冤罪を創る人々vol.4
- 2004.04.13
- メールマガジン
2004年04月13日 第4号 発行部数:201部
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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-
日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ) 昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
http://www.mz-style.com/
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●(第二章)マルサ事案の概要と結末
「5.無罪の確定」より続く
http://www.mz-style.com/item/32
6.不服審判所の裁決
一、 平成15年3月11日、組合が行っていた審査請求について、国税
不服審判所(所長 成田喜達)は、マルサの指示によって原処分庁
(益田税務署)が行った更生処分(税金の追徴のこと)の全てを取
り消す裁決を行った。
64ページに及ぶ裁決書は、原処分庁の弁明を詳細に取り上げたう
えで、全て事実無根として退けた。
二、 第二審の確定判決を踏襲しており、当然の裁決ではあるが、国
税当局自らが、誤りを率直に認めた意義は、計り知れないものがあ
る。
しかも、一点の疑いもない真実の取引であることを明確な言葉で
認定したことは、仮装であり、脱税であるとして証拠を歪曲捏造し
てまで主張しつづけ、不当な税金の追徴をしようとしていた国税当
局の非を自らが完全な形で認めたことを意味する。
三、 私が裁決書を一読したとき、十分には理解できないことがあっ
た。課税処分が一部ではなく、全部取り消されていたからである。
私は、第二審の確定判決を受けて、仮装売買に関する部分の課税
処分が取り消されるのは当然であると考えていたものの、単純な申
告ミスの部分(本税、地方税、過少申告加算税、延滞税、合わせて
2億円位)も含まれていたので、その部分については、課税処分が
残るものと考えていたのである。
四、 2、3日の間、弁護人と共に検討したところ、意味が判ってきた。
五、 原処分庁は、マルサの指示のもとに、平成8年3月6日に、組合
の青色申告承認取り消しの処分をした上で、同年3月25日に、更正
処分(税金の追徴)をしている。
即ち、この更正処分は、すでに青色申告が取り消されているため、
白色申告に対するものとなり、青色申告の場合に要求される「更正
の理由」を必ずしも付記しなくてもよいものだ。
実際に3月25日付でなされた組合の4年分の更正処分の通知書は、
それぞれ一枚だけの簡単なものであり、追徴金額のみ記されており、
「更正の理由」が付記されていなかった。
当時、私は松江刑務所拘置監に拘束されており、弁護人から差し
入れられたこれらの通知書を見て、ずいぶん乱暴なやり方をするも
のだと驚いたことを鮮明に想い出す。
六、 国税不服審判所は、原処分庁が行った青色申告承認の取消が違
法であり、間違っていたと裁決したわけであり、結果的に、組合の
青色申告は過去に遡って復活することとなった。
すると、青色申告の場合には必ず、「更正の理由」をつけなけれ
ばならず、仮に「更正の理由」が付記されていない場合には、その
更正処分は違法なものとなり、取消の対象となり、必然的に無効と
なる。
七、 以上のような理由によって、組合に対してなされた更正処分の
中には、マルサが仮装売買と決めつけたもの(重加算税対象)の他
に、単なる申告ミス(過少申告加算税対象)も含まれていたが、全
て取り消されることになったのである。
八、 この10年間、私は組合には一部支払うべき税金が残っているこ
とを知っていた。
組合の人達との当初の約束通り、それらは全て私が負担する腹づ
もりでいたものである。
不服審判所の裁決がなされるまでの私の計算では、前述のとおり
概ね2億円であった。
(続きはWebサイトにて)
http://www.mz-style.com/item/34
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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
http://consul.mz-style.com/catid/21
「飯塚事件について」より続く
http://www.mz-style.com/item/29
山根治です。高杉良さんは、飯塚毅さんのドキュメントの表題を
「不撓不屈」とされています。
「不撓不屈(ふとうふくつ)」-広辞苑によれば、”困難にあっ
てもひるまずくじけないこと”という意味です。
この言葉の意味を更に考えるために、漢字の通りに”撓(たわ)
まず、屈(くっ)せず”と読んでみます。
撓む、屈するは、それぞれ、
・撓む =おされてまがる。しなう。ゆがむ。
・屈する=かがめる。縮める。折り曲げる。
の意味を持っています。(それぞれ広辞苑)
従って、不撓不屈とは、どのようなことが起ころうとも、一歩も
引かずに、真正面から堂々と立ち向かっていくことを表しています。
高杉さんの描く飯塚毅さんはまさにこの言葉がぴったり当てはまっ
ています。
若い頃から、禅の高僧に師事され、ドイツ哲学にも通暁されてい
る飯塚さんだからこそ言える言葉なのでしょう。
似たような体験をした私の場合はどうでしょうか。この本を読ん
だ私の知人が飯塚さんは私にそっくりだと評しました。本当にそう
でしょうか。
確かに、商業高校出身であることとか、税務署に言いたいことを
言って睨まれ、その挙句公務員から犯罪的なイジメを受けたことは
よく似ています。
しかし、私と飯塚さんとは決定的に違うところがあります。それ
は、私が決して不撓不屈ではないからです。
私の場合は、二つの”不”を取り去った、撓(とう)にして屈
(くつ)、-この言葉がピッタリである考えています。
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