モラロジーの呪縛-①

 モラロジー(Moralogy)は、広池千九郎という人が造り出した言葉である。モラル(道徳)にロジー(学問、論理)をくっつけた和製英語だ。日本語では道徳科学といい、それは科学である故に唯一無二の教えとされ、普通道徳と区別して最高道徳と名づけられていた。科学を標榜(ひょうぼう。行動の目標や理由づけと・する(して、ある主義・主張を公然と示す)こと。-新明解国語辞典)する宗教である。現在派手な広告を打っている「幸福の科学」と同じようなものだ。

 私が日本語ではない言葉を覚えたのは、このモラロジーが最初であった。もの心つく頃から私のまわりでモラロジーという言葉がごく自然な形で飛びかっていたのである。月に何回か自宅で「研究会」という名の集会が開かれていた。モラロジー信奉者(モラロジアン)の家庭において持ち回りで開催されていたようだ。
 私の実家は、15坪という猫の額ほどの土地に建つ小さな家である。店が大半を占め、部屋といったら6畳と3畳の二間しかない。「研究会」は夜の集会であったが、当然のように私も参加させられた。私の居場所がないからだ。
 そのような状態はもの心つく頃から始まり、幼稚園、小学校、中学校、高等学校と、私が大学に進学するために松江を離れるまで続いた。
 月に一度は、揖屋(現在は松江市東出雲町揖屋)の「教会」に、祖母あるいは母と共に通った。「教会」といっていたのは、ここが天理教の島根支部を兼ねていたからだ。広池千九郎氏はもともと天理教の信徒であり、その直弟子であった揖屋の塚谷政蔵さんもまた天理教に関係していた。
 天理教については祖母が熱心な信者で、松江の東本町にあった分教会によく連れていかれた。大音量の太鼓の音とともに、

“悪(あ)しきを払うて 助けたまえ
  天理王のみこと”

という唱句を参列者一同が大声で発した。60年以上前のリアルな情景が、強烈な太鼓のリズムと独得な節回しの唱句と共に脳裡に蘇る。
 年に一度位であったろうか、「特別研修会」という名の研究会が開かれた。モラロジーの集中講義である。本部から偉い先生がお見えになって、3日ほど昼間ぶっ通しの講演が行われることになっていた。これには小学校の中頃から参加した。
 広池千九郎という人は、「世界四大聖人、つまり、孔子、釈迦、ソクラテス、キリストの教えを総合して道徳の神髄を究め、万巻の書を読み、独学で東京帝国大学の法学博士号を得た偉い方」であると教えられ、モラロジアンにとってはまさに神のごとき存在であった。天皇・皇后両陛下の写真の横に、広池博士の写真が飾られており、私の家では朝晩礼拝するきまりになっていた。私の実家には今なおそのままの形で飾られている。

慈悲寛大 自己反省
同化神意
自我没却

 この3つのフレーズは、モラロジーの中心理念を示すものとして広池博士の肖像写真に書き込まれているものだ。
 漢籍に素養の深かった広池博士が考え出した教えだけに、上記3つのフレーズ以外にも難しい漢字のオンパレードであった。
 私は幼稚園の頃から、モラロジーに関連する多くの漢字を意味がよく分らないままに暗記した。門前の小僧、習わぬ経を読み、といったところである。

 小学校5年の時であった。例年のように「特別研修会」が薬卸商・王水堂の京店の別荘で行われた。ここは、明治時代に松江を訪れたラフカディオ・ハーンが滞在した湖畔の宿として知られており、街中にありながら静寂な別天地の趣きがあった。学習する場にふさわしい凛とした雰囲気が漂っていたことを鮮明に覚えている。
 東京からおいでになった講師が日本書紀に触れたときのことである。私は、講話にでてきた言葉に敏感に反応した。
 神武天皇東征の折、熊野の山の中で「尻尾(しっぽ)のある人間」に出会ったというのである。「尻尾のある人間」? それはいったい何ものだ。神武天皇といってもたかだか2600年ほど前の人物だ。現生人類(ホモ・サピエンス)はもちろんのこと、当時知られていた北京原人とかネアンデルタール人といった原人でさえも、尻尾があったなど聞いたことがない。それがどうして日本の熊野の山の中にいるのか?
 偉い先生の話である。誰も質問などしようとしない。一様に珍しい話として真面目に耳を傾けている。質問して問い質す雰囲気など全くない。
 広池博士の教えは絶対的なものだ。講師の先生は、道徳科学の教えを一般に普及するために派遣された方であり、その一言一句に間違いのあろうはずがない。モラロジアンの全てが堅く信じて疑わなかった。疑問を呈することなどトンデモないことだった。

 モラロジーの教えの前提に、万世一系の天皇家という考えがある。これは数学の公理のようなものとされ、絶対的な真理として、疑いをさしはさむことは厳しく禁じられていた。
 しかし、私は小学校の頃から、「万世一系」とは一体何だろうか、よく理解できなかった。私にとっては疑問であり公理ではなかったのである。
 このような疑問を抱いていた矢先に飛び込んできたのが「尻尾のある人間」であった。これらの疑問はしばらくの間、私の記憶の隅に追いやられていたが、中学・高校と進むうちに、無意識のうちに次第に増幅していったようである。

(この項つづく) 

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 ここで一句。

”行間がとてもきれいな話し方” -神奈川、カトンボ

(毎日新聞、平成27年1月30日付、仲畑流万能川柳より)

(間(ま)。)

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