飯塚事件について -その3
- 2004.04.20
- 山根治blog
飯塚さんが不撓不屈の精神の持ち主であるとすれば、似たような経験をした私は、二つの”不”を取り除いた、「撓(とう)にして屈(くつ)」なる生き方をしてきたと言えるようです。
八年前、冤罪によって逮捕勾留されたとき、大きなショックを受けたことは事実です。これまでの路線が大きく変わることは当然考えました。
国家暴力が牙をむいて私に襲い掛かってきたとき、私は大きく撓(たわ)み、屈(くっ)したのです。拘置所に放り込まれ、接見禁止の処分が付けられた私は、両手両足をもぎとられたに等しく、何も手を打つことができない状態でした。めっきり涙もろくなり、ささいなことでもすぐに涙が出る始末でした。
ジタバタしても始まらない、しばらく流れに任せようと考えた私は、久しぶりに与えられた休暇と考え、291日の勾留生活のほとんどを書写と読書にあてました。後日公開する「勾留の日々」で詳しくお話しいたします。
このとき私が、無理に頑張り、自分ではできもしないことをあれこれと考えて、不撓不屈とばかりに、突っ張っていたらどうだったのでしょうか。
それほど強くない私の精神は、耐え切れずに変調をきたし、ポキッと折れていたことでしょう。
今にして思えば、流れに身をゆだねて、思い切り撓み、精一杯屈したのが、私には良かったようです。
私は、まもなく、満62才になります。これからも何回となく撓み、屈する局面に出会うことでしょう。
私の好きな宍道湖の岸辺には、私の子供の頃には多くの葦が繁っていました。今はコンクリートで岸辺が固められて、ごくわずかしか葦が残っていません。
夕暮どき、宍道湖の夕日を見るためによく散歩するのですが、風に撓みながらもしたたかに生き抜いている葦に接すると、なんとなく力が与えられるようです。
パスカルではありませんが、人間は一本の葦であり、風や雨にどんなに痛めつけられようとも時が来るまでは決して枯れることのない存在なのかも知れません。
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