101 風呂と運動
- 2005.06.14
- 引かれ者の小唄
***8.風呂と運動
一、 勾留291日の間に入った風呂の回数は、100回位であったろうか。
月曜日から金曜日までの5日間、外での運動と風呂が一日おきに与えられた。土、日及び祝祭日はない。三連休以上になると、風呂が与えられることがあった。
したがって、週によって運動が3回であれば風呂は2回であり、運動が2回であれば風呂は3回であった。
二、 風呂場は拘置監一階にあった。独房を風呂場に改造したもののようであり、広さは独房と同じ5.37平米であった。
入浴時間は15分。15分の間に、服を脱いで入浴し、服を再び着ることが要求された。
看守が一人監視していた。常日頃独房を担当している看守とは別の刑務官が、独房までやってきて私を風呂場に連れ出し、見張りをし、再び独房に送り返すきまりになっていた。
三、 タオルと石ケンは独房から持ち出し、カミソリは脱衣場に用意されていた。私のものは、「2番」と書いた紙切れが、カミソリの柄に巻かれセロハンテープで押えてあった。一枚刀であった。
四、 風呂の大きさは、タテ74cm、ヨコ93cm、深さ66cm。独房から定規の持ち出しができないため指測によった。一般家庭用の風呂をひと回り大きくしたもので、ステンレス製であった。
3cm位の口径の鉄管から熱湯が、2cm位の口径の蛇口から冷水が供給されるようになっていた。看守は熱湯のことを蒸気と呼んでいた。
看守の許可を得たうえで、熱湯のバルブと冷水の蛇口を操作して、湯加減を調整した。熱湯はすさまじい勢いで出てくるので、気をつけてバルブの操作をしなければ、火傷をするおそれがあった。
五、 一回だけ、4人一緒に入浴させられた。一目でヤクザと分かる人物が2人、東南アジア系の外国人が1人。一人の背中には見事な刺青が施されていた。
その時以外は一人入浴であった。
六、 私は普段自宅では毎朝風呂に入ることにしていたし、現在もそうである。
顔のヒゲをそるための入浴であり、身体全体を石ケンで洗うことはほとんどない。3ヶ月に一度位、思い出したように全身を洗うのが日常である。
ところが、拘置監に入れられてからは、入浴のたびに全身を洗っていたのである。全身をタオルで洗って皮膚を刺激して気合を入れ、細胞の活性化を図るーあるいは、このようなことを、無意識のうちに考えていたのであろうか。
七、 外での運動も、風呂と同様100回位行った。
20分から40分、平均30分の運動時間であった。狭い独房から開放されて、のびのびできる唯一の時間であった。
始めに看守の号令に従って、他の未決囚と一緒に天突き体操と舟こぎ体操とをし、残りの時間は、目一杯ジョッキングをして身体を動かした。4000歩から6000歩位の運動量であった。
八、 房内での運動は、午前と午後に一回ずつ、それぞれ15分の時間が許されていた。房内放送による体操の手順に従って、身体を動かした。たゞ私にはものたりなかったので、私はその時間、足踏みによるジョッキングに切り替えることが多かった。
九、 私は、それ以外にも、看守の眼を盗むようにして、房内で足踏みジョッキングをくりかえした。看守に見つかると叱られて、中止命令が出た。しかし、私は、そのときは中止するものの、再びジョッキングをしては叱られていた。何十回、叱責を受けたことであろうか。
十、 風呂での洗身といい、運動といい、シャバにいるときには、ほとんどしなかったのに、ムショに入ってからは、時間を惜しむかのように懸命にやりだしたのである。
健康の維持を最優先したのは、自らの危機に直面して自己防衛本能が自動的に発動されたからであろうか。