脱税摘発の現場から-1
- 2010.07.13
- 山根治blog
***1.暴力装置としての徴税権力
私が「冤罪を創る人々」によって、自らの実体験の詳細を公表してから6年が経過した。暴力装置としての徴税権力が、一方的な思い込みと予断によって私を大型脱税事件の主犯と決めつけ、証拠の捏造、隠匿、隠滅など、およそ考えられないような数々の犯罪的工作を行って私を断罪した事件である。ちなみに、広島国税局によるこの査察事件の第一審の判決書は、本文だけでも440ページに及ぶ長大なものであるが、その全文が「無罪事例集 第6集」(日本弁護士連合会 刑事弁護センター)におさめられている。
脱税の摘発を行なっているのは、一般の税務調査ではない。通常の税務調査については、犯罪捜査のために行なってはいけないことが、わざわざ法律で次のように明記され、クギをさされているからだ。「質問又は検査の権限(注.税務職員の質問検査権のこと)は、犯罪捜査のために認められたものと解してはならない。」(所得税法第234条第2項、法人税法第156条、相続税法第60条第4項) 犯罪捜査-つまり脱税犯の摘発を行なっているのは、各国税局におかれている査察部門、「マルサの女」で有名になったマルサである。「国税犯則取締法」にもとづく強制調査であり犯罪捜査である。この法律、明治33年に成立した古色蒼然としたシロモノで、俗にコッパン法と呼び慣らわされている。
コッパン法の冒頭から出てくるのが収税官吏という言葉だ。わずか22条ほどの短い法律の中でナント33回も出てくる。収税官吏のオン・パレードである。大日本帝国憲法下における「お上(かみ)」を象徴するような名称である。
この収税官吏という名称、当然のことながら脱税摘発の現場で今でも生きている。マルサの連中の肩書は通常、国税査察官だ。収税官吏よりはるかにカッコいい。うす汚れた「みつぎとり」のイメージがキレイに払拭されているスマートな名称だ。しかし、法律上はあくまでも収税官吏であるから、彼らは国税査察官証票だけでなく収税官吏章も必ず携帯している(「冤罪を創る人々」藤原孝行 国税査察官証票)。
検察に告発(国税犯則法第12条ノニ)する時も、収税官吏の肩書である。しかも、告発者となるのは、国税局長でもなければ査察部長でもない。あるいは現場の責任者(私のケースでは、大木洋統括国税査察官。“「冤罪を創る人々」大木洋 経歴”参照。現在はTKC会員の税理士)でもなく、嫌疑者を直接取り調べたヒラの査察官(私のケースでは藤原孝行国税査察官。“「冤罪を創る人々」藤原孝行 経歴”参照)である。つまり私の場合、告発者となったのは、収税官吏の肩書を付した藤原孝行氏(現在、甘日市税務署法人課税第三部門統括調査官)であった。
収税官吏とはズバリ貢取(みつぎと)りのことである。洋の東西を問わず、一般庶民から忌み嫌われてきた存在だ。作家の山本夏彦は税務署員のことを税吏、つまりみつぎとりと呼び、銀行員のことをカネカシ、つまり高利貸と呼んで蔑視し、共に賤業であると言い放った。(「冤罪を創る人々」強制調査 初日 ― 平成5年9月28日(火))
キリスト教の聖書は、古代ローマの取税人が苛烈な税の取り立てを行なっていたことについて、
と伝えて戒めている。
日本においても、万葉の歌人山上憶良が、
「憂いなげき、かまどにはものをたく火気も立たず、こしきには蜘蛛の巣が出来、ご飯をたくことも忘れて、うめき声を立てているのに、極端に短い物の端を切るという諺のように、苔杖を持つ村長の声は、ねてるところまで来て呼び立てている。」(澤潟久孝訳)
と詠み上げて、みつぎとり(里長-さとをさ)の苛酷さを活写している。
古今東西、収税吏(みつぎとり)が一般庶民から蛇蝎(だかつ)の如く忌み嫌われてきたのは決して故なきことではないようである。
***(追記)
北野弘久先生(「凛にして毅なる碩学、北野弘久先生」)がお亡くなりになった。訃報に接して涙が止まらない。本稿は、北野先生にこそ読んでいただきたいものであった。しかし、幽明境を異にすることになった今、それはかなわぬことになった。残念である。このために本稿は、先生の御霊前に捧げることとし、改めて先生から受けた学恩に感謝申し上げ、先生のご冥福をお祈りする次第である。
―― ―― ―― ―― ――
ここで一句。
(半世紀、我が家は常にそうでした。)
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