400年に一度のチャンス -9

***9.パフォーマンスとしての事業仕分け

 政権交代を印象付けるようなパフォーマンスが、鳴物入りで行なわれたのは一年ほど前のことだ。いわゆる事業仕分けである。現在の枝野幸男官房長官、蓮舫行政刷新担当大臣が連日のようにマスコミに登場しては、役人達を相手に大立回りを演じてみせた。悪代官を懲らしめる水戸黄門の助さん、格さん、あるいはやくざ者とか悪徳商人を裁く遠山の金さんよろしく、大見得を切ってみせたのである。

 一体、あの事業仕分けとは何であったのか。国家財政の全体像を明確に把握しないで、枝葉末節をつつき回しただけではないのか。大山鳴動して鼠一匹、主な成果といえば、埋蔵金と称して各種積立金の取崩しを提案しただけのことではないか。埋蔵金を発見したとばかりに大騒ぎしていたのであるが、何も隠してあったものでも何でもない。キチンと決算書に明示されているもので、秘密でも何でもない。取崩しをして使うことは自由であろうが、使うとしても一度きりのものである。国家財政の、一時的なツジツマ合わせにはなるものの、財政の根本的な建直しとは関係のないものだ。

 財政の見直しを行ない、国の経済の健全化を目指そうとするならば、ズバリ歳入と歳出を抜本的に洗い直さなければならない。
 2009年8月の総選挙の際に、民主党が掲げたマニュフェストの基本は、

「国の総予算207兆円を全面的に組み替える」

ことであった。つまり、歳入よりもまず歳出を徹底的に見直すというものだ。
 マニュフェストでは、

“税金は、官僚と一部政治家のものではありません。国民の税金を、国民の手に取り戻します。”

と威勢よく切り出し、

“国民生活にとって必要なものは何か? 必要なものは増やし、そうでないものは削る。明快な基準で全てを組み替えた予算が、あなたの暮らしを良くします。”

と言い切って、国民に具体的に約束したのである。

 民主党政権に移行してから一年半、国の総予算207兆円に対してどのように切り込み、組み替えをしようとしているのか、その取り組みが見えてこない。この点に関しては、半世紀も続いた自民党政権の単なる延長にすぎないのではないか。
 これまでは官僚と一部政治家が好き勝手に税金を食い散らしてきた。この反省に立って、一般会計、特別会計を合わせた207兆円を全面的に見直し、国民の税金を、国民の手に取り戻すと約束したにも拘らず、ズルズルと元の木阿弥になりつつあるのではないか。
 何故このような事態に立ち至っているのか、その原因はすでに述べた財務省の戯言(たわごと)をそのまま放置していることだ。面従服背、役人どもは狡猾だ。民主党政権は財務省の役人達に騙されているのである。
 真剣になって総予算207兆円を全面的に見直すというのであれば、明確な基本方針を打ち出さなければならないのに、自民党時代の手垢のついた「基本方針2006」を後生大事にしている財務省の役人達の言うままになり、お釈迦様の手の平から抜け出すことのできない孫悟空のように、財務省の役人の手の平で踊らされているのである。
 しかも、平成20年9月に財務省が「日本の財政を考える」という役人に都合のいいレポートを公表した時の財務大臣が、あろうことかこの度の改造菅内閣の主要ポストに据えられた与謝野馨氏である。菅首相は、税と社会保障について与謝野大臣に責任をもってやってもらうと、組閣時の記者会見で述べていたが、マンガである。
 菅首相が本気で、この麻生政権における元財務大臣に仕事をさせたいというのであれば、まず与謝野氏の責任で公表した「日本の財政を考える」(平成20年9月)を現在の財務大臣と相談した上で破棄し、民主党のマニュフェストに沿った新しい「日本の財政を考える」を開示して、財務省の基本方針とすべきである。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“廃止して他で復活する仕分け” -さいたま、火星落花生

 

(毎日新聞、平成23年1月21日付、仲畑流万能川柳より)

(モグラたたき。)

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