006 真相との相違点と証券金融事業における私の経営理念2
- 2016.08.23
- 山根治blog
※005 真相との相違点と証券金融事業における私の経営理念より続く
***六、公正な裁判とは何か
視点を変えて申しますと、検事が人質をとったりしてまで、インチキ調書を捏造したことは、真実に基づいて起訴したのでは、「無罪」となってしまう可能性があるためであり、わざわざ「57年3月金が無かった」とか、「赤字だった」とか、「返済できなかった」とか、「始めから取り次ぐ意思がなかった」という事実に反する虚構の調書を捏造したのではないかと思うしかなく、法律の素人である私には納得がいかないのです。
「57年3月、最低5億円以上の株を保有していた」「返済できる資産は十分あった」「始めは取り次ぐ意思があった」、これが、今では客観的に証明される真相です。これらの真相を認めても尚、営業に行き過ぎる点があったので、詐欺であるといわれるのなら、私は何の心残りもありません。真実の下で裁かれて、何の反論がありましょうか。
何故、検察は真実を踏まえた上で、起訴論告をしてくれなかったのでしょうか。
私は、取り次いでいない株もあったことは認めていたのです。現在も当裁判所において認めております。
裁判所の方針は、「公正で迅速かつ正確なる裁判」であることを聞きました。この方針を遂行していくためには、検察、警察に真実に基づいて起訴させることこそ、もっとも大切なことではないでしょうか。検察が、真実の下に起訴してくれたなら、「その通りでございます。後は、裁判長の判断をお願いいたします。」と私が申し述べて、終わっていたことです。
私は、迅速、正確な裁判となるように、できる限り協力してまいりました。しかし、迅速で正確な裁判のためには、何よりも検察の真相に基づく訴追こそ、最低の基本的な必要条件であると確信いたします。公正で迅速かつ正確な裁判という裁判所側の方針を、今後とも徹底していただくためにも、私の裁判の判決において、検察、検察への厳しい叱咤叱責をお願い申し上げる次第でございます。
ともあれ、57年7月、顧問弁護士3名に証券会社に取り次がないことについて、わざわざ検討させ、「詐欺にはあたらない」と回答をもらったのですから、今さら、刑法上詐欺といわれても、事業家としては当時取り次がなくなったことについては、何ら恥ずべきことはなかったとしか、言いようがございません。事業家として、法律上の検討は顧問弁護士に十分させ、その回答の後から取り次がなくなったわけであり、仮に、法律上私のやったことが詐欺と認定されたとしても、法律に素人である私には防ぎようがなかったのです。
もしこの時、弁護士3名が「法律違反である」と言っていたなら、私は取り次ぎをしないなんていうことは、絶対にありませんでした。私、中江滋樹は、日本国刑法を平然と犯すことなどできる人間ではありません。
***七、預り金を返済していた事実と返済能力があった事実
次に事業家、経営者として、顧客から預かった資金に関しては100%返済を続けたことについて申し述べます。
「経済的効果が同じなら、刑法的に問題ない」との弁護士の見解を信じた私は、保有していない株も取り次ぎをしなくなり、保有していない株の分譲を社員に認めたりしていきましたが、経済的効果を同じにしての返済は、少なくとも、59年2月末までは遅延することなく、100%実施してまいりました。無論、営業マンは資金と株式を引き出さないでもらうために、営業努力はしたことでしょう。これは、銀行の営業マンでも、証券会社の営業マンでも皆同じことです。当社は、投資信託や証券会社系投資顧問にヒントを得て、解約、出金の窓口は営業サイドではなく、各金融会社の総務部門に権限を与えておりましたので、銀行、証券会社等より引き出しはかえって楽であったはずです。
すなわち、お客様は、営業マンがいかに言おうとも、返済を受けたい時は、各証券金融の総務窓口に連絡すれば、確実に返済を受けられたということです。社内ルールでも、顧客が引出したいと言えば、営業マンがいくら成績のために、「返済しないでくれ」と頼んで来ても、返済は顧客の意思を最優先でするようにと、各証券金融に命令しておりました。59年2月末までは、少なくとも、顧客は自分の意思に基づいて返済を受けることが100%可能だったのです。「経済的効果を同じにしての返済」という弁護士の見解を忠実に実行していたのであります。今、起訴状に記載されている関係被害者の皆様方の中で、59年2月までに入金してくださった分は、59年2月までに出金を要請しておられたなら、一日も遅れることなく100%返済を受けていただけたということです。
私は「経済的効果を同じにしての返済」を、現実に毎日毎日実行すると共に、将来においても、経済的効果を同じにして返済できるように、事業家、経営者としてあらゆる場面を想定し、リスクのヘッジをしていきました。
「経済的効果を同じにすること」が、刑法を守ることとなると信じていたからです。私は会社の中で二言目には「経済的効果を同じにして返済すれば問題ない」と言っていました。多くの証言によって明らかとなっている通りです。まさに私はこの「経済的効果を同じにすること」を証券金融事業の根底としてきたわけです。
事業の根底である以上、どんな場面、どんな局面においても「経済的効果を同じにする」ということを最優先とし、経営方針を決定していったことは、ご理解いただけたでしょうか。
逆説的に述べるなら、取り次がないこと自体が、大きなヘッジとなっていたのです。この意味は、よほど株というものに精通し、証券金融というものの仕組みと、貸す側の危険性というものを理解していただかないことには、わからないと思います。
私は注文を取り次いでいなかったわけですから、金融の仕組みや、株というものや、顧客の心理というものに精通していない人が悪意に考えたとしても、当然なのかもしれません。しかし、それは大きな「誤解」なのです。今から説明することで、その誤解が少しでも解けることを祈ります。
総合的に考えて、「取り次ぎをしないことによって経済的効果を同じにして返済できる可能性の方が、取り次ぐことにより返済できる可能性」より確率が高いということです。私は何度も取り次ぎをキチッとしようと試みましたが、結局また、取り次がなくなってしまいます。これはまさに、将来にわたって「経済的効果を同じにする」ということを優先したからなのです。取り次ぐことによって、証取法における適法性が灰色ではなくなり真っ白になったとしても、その取り次ぐことによって、将来大暴落が来た時、返済できなくなってしまう顧客が出る可能性が高くなってしまうのです。
***八、事例による説明
例として、今ここに1000万円を当社グループの証券金融に預けて、株式売買をしている人が100人おられたとします。この100人のお客様は、それぞれ10倍まで株を買うことができます。ただし、当社はなるべく5倍以内、できることなら3倍と社内規制をしておりました。この場合では例として、5倍融資ということで考えてみます。
1000万円を元金として5倍まで100人の人が買えば、50億円の買い付け株となります。その50億円分の買い付け株を担保にして、当グループが親金融から掛け目8割として、40億円を借り入れ、その40億円を顧客に融資するということになります。50億円分の株の買い付け代金は、顧客の元金10億円に当グループが親金融から借り入れてきた40億円をプラスしてまかなわれるわけです。当社の自己資金は要りません。さて、ここで、100人の顧客がまちまちの銘柄を買うわけです。
ここでは、仮に50億円の70%分の35億円分、「関東電化」と「旭電化」等の投資ジャーナル銘柄を買っていたとします。残りの15億円分は、その他雑多な株を顧客が自らの判断で買っていたとします。これらの株を50億円分、親金融へ入れて、私は40億円親金融から借りて、各顧客へ貸し付けていることになります。
大暴落が来たとします。過去の平均は、ダウで20%下げ、個別銘柄だと約40%下げます。当社の銘柄は長期的には上昇するとはいえ、大暴落が来たら、やはり同じように暴落します。私が値段を管理しているわけではないからです。
今一度言っておきますが、投資ジャーナル銘柄というのは、仕手株ではありません。
ただ、他の銘柄よりはパニックの度合は低いでしょう。と申しますのは、私のところを利用して株を買っている人々の投げを、ある水準からは私が市場に出さず、私が場外で引き取るからです。しかし、市場全体が暴落している時は、それでも更に下げるかもしれません。
投資ジャーナル銘柄が、ここでは2割下がったとします、35億円分の株が28億円になります。投資ジャーナル銘柄以外の株は4割下がったとしますと、15億円の株券の評価が9億円となってしまうのです。親金融へ差し入れていた株式の評価額が、50億円から37億円ヘと下がってしまいます。すなわち、50億円分の株券で40億円借り入れしていたのが、37億円の株で40億円借りることになるのです。当然、この穴、つまり借入金を下回った3億円分を、私は親金融に直ちに埋めなければなりません。それにプラスして追い証が来るでしょうが、追い証というものは、待たせるのが証券界の常です。この追い証については、別のところで詳しくご説明申し上げます。追い証は待たせることができても、3億円分の穴はすぐに私自身、親金融へ埋めねばなりません。何故なら、親金融は私へ貸しているのであって、私の顧客へ貸しているわけではないからです。ついでながら、追い証と穴とは違うということです。検察はこの2つを混同して使っており、分かっていないのです(注、穴とは元金を割ることです)。
さてここで、100人の顧客を分けて考えてみます。顧客の内、60人は投資ジャーナル銘柄ばかりを買っていたので、2割下げて元金がなくなっただけとし、25人は投資ジャーナル銘柄以外を15億円分、投資ジャーナル銘柄を3億5千万円分買っていたとし、残りの15人は投資ジャーナル銘柄を現物で1億5千万円分買っていたとします。この25人の人達の損は6億7千万円です。つまり、この人達は、2億5千万円分私共へ預けて、6億7千万円損をした、すなわち4億2千万円の穴を空けたわけです。この25人の人達に対して、当社は損失に相当する4億2千万円の債権を持つことになり、これら25人の顧客から回収せねばなりません。しかし、すぐに回収することは無理です。ところが、残りの15人の投資ジャーナル銘柄を現物で1千万円分ずつしか買っていない15人の人々の出庫には、必ず応じないといけないわけです。この場合だと、1億5千万円分です。
以上のようなことが、大暴落の時想定できるのです。
すなわち、当社は25人の顧客に対しては債権を持つことになるのですが、この債権は直ちに回収できませんので、いわば当社の不良債権ということになります。このことをよくご理解ください。ただ、そうなる前に売ってしまうか、顧客から追い証を取れば良いと考えられるかもしれませんが、それは大暴落の時には事実上不可能でございます。以上のことを踏まえた上で、以下のことをご理解ください。
***九、三つの利点と二つの欠点
証券金融を実際にやってみて、初めて、予想以上に投資ジャーナル銘柄以外を顧客が買うことがわかりました。すでに申し述べたところでございます。そしてそこへ、弁護士団の「経済的効果が同じなら問題ない」という見解があったわけです。私は総合的に判断して、結局、「取りつがないで経済的効果を同じにする」という道を選び、その後もその道を進んでいきました。と申しますのは、「一部取りつがないで、経済的効果を同じにする」というやり方こそ、以下の点で最も良い方法だったからであります。利点は3つありました。
*一つには、自由投信論の矛盾を解決してくれました。
*一つには、大暴落時のリスクがなくなりました。
*一つには、刑法上問題がないということでした。
一方、「一部取り次がないで経済的効果を同じにする」というやり方の欠点は、二つだけでした。
*一つは、大暴騰相場の時、投資ジャーナル銘柄以外での顧客の利益が、私の利益を上回ることです。
*もう一つは、証取法上、灰色だということです。
三つの利点と二つの欠点です。
まず三つの利点について考察してみますと、1つ目の自由投信論の矛盾は、まさに投資ジャーナル銘柄以外の売買で、顧客が損をしてしまうということでしたから、証券会社に取りつがなくすれば、矛盾は一挙に解決するのです。顧客の損を証券市場でなくすのではなく、身内のような当社にそれに相当する利益が入ってくるのですから、その利益を原資として分譲で返すこともできるわけです。身内のマージャンみたいなものです。2つ目の大暴落時のリスクが無くなることは、先程の例からも容易にご理解いただけることと思います。
実際に取りついでいるのが投資ジャーナル銘柄だけなら、同じ大暴落しても、何とかして立て直すことができるのです。それこそ、そんな時は、ハメコミをしてでも、投資ジャーナル銘柄を会員相互で守ることができるわけです。
3つ目は、先程から繰り返し説明してきております、顧問弁護士3名の見解です。私は刑法を犯してまでも、事業をする気は毛頭ありませんので、「刑法上問題ない」ということは絶対条件でした。そして、それが弁護士団の見解でクリアされたと考えたのです。
これだけの利点に比べ、欠点の2つは、よく考えてみるとさほどの問題ではありませんでした。
大暴騰相場が来て顧客の利益が、私の売買益を上回るということに関して申しますと、それだけ活況な相場なら顧問料の収入も多くなりますし、顧客の引き出しも一斉に来ることはありえませんので、全体として絶対に経済的効果を同じにできると考えました。
顧客全体が100億円の元金で、仮に30億円儲かったこととなり、私が20億円しか儲からなかったとしても、10億円のギャップは利益のギャップであり、損のギャップではありませんので、返済に支障はありません。
成功報酬としての顧問料の値上げ、金利の値上げ等、幾らでも方法がありますし、永遠に私の利益が顧客全体の売買益より少ないことはあり得ず、一過性のものに過ぎないと判断できました。
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