104 被収容者

****(3) 被収容者

一、 松江刑務所には、受刑者及び未決囚あわせて400人位が収容されていた。

私は未決囚であり、独房に入れられていたため、他の被収容者と顔を合わせたり、話をしたりすることはなかった。取調べとか面会のために独房から連れ出され、廊下を歩いているとき、他の被収容者とすれ違うことがあったが、歩行を停止した上に壁側に向かわせられた。お互いに顔を合わせないようにするためである。

二、 顔を合わせたり、話しをしたりすることが禁じられていると、どうしても耳が聡くなるようである。耳から音として入ってきた情報をもとに、何が起こっているのか推測するのが楽しみとなった。音だけを頼りに三次元の映像を組み立てるのである。

三、 蒸し暑い夏の昼下がりであった。拘置監に収容されていた東南アジア系と思われる二人が、独居房越しに大きな声で会話をしていた。中国語でもなければ朝鮮語でもない。 私にはどこの国の言葉かさえ分からなかった。
案の定、看守の大声が拘置監に響きわたった。

「こんらあ!オマエら何しゃべってるんだ!ここはシャバじゃないんだ。しゃべってはいかんと言ってるだろうが。バカヤロー!」

二人の話し声はピタッとやんだ。3分位経ったであろうか、意味不明の言語による会話が再開された。再度看守のどなり声が発せられるのは時間の問題であった。私の楽しみのカウント・ダウンが始まった。
懲罰の危険性を知りながら、なお話を交わさなければならなかった二人の異国の人は、その後どうしているのであろうか。

四、 平成8年7月18日のことであった。
戸外運動場で汗を流していると、突然刑務所の中庭に大声が鳴り響いた。
ジョッキングをしながら、何が起ったのだろうと耳を傾けたところ、運動後の拭身についてもめているようであった。

「拭身中止!終わりだと言っているのに分らんのか。」
「・・・。」
「なに!まだ洗面器に一杯しか水を使っていないだと。ヤッカマシイ!もう1分を過ぎたんだ。やめないか。」
「・・・。」
「つべこべ抜かすんじゃねえ!コノヤロー、言い返しやがったな。反抗だ、よーし。」

この段階で更に3人ほどの看守が新たに加わり、口々に大声でどなりまくった。

「ここをどこだと思ってんだ。シャバじゃねえんだ。反抗したらどんなことになるか、分かってんだろうが。連行だ!連れていって締めあげよう。クセになる。」
「・・・。」
「つべこべ抜かすな。バカヤロー、懲罰だ。」

この後、連行するガヤガヤという声が拘置監のほうではなく、管理棟のほうに消えていった。
この未決囚はその後どうなったのか定かではない。別室で吊し上げられ、供述調書をとられて、懲罰に付されたことであろう。
被収容者遵守事項と題した9ページの冊子の中に、職員の正当な職務行為を妨げる行為の一つとして「抗弁等」があげられており、

「法令、所内生活の心得又は日課実施上の必要に基づく職員の職務上の指示に対し、やゆ、愚弄、抗弁、暴言、無視、その他の方法で反抗的な態度をなし、又は口出しするなどして職務の執行を妨害してはならない」

のである。

五、 同年9月19日夕方5時すぎであった。
5時の閉房点検が終ってから6時の就床時間までの一時間は、拘置監を含めた刑務所全体が静まりかえるひとときである。房内放送もなく、宍道湖の夕凪のような静謐さが広い閉鎖空間を支配するのである。
かなり離れた受刑者収容棟からであろうか、「ウハーアーックション!」と精一杯大きなクシャミが聞こえてきた。大きな声が出せないため、その反動から敢えて大きなクシャミをしているようだ。10秒程おいて3回位繰り返されたであろうか。ピタリと止んだ。わざとらしいクシャミをこれ以上続けると、看守から大目玉を食うことは必定であり、微妙なかけひきをしている受刑者を想像して楽しくなった。気持ちが痛いほど分かるだけに、顔も名前も知らない受刑者が急に身近な存在になった。

六、 同年11月1日の朝、久しぶりに処遇主任の大声が拘置監全体に響きわたった。

「コンラー!!オマエ何をやっとんのだ!パンツ脱いでウロチョロなんかすんな!下着姿でウロチョロすんなと言ってるんだ!」

三つ程離れた独房にむかって、巻き舌のベランメエ調がたたきつけられていた。
気持ちよく水中遊泳を楽しんでいた金魚が、突如水槽の中にザリガニを放り込まれてパニクッている姿を連想してしまった。吉本新喜劇のドタバタ劇が想念の三次元で展開されたのである。

 

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