067 悪魔の証明
- 2004.12.14
- 冤罪を創る人々
***四.冤罪の捏造と断罪の基本構図
****1) 悪魔の証明
一、 平成2年4月10日、組合は、私の仲介によって佐原良夫との間に不動産売買契約を、結んだ。当然、当事者間には売買の意思の合致があり、法的に有効な契約であった。ところが、一方の当事者である佐原良夫が契約条件を履行しなくなり、トラブルが発生した。
佐原は、契約条件の履行をまぬがれるために、履行を求めた民事裁判の法廷で、ウソの供述をはじめたのである。即ち、形の上では、売買契約となっているが、本当は、税金逃れのために売買を仮装したものであったと言いはじめたのであった。
民事裁判を有利に運ぶために、佐原はマルサに対して嘘の密告をし、マルサはそれに飛びついて、組合と私とを脱税で摘発した。
二、 この売買契約においては、契約時点である平成2年4月10日の当事者の意思の合致がポイントであるため、一方の当事者である私達が、契約は真実のものであり、仮装ではないと、いくら叫んでもどうしようもないのである。こちら側からの100%の証明は不可能である。先方は、嘘であっても売買ではなかったと言い張っている以上、ストレートな形での意思の合致は第三者的には確認できないのだ。
何かをしたことの証明は可能であるが、何かをしなかったことの証明は不可能だ。
後者の不可能な証明のことを俗に悪魔の証明という。
検察とマルサが私に対して無実であるならば潔白を証明せよと迫っているのは、まさに悪魔の証明を迫っていることであり、先に、「大木洋をキャップとするマルサが、私に対してまさに悪魔の証明を迫っていた」と述べたのは、このことである。
三、 例えば、近年増えているという、痴漢冤罪事件がそうである。
電車の中で痴漢であるといって女性に騒ぎたてられ、痴漢として告発された場合、男性が何もしていなくとも、無実を証明することは極めて難しい。痴漢行為など何もしていないことを100%証明することは不可能であり、状況証拠等の傍証で立証するしか方法はない。
四、 あるいは、収賄に関する冤罪事件もそうである。
賄賂を贈った人物(贈賄者)が、賄賂を受けとった人物(収賄者)を名指しにした場合、収賄者とされた人物が、仮に真実賄賂を受けとっていなくとも、受けとっていないことは証明できない。二人だけの密室の状態で行なわれたことを、一方の当事者が、何らかの理由で嘘の自白をした場合、もう一方の当事者はお手上げであり、賄賂などもらっていないといくら主張しても証明にならないのである。もともともらっていないことを証明することなどできないからだ。まさに、芥川龍之介の「藪の中」の世界である。
そもそも、賄賂の授受があったというのであれば、捜査当局は当然のことながら、金の流れを明確に証明する義務がある。少なくとも贈賄側においては金の出所が、収賄側においては金の使途が明確にされなければならない。
しかし、贈賄者とされた人物が、全く嘘の自白をしていて、もともと金銭のやりとりなどなかったとするならば、金銭の流れなど捜査当局としては明らかにしようがない。
そこで用いられるのが嘘の自白の強要である。収賄者と名指しにされた人物を逮捕勾留し、自白をしないと保釈しないなどと脅したり、あるいは、無罪放免を餌に利益誘導しながら、嘘の自白を迫るのである。
私の場合も同様であったので、このような違法な取り調べは普通になされているに違いない。
安易な逮捕と不当な長期にわたる勾留こそ冤罪を生みだす温床ではないか。
五、 「冤罪十年」と題して、検察官、裁判官、あるいは、拘置所の生々しい実態を公表された森喬伸氏(元松本英語学校理事長)も、一人の検事から悪魔の証明を求められたようである。;;;quote;”ところが、有田検事は「それじゃ、やっていないことを証明しろ」と言う。これは無理な話だ。やっていないことをやっていないと証明することくらい難しいものはないと、その時つくづく思い知らされた。”(月刊経営塾1999年8月号、58ページ);;;; 森氏は私より100日も多い391日もの勾留生活を強いられ、結果的には全面無罪を勝ち取られたものの、破産に追い込まれたという。私は自ら冤罪事件を経験しただけに、森氏の四回にわたる痛切ともいえる手記を読んで、検察官と裁判官に対して改めて強い憤りの気持ちが蘇ってきた。
同じような体験をした者の一人として、森喬伸氏に心からなるエールを送り、再び第一線でご活躍されることを祈ってやまない。
六、 10年前、私に対して悪魔の証明をつきつけたマルサは、ガサ入れから2年6ヶ月後に、藤原孝行を告発人として検察に虚偽の脱税の告発をし、検察は刑事法廷の場で私に悪魔の証明を求めた。
双方とも正面切っての証明は不可能であったので、傍証をいかに準備するかの戦いとなった。
マルサと一体となった検察は、国家権力の名のもとに、数多くの傍証を捏造し、私を断罪した。
私達は、重戦車の前に引きずり出された竹槍部隊であった。
しかし、所詮虚構は虚構である。虚構の重戦車は、真実の竹槍によって、ことごとく粉砕され、法廷に消えていった。
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