保守王国の悪あがき-3

 しなくともよいだけでなく、してはならない公共事業の典型が、私達地域住民の反対運動によって中止に追い込まれた、かつての宍道湖・中海淡水化事業であった。以下の記事(「ハゲタカの乱舞」)は、今から25年前に地元経済誌(週刊)に寄せたものである。この亡国の事業ともいえる淡水化事業は、昨今、旧勢力である島根の自民党筋が、なにがなんでも推進しようと画策している大橋川改修事業と余りにもよく似ており、政・官・業の癒着という点に関しては同一の構図である。

 初めに予算の分捕り、即ち事業ありきとばかりに、本来の目的である農地と用水の確保は片スミに追いやられ、淡水化した場合の湖の水質など知ったことではないとばかりに、強引に旗ふりをしてきた農水省と島根県・松江市当局。片や、治水効果のほとんどない治水事業を、当初予算の3倍にも水増しをして、街づくりの一環というインチキの衣を着せた上で、何がなんでも強行しようとしている国交省と島根県・松江市当局。この裏で操っているのは、この島根では公然の秘密である“天の声”。一部土建業者のために、更には、その業者から政治献金という名のワイロをかすめ盗る“天の声”のために、莫大な血税が島根の地で食い荒らされてきた現実。まさに淡水化事業と大橋川改修とはウリ二つである。いつまで続くヌカルミぞ、利権あさりに明け暮れる政治家と業者は、この島根の地から早く消えて欲しいものである。

(この項つづく)

ハゲタカの乱舞

 淡水化についての中間報告が公表されてから、再び賛否の声が大きくなってきた。
 多くの科学者によって、淡水化したらアオコというバクテリアが大発生し、宍道湖は死の海になってしまうことが指摘されている一方で、農林水産省とその側に立つ学者は、淡水化すれば塩分躍層がなくなるため水がよくまじるようになり、水底まで酸素が届きやすくなることによって水質はよくなると主張している。
 いずれが正しいのか、現在の科学のレベルでは断定しがたいというのが正直なところらしい。
 学問的にはともかく、過去の実例を見れば、淡水化したところは一つの例外もなくアオコの大発生に見舞われ、水が腐っていることは事実である。
 日本第二位の湖である霞ヶ浦は、眼をおおいたくなるような惨状を呈しているという。アオコのおそろしさは想像以上のものだ。
 私たちのあやまちを宍道湖で繰り返さないで下さい-霞ヶ浦で育った佐賀医師の生々しいレポートは、私達に大きな衝撃を与えた。淡水化された霞ヶ浦が、数年のうちにアオコというバクテリアの異常発生によって、死の海になっていった現実に眼をそむけてはならないだろう。

 かつて「白い巨塔」という映画を見たことがある。田宮二郎演ずるところの、財前五郎という医学部教授をめぐる話である。
 細部については覚えていないが、今でも鮮明に記憶していることがある。
 財前五郎の執刀によって手術が行われ、結果的に患者が死亡した。
 医療過誤が法廷で争われた際の結論は、財前教授の手術は完璧であり、ミスはなかったというものであった。
 しかし、手術を受けた患者が死んだことは厳然たる事実である。
 財前教授は、責任を問われることなく権力の階段を登っていく-。

 宍道湖は、手術台にのせられた患者である。
 財前五郎ならぬ農水省の執刀によって、生きたままの解剖実験が行われようとしている。
 両県知事をはじめ、関係市町村長は生体実験を手伝う助手である。
 地域住民はそれぞれの思いを抱きながら、歴史的な生体実験をかたずを飲んで見まもっている。
 一部の農民は、自分たちの農業用水さえ手に入れば、患者が死んだって構わないと思っている。
 患者を生活の支え、心の支えとしている漁民をはじめ、多くの人々は見通しのはっきりしない生体実験は中止してほしいと切実に願っている。
 今まで一つの例外もなく、成功したことのない手術だからである。
 それでも生体実験は断行された。淡水化試行というごまかしの言葉を用いて、後戻りのきかない実験が強行され、患者である宍道湖は死の湖となった。
 執刀医たる農水省は手術においてミスのなかったことを強調し、宍道湖が死んだのは淡水化という手術のためではなく、流入汚水量の増大にあるとし、アオコの大発生は当時の科学レベルからは予知することが難しかったと強弁するであろう。
 御用学者である京都大学のM教授とか、島根大学のA教授などは執刀医の強弁を理論的に補強するであろう。
 彼らのミスは、理論的に証明されないことをもって無罪放免となった。
 だが、患者である宍道湖は死んでいる。
 平田地区の一部農民は、屍肉に群がるハゲタカのように宍道湖の死体をついばみ、死の舞いを演じている。宍道湖の死体をもとに、ハゲタカ農民が富み栄えるのである。

 宍道湖は一体誰のものであろうか。たんに農民のものでもなければ、漁民のものでもない。さらに、現代に生きる私たちだけのものでもないはずである。二十一世紀以後に生まれてくる、後世の人達のものでもあるはずだ。
 水は人間生活の基盤であり、経済生活の基盤である。今一度私達は原点にたちかえって考えてみる必要があるのではないか。

(山陰経済ウイークリー 昭和59年9月25日号「明窓閑話(182)」より)

 ―― ―― ―― ―― ――

 ここで一句。

“持ち出しで 政治やる人 なぜ責める”  -神戸、安川修司。

(毎日新聞、平成21年12月18日付、仲畑流万能川柳より)

(鳩山さん、気にすることは全くありません。50年以上にわたる自民党政権とその取り巻きによる食い荒らし。その間、傍若無人の振舞いで、国民の税金を盗みとってきた連中が、自分達の悪行は棚に上げて、一体何をブツクサ言うのか。笑止千万である。)

Loading