべく候へども、訳を仰
せ聞けられず候ては、親元へ戻り何も申し訳これなき故、子供にも
訳を仰せられ、得心させ、御勘当なされ下さるべし。”

(お役目の邪魔になるというのなら致し方ありません。ただ、このよ
うな訳で邪魔になると、その理由をおっしゃって下さり、納得させ
て下さるならば、離縁の申し渡しをお受けいたしますものを、理由
を言って下さらなければ、親元へ戻っても申し開きするすべがあり
ません。子供にも理由をおっしゃったうえで納得づくで勘当して下
さい。)

妻の涙ながらの嘆願に、木工は「訳を話しても納得してくれない
と思い、また理由を言ってみても無駄なことだと考えて言わないで
おこうと思っていたが、皆がどうしても理由を聞きたいというので
あれば、わかった、話して聞かせよう。」と前置きして、

“先ず手前儀、向後虚言を一切申さざる合点(がてん)に候。”

(まず、私は今後ウソを一切言わないと心に決めた。)

と、財政改革に取り組む基本姿勢を説明します。
従来ともすれば、為政者の言葉とか方針は朝令暮改の傾向にあり
ました。藩の財政改革は、為政者と領民が心を一つにして取り組ま
なければならないのですが、今までのように為政者の言葉がクルク
ル変わるようでは、とても領民の信頼を得ることはできませんし、
効果的な改革は期待できません。
そこで木工は、領民の信頼を勝ち取るためのスタートして、ウソ
は言わない、約束は必ず守ることを明確に打ち出そうと考えた訳で
す。有言実行ということですね。

実際にこの後の領民との話し合いの冒頭に、

“先ず手前儀、第一、向後虚言を一切言はざるつもり故、申したる儀
再び変替(へんがえ)致さず候間、この段兼て堅く左様相心得居り
申すべく候。”

(まず私は第一に、今後ウソは一切言わないつもりであるから、ひと
たび口にしたことは決して変更しないので、この点、皆にはしっか
りと心に留めておいてもらいたい。)

と言っています。ひとたび領民と約束したこと(公約と言っても
いいでしょう)は、絶対に守り通すと念を押しているんですね。
虚言(うそ)をつかないことを身内だけでなく、藩の役人、領民
に対しても公言し、信頼を勝ち取るための基本に据え、財政改革を
貫徹させようとしているのです。

―― ―― ―― ―― ――

ここで一句。

“骨太がだんだん骨抜きなってゆく” -恵庭、恵庭弘。
(毎日新聞:平成17年7月7日号より)

(公約。単なる選挙用のキャッチフレーズ。実行は二の次の空手形。
虚言を玩ぶことは、現在の政界においては常識となっているようで
すね。公約を破って何が悪いのか、と国会で堂々と居直った首相も
いるのですから。)

 

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