400年に一度のチャンス -10

***10.トヨタ蹉跌の教訓

 これまで、

+日本は世界有数の豊かな国であり、決して破産しない。

+政権交代後の政局の混迷は、50年に及ぶ自民党政権のウミ(矛盾)に起因するものである。

とする現状認識を述べてきた。

 これからの方向付けをし、しかるべきアクションを起すためには、何よりもしっかりした現状認識が必要だ。的確な現状認識ができてさえいれば、これからどうすればよいかといった方向付けをするのはさほど難しいものではない。逆に、現状認識に誤りがある場合には、いかなる方策を考え出そうとも無意味である。提言が空回りするだけのことだ。

 閉鎖感に満ちた日本にあって、総理大臣をはじめ、様々な立場の人々が思いつくままに勝手なことを喋り、提言しているが全て空回りしている観が強いのは、前提となる現状認識が誤っているからである。



 二年前私は、企業の現状認識についてトヨタ自動車を取り上げ、概ね次のように述べた。

“トヨタが大幅な赤字に転落したのはリーマン・ショックによるものではない。2年連続して史上空前の2兆円を上回る利益を出していた時点で、トヨタの財務状況はボロボロであった。過去10年に及ぶトヨタ経営陣の経営戦略の失敗、とくに財務戦略の失敗がここにきて表面化しただけのことだ。”

 実は同時期、日産自動車についても同様の分析をし、文章にまとめようとしたことがあった。カルロス・ゴーン氏が日産自動車の現状認識について、余りにも無責任なことを平然として喋っていたことに強い異和感を覚え、取り上げようとしたものである。カルロス・ゴーン氏の言い分が、日産自動車が開示している財務諸表の数字と矛盾していることを指摘した内容である。しかし1回分だけ書き上げた段階で気が変り、結局公表しなった経緯がある。
 今回、現状認識についてのケース・スタディとして、問題提起と結論、結論に至る根拠の概略を記した初回分を公開することにした

 トヨタも日産も日本を代表する会社である。しかも上場企業だ。開示が義務付けられている財務諸表をじっくりと分析すれば、企業の真実の姿が自(おの)ずから浮かび上がってくるようになっている。日本の会社だけではない。信頼できる財務諸表が開示されてさえいれば、アメリカ、ヨーロッパ、あるいはインド、中国など、どこの国であろうとも会社の実態をほぼ正確に把握することは可能だ。

 ひるがえって、国の場合はどうなのかを見るに、開示されているデータはオソマツの一語に尽きる。
 たしかに、国の財務状況についても毎年、「国の財務書類」なるものが財務省主計局によって作成され、公表されてはいる。
 これは、平成12年10月、「国の貸借対照表の基本的考え方」が、6人の識者とされている人達によって示されたことを受けて作成されているもので、毎年とはいっても年度末から1年3ヶ月も遅れて公表されているものだ。財務省も6人の識者も、

“財政政策の説明責任(アカウンタビリティ)”

を向上させるものである、と自画自賛しているが、果してそうか。
 平成20年度についていえば、
+国の財務書類
+一般会計書類
+連結会計書類
の3つに分けて、合せて193ページにも及ぶものがもっともらしく開示されている。(「平成20年度 国の財務書類:財務省」参照)
 しかし、財務省はこのような書類によって、財政政策の何を説明しようというのであろうか。
 たしかに、これまでは省庁ごとにバラバラで、国としてまとまった財務書類の開示はなされてこなかった。まとまったデータが開示されはじめたことは一歩前進であり、その点については評価できる。
 しかし、現在のところは単なるデータの寄せ集め以上のものではなく、この財務書類から直接に国の財務内容を分析することなどできるわけがない。
 私がかねてから提言(「郵政民営化 -2つのゴマカシ」参照)しているのはこのようなシロモノではない。パブリック・セクターの実態が一目で分かるような計算書、しかもGDPとの関連性が有機的に明示されている計算書、このようなものがなければ、国の政策の要である財政政策を検討することができないからだ。ただGDPそのものがいいかげんなデータの寄せ集めにすぎない現状では、眼光紙背に徹する姿勢でそれぞれバラバラなデータを解読するしか方法がないのかもしれない。

***[付記]
 本稿は、東北関東大震災より前に書き上げたものであるが、日本経済に対しての基本認識については基本的に変らない。このような大きな試練を乗り越えていくだけの力が日本には十分にあるということだ。唯一の不確定要因は福島原発の事故であり、できるだけ早い収束を祈るばかりである。

(この項つづく)

 ―― ―― ―― ―― ――

 ここで一句。

“美の基準数ミリの差がものを言う” -札幌、白野わんこ

(毎日新聞、平成23年1月7日付、仲畑流万能川柳より)

(目の美人、鼻の美人、口の美人、スタイルの美人、足の美人-果して全体は?

 清少納言が一目も二目も置いていた藤原行成。一条朝の四納言の一人であり、後世三蹟の一人と称された貴公子である。この人物、
“まろは、目は縦(たて)さまに付き、眉は額(ひたひ)さまに生(おひ)あがり、鼻は横さまなりとも、ただ口つき愛敬(あいぎょう)づき、頤(おとがい)の下、頸(くび)清げに、声にくからざらむ人のみなむ、思はしかるべき。とは言ひながら、なほ、顔いとにくげならむ人は、心憂(こころう)し”と言い放ち、“頤(おとがい)細う、愛敬(あいぎょう)おくれたる”女房共をカリカリさせていたという(枕草子46段)。定子後宮の才女と、能筆の賢臣。「とは言ひながら」のところで、思わず吹き出してしまうこの文章、1,000年前の二人の姿が鮮やかに浮かび上がってくるようである。)

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