036 藤原孝行 経歴、押収品

****3)藤原孝行

(ア)経歴



 広島国税局調査査察部第三部門査察官。

 大木洋の部下。大木の指示のもと、私の取調べを担当。収税官吏として、平成8年3月6日検察庁への告発書類を作成した人物。島根県日原町青原の出身。旧姓青田。昭和28年生。

 

 藤原孝行が、ガサ入れ当時所持していた身分証明書等。

+身分証明書(平成2年7月19日交付) 第6297号写真付(割印あり)

+国税査察官証票(平成2年7月19日交付) 第769号写真付(割印あり)

+収税官吏章(平成2年7月19日交付) 第1122号 写真なし

 1.2.3. 共に広島国税局長発行のもので、3つ共に藤原の官職は大蔵事務官となっている。

 



(イ) 押収品



一、 平成5年9月28日、捜索令状を手にした藤原孝行らは、私達のところから、おびただしい量の物を、証拠品と称して押収していった。

 

二、 押収された翌日、私は、税務署に出頭する前に、事務所に立ち寄り、押収品の状況をチェックした。

 営業を続けていくうえで、直ちに必要となるものを拾い出し、藤原孝行に対して返還要求することにした。



三、 主なものは次のとおりであった、 ―

+業務日誌

+会計伝票、会計帳簿、現預金出納帳、資金繰り表及び資産負債一覧日報等。

+過年度決算書申告書控

+電話番号控(自宅分を含めて8つ)

+顧客台帳

+社会保険関連書類綴り



四、 以上について、私は現物の返還を要求し、必要なら、コピーをとって保管するように申し入れた。

 しかし、藤原は現物の保管が原則だといい、現物の返還には応じず、私の方にコピーを寄こしたのである。

 二、三日かかったのであろうか、1000枚はゆうに超える量のコピーを、新本修司が事務所まで持ってきた。ドサッという感じである。

 それぞれ全てが、常日頃使い慣れているものであって、現物ではなくコピーとなると、はなはだ使い勝手が悪くなった。

 とくに電話番号控については、コピーではどうしても使いにくいので、改めて現物の返還を要求してみた。

 しかし、藤原は頑として応じなかった。何故現物の返還ができないのかと食い下がってみたが、藤原は、犯則嫌疑者に理由など言う必要はないと、ケンもホロロに言い放った。



五、 藤原孝行らが、押収していったものの中に、何故こんなものまで押収するのか、首を傾げたくなるものが含まれていた。

 例えば、

+合鍵の束、4つ。

+パスポート、2通。一つは職員大原輝子氏のものであり、今一つは、古賀益美氏のものであった。

+未使用の名刺50数枚。男性職員Oのもの。

+宝石鑑定書、3通。



 上記、1.~3.は、何回も返還を要求した末に、4ヶ月後にやっと返還された。返還を求めた際に藤原孝行は、返還理由をしつこく私に問い質した。

 もともと、合鍵の束とか、パスポートとか、未使用の名刺など、押収すること自体間違っている。こちらが返還理由など説明する必要のないものだ。

 本来なら、一言謝ってから返還すべきであるのに、藤原は、「まあ、理由はいいや」とか言いながら、しぶしぶながら返還したものである。

 3通の宝石鑑定書の他、多くの押収品は、裁判が終結してもなかなか返還されなかった。



 この原稿を執筆するうえで必要な資料が押収品の中にあったので、マルサから押収品の引き継ぎを受けた松江地方検察庁に対して押収品の一部返還を要求することにした。

 平成15年12月19日午後4時、松江地検のA事務官から返還の用意が整ったので、松江地検まで取りにくるように連絡が入った。

 私は、電話口にA事務官を呼び出し、厳しく叱責した。



「取りに来いとは何ごとであるか。ふざけるんじゃない。バカヤロー。こちらが頼みもしないのに、君達が勝手に持っていったんじゃないか。お詫びの一言でも言って、こちらに持ってくるのが筋だ。つべこべ言わずに早く持って来なさい。」



 一時間半後の同日5時35分に、松江地方検察庁のS、FびAの3名の事務官が緊張のあまり引きつったような顔をして、山根会計事務所に押収品の返還のために訪れた。

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