091 野津治美

*(8) 野津治美 

一、 松江地方検察庁副検事。

組合員宅和勇一氏(参考人)の尋問を担当。平成8年6月10日、第一審の第4回公判廷に検察官として出廷し、同9年2月4日の第10回公判廷に、検察側申請にもとづき、証人として出廷している。

二、 副検事永瀬昭の作成になる藤原氏の供述調書同様、宅和氏の供述調書も余りにも出来すぎていたために、野津治美は自ら墓穴を掘るはめに陥った。

三、 宅和氏は、永瀬昭が尋問した藤原氏と同様に、組合員であったものの、架空取引とされた物件の売買の詳細については、ほとんど知る立場になかった。
そのような宅和氏が、野津治美作成の検面調書の中で、売買の核心に触れることを、こと細かに述べているのである。
何故、このような奇妙な供述調書が出来上ったのか。公判記録にもとづいて、明らかにする。

四、 「逮捕をするぞ」とは言っていないと強弁しているものの、逮捕をチラつかせて脅しながら尋問したことについては、永瀬昭の場合と同じである。

五、 しかし、野津治美は、参考人の場合には黙秘権の告知が必要でないにも拘らず、敢えて黙秘権の告知をし、その理由として、調べを進めるにしたがって、将来被疑者の立場になる可能性があるからだ、と証言している。
しかも、「逮捕されている2人の組合員と同じように、宅和氏にも責任があり、罪に問われてもおかしくない」と宅和氏に言った旨、証言する。

六、 このようなことを、検察庁の取調室で、面と向って言われたとしたら、どうであろうか。
まさに、逮捕をチラつかせて脅しているに等しく、いくら、「逮捕するぞ」とは言っていないと、言い募っても通るものではない。

七、 野津治美の威圧的な言辞の故であろうか、宅和氏は、供述調書の中で野津のことを終止「先生」と呼んでおり、野津は、宅和氏が「先生」と言い続けるのにまかせていた。
「先生」と言わされるような力関係の中で野津は尋問をし、供述調書を作成したのである。

八、 更に、本当のことを言っていないようだから、ポリグラフ(嘘発見器)にかけると言ったのではないか、との尋問に対して、野津は、「ポリグラフというものがあるとは言ったが、ポリグラフにかけるとは言っていない」と言い募り、松原弁護人の更なる追及に対して、「あなたの言うことは、信用できない。ポリグラフにかければ、それが確認できるとは確かに言った。しかし、ポリグラフにかけるとは言っていない。」とシドロモドロになって、必死になって弁解した。

九、 被告人席にいた私は、証人席で自ら証言している言葉の意味を把握することができず、ある種、錯乱状態に陥っている野津治美に対して、哀れみの情を禁じえなかった。

一〇、野津は、脱税事件のような難しい事件は初めてであると証言し、税金の繰延べ(圧縮記帳)と架空取引との関連について、弁護人から具体的に尋問されると、全くお手上げの状態であった。税法について、ほとんど無知の人物であり、このような人物が、脱税事件で断罪する一翼を現実に担っているのである。
もっとも、税に関する無知は、ひとり野津だけの問題ではなく、私の事件に関与した全ての検事に言えることだ。

一一、以上、野津は、「お前の言うことは信用できない。ポリグラフにかければ、すぐに判ることだ。もし素直に話さなければ、逮捕されている2人の組合員同様、逮捕することになる。逮捕されたくなければ、こちらに全面的に協力して素直に供述することだ。」と申し向けながら、宅和氏の尋問をし、自らは税金のことはほとんど理解していない状態で、虚構のシナリオに沿って、偽りの供述調書を創り上げていったのである。
公判の速記録は、このようなプロセスを、生々しく雄弁に物語っている。

一二、公判検事立石英生は、弁護人尋問を3回にわたって強引にさえぎり、異議をとなえた。シドロモドロになっている野津治美に、助け舟を出したつもりであろうが、無駄な抵抗であった。
一審判決において、野津治美の作成になる供述調書は、信用性に欠けるものとして、ほとんどの部分が排除された。けだし、当然のことである。

一三、平成8年1月26日、朝7時、野津は検察事務官2名、女性事務1名及びマルサ2名と共に、山根会計の職員古賀氏宅に臨み、家宅捜索を行った。
マルサは、SとEの2名であった。

十四、古賀氏は語る、 ―
「総勢6人で、自宅の家捜しが始まったんです。携帯電話でしきりに連絡をとりながら、写真をパチパチとっていましたね。
本をパラパラめくってみたり、数十本ものビデオテープを一本一本最初から最後まで丁寧に見たり、私の服のポケットまでひっくりかえしていました。布団とか枕は手で押して確認したり。
服の担当は若い女性でした。私、この女性に尋ねてみたんです。「捜査官ですか」って。すると女性は「いえ、事務です。応援に狩り出されちゃって。こんなこと初めてなんです。」って言ってましたね。
お昼どきになったものですから、マルサのEが弁当を買いに行き、私にも一つわけてくれました。七珍弁当でした。
午後の2時頃まで続いたんでしょうか、ろくに押収するものがないようで、拍子抜けしていましたね。私、山根所長の秘書的な役割をしているものですから、きっと何か大切なものを自宅に隠している違いないと思ったんですね。バーカ、そんなものないよーだ。
野津はまるで仕事でもしているかのように陣頭指揮をしていたんですが、一体何をしたんでしょうね。大げさに5人も引き連れてきたりして。」

一五、「家宅捜索の翌日、午前11時松江地検に行きました。だって来いって言うんですもの。
取調べ室は、私が思っているより狭い部屋でした。白髪まじりの野津治美が、グレーの三つ揃えの背広を着て、窓を背に座っていました。
野津は取調べをする前に、脅すように言いましたね。

“これからあなたに今回の事件について聞きます。あなたの知っていること、見たこと聞いたことを隠さず述べて下さい。ただし、黙秘することもできます。また場合によったら逮捕されることもありえます。”

黙秘とか、逮捕とか、その後の取調べでも、野津は繰り返し言っていましたね。
後に自分の供述調書に目を通して分かったんですが、私は被疑者ではなく、参考人だったんですね。」

一六、「野津は、思わせぶりな口調で私に、“車はどこにあるんですか”なんて聞いてきました。私、運転免許は持っているんですが、実際に運転したこともないし、車など持ったこともないんで、野津にそう言いますとね、なにやら紙を持ち出して、もったいぶってチラチラさせるんですよ。
やっとのことで見せてくれたんですが、私の本籍地に私と同じ名前で久留米ナンバーのスターレットが昭和63年に登録されているんです。あの町は同じ苗字の人が多いところで、同姓同名の人がいたのが分かりました。
私がどこかの宗教団体みたいに、車の中に証拠資料でもつめ込んで逃げまわっているとでも思ったんでしょうか。
だんだん腹がたってきましたね。だって、事前の内偵で私が普段、車を運転していないことは十分に知っているはずだし、それに失礼じゃないですか、ベンツとかの高級外車ならともかく、スターレットのしかも、昭和63年型なんて、廃車寸前のボロ車じゃないですか。私、そんなもの持っている訳ないでしょうが、ホント失礼ったらありゃしない。
私、もう切れてしまって、“どこまでデッチ上げれば気がすむんですか。デッチ上げはやめて下さい。”と大声をあげてどなってしまいました。野津が何を言おうとも、眼をつぶって黙ってしまったんです。フンだ。
野津はなんか慌てていましたね。“それでは調べてきます”なんて言いながら、席を外すと、しばらくして戻ってきて、言ってくれましたね。
“同姓同名でした”
本当に調べてきたんでしょうかね。私が黙りこくってしまったために、困ってしまい、きっと上司とでも相談して調べたふりをしたんでしょうね。
私、“その車が事故でも起したら、私も責任を問われることがあるんでしょうか”って尋ねたところ、またまた野津は言ってくれました。
“あるかもしれません”
― あるわけないでしょうが、ンとに。
私、野津ののっぺりとしたこれといった特徴のない顔をまじまじと見てやりましたよ。この人、ホントに検事なんでしょうかね。」

一七、「野津治美は事務官あがりの副検事だそうですね。この人、一人で取調べをするのは、あるいは初めてだったかもしれませんね。だって訳の分からないことをネチネチと何度も繰り返すし、尋問の仕方だって、絵にかいたような誘導尋問の連発ですもの。さすがに淑女の私でも“そんなこと私が知っている訳ないでしょうが、誘導尋問なんてやめて下さい”って思わず大声を挙げてしまったじゃないですか。
野津はクセなんでしょうか、薬指の指輪を外したり、また入れたりを繰り返していましたね。そんな所作をしながら、“あーホント、あーホント”なんて適当に相槌を打っているんですよ。今時の女子高生じゃあるまいし、本当のことを言えっていったのはテメーじゃないか。もうちょっと他の言い方もあるだろうが、って言いたくもなってしまう。全くもう、しまりのない男だ。
やっと副検事になって、バッジをつけて得意になっているんでしょうね。この人、脳ミソの中味がどうなっているんでしょうね。
野津が“あなたはいろいろ記録されているようですが、私のことも書くんでしょうね。”って言いますからね。私、言ってやりましたよ。“当たり前です。こんな機会はめったにありませんから、しっかり記録します。どういう形になるか分かりませんが、いずれ何らかの形で公表しますから。”」

 

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