中江滋樹氏からのダイイング・メッセ-ジ-号外
- 2020.04.14
- 山根治blog
カンボジアにいる藤原肇(ふじわらはじめ)さんから電話があった。令和2年4月12日。電話による話し合いは40分にも及んだ。
私が持ち出した「陸軍天保銭組」という言葉に鋭く反応した藤原さんは、「陸軍天保銭組」の実態を明らかにした一冊の本を教えてくださった。
“藤瀬一哉(本名:佐藤肇)著『昭和陸軍“阿片謀略”の大罪 天保銭組はいかに企画・実行したか』(山手書房新社)である。
同時に藤原さんは、著者の佐藤氏と面識があり、2人の対話記録が残っているので、メ-ルで送る旨、約束。令和2年4月12日、その日のうちにメ-ルが届いた。メールには、
「次に予定している本の記事の中からコピーした記事を以下に贈ります。これならば簡単にコピーが作れるはずです。」
とした添え書があった。メ-ル便は、A4版で7ペ-ジ。(古い対話の活字化への弁明)によれば、皇軍の内情に精通していた佐藤肇氏と藤原肇さんは、1984年11月29日に対話している。
続けて藤原さんは次のように述べている。
『(佐藤さんの話は)大島浩中将についての証言だった。歴史の証言として重要な問題を含むので、私は活字にして残したいと希望したのであるが、佐藤さんは生きている間はダメと拒否された。現在の日本が再びファシズムに向かって傾斜を強め、長く病床に伏して亡くなられた佐藤さんの遺志を生かして、ここに歴史の教訓としてこの対談を活字にすることにした。合掌、2003年夏 同志としての藤原肇』
藤原さんから送られてきた7枚のメ-ル便は、まさに刮目(かつもく。目をこすってよく注意して見ること-広辞苑)すべきものであった。
「陸軍天保銭組」のことが判明しただけでない。長年私の中でくすぶっていたいくつかの疑問が解けたのである。歴史認識についておおむね一致する藤原肇さんからのご教示によって、私の想念の中にあるN次元ジクソ-パズルが解けたのである。
私にかかわった点と点が結びついて線になり、線と線が結びついて面となり、面と面が結びついて、立体となり、クラスタ-としての多くの立体が多次元空間で有機的関連性をもって動き出したのである。各クラスタ-の時間軸を貫くキ-ワ-ドが中江滋樹と陸軍天保銭組であった。
詳細は本稿に譲るが、ここでは思いつくままに、項目だけを列挙するにとどめる。
+中江滋樹(陸軍天保銭組関連)。田岡一雄、竹下登、田中角栄、宅見勝、田中森一。
+中江滋樹(詐欺師群像(1))手形パクリ事件。奥出雲町桜井家、田中森一、松原三朗、中村寿夫、岡崎由美子。
+中江滋樹(詐欺師群像(2)-弁護士の群れ。)槙枝一臣、田中森一、松原三朗、筧康生、中村寿夫。
+鬼塚英昭著『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』、他。
+落合莞爾著『京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闇-明治日本はこうして創られた』、他。
+松江中村家所蔵の軍事遺物。
-帝国陸軍エリ-トと軍需工場の遺物。
-東條英教中将揮毫の扁額。
-フィクサ-桑原羊次郎関連。
+スパイとして送り込まれたラフカディオ・ハ-ン。
+織田完之(落合莞爾の“タカス族”の一人)の書と扁額。
+岸清一の銭ゲバ人生。安部譲二、森脇将光著『風と共に去り風と共に来りぬ』
+日本会議と安倍晋三(陸軍天保銭組)。ホテルニュ-オオタニ(星製薬)と麻薬。岸信介、光永仁義、穴吹英隆、元谷外志雄(アパホテル、中江滋樹)。(この項つづく)
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ここで一句。 ”米騒動 時は流れて 紙・マスク” -北九州 智鈴(毎日新聞、令和2年4月14日付、仲畑流万能川柳より)
(評にかえて一句。
“ウイルスでアベノミクスはチャラになり”
-高槻、かうぞう
(毎日新聞、令和2年4月14日付、仲畑流万能川柳より))
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