100年に1度のチャンス -19

 前回示した4つのキーワード、

+工業立国

+貿易立国

+大量消費

+食料輸入

について、一つずつ吟味していきます。

 まず、1.の工業立国について。
 この20年来、日本の工場は低いコストを求めて中国、ベトナム、インドネシア、ミャンマーなどの発展途上国へと向っていきました。いきおい日本国内における工場地帯は空洞化し、なかでも地方の空洞化が目立つようになりました。空洞化を埋めるために各地方は、工場にかわるべきものを模索しながらもこれといった決め手に欠けているといったところが現状です。
 このように生産拠点を海外に移さざるを得ない状況にありながらも、「モノづくり日本」という思い込みは根強く、工業製品を中心とする第二次産業で稼ぐしか日本の進む道はないと頑(かたく)なまでに考えている人達が多いのは事実です。
 海外を生産拠点にして安価な製品を量産するシステムは、かつて欧米諸国がやっていた植民地におけるプランテーション(熱帯、亜熱帯地域で、近世の植民制度に始まった前近代的大規模農業、およびその農園。原住民・黒人奴隷の安い労働力により、綿花・コーヒーなどを大量栽培。-広辞苑)を連想させます。先進国の利益を優先的に考え、地元の利益は二の次にされる訳ですから、このシステムはプランテーションと同様に、海外からの利益の収奪システムという面を持っています。
 つまり、世界的な視点からすれば、コスト的には必ずしも安くはないということです。工場あるいはプランテーションの立地国が本来享受すべきであった利益(マイナスの利益、つまりコストということです)の大半が、先進国に移転しているだけだからです。このようなシステムが長続きするはずはなく、政治的な側面からだけでなく、経済合理性の側面からも、かつてのプランテーションが歴史の中に消えていったように、安価な労働力と安価な資材を求めて立地した工場は、いずれ消えていく運命にあるはずです。
 経済合理性については、コストだけでなく、交易条件(輸出商品一単位によって得られる外貨で輸入できる他の商品の単位数。輸出入の交換比率。-広辞苑)の点からも説明することができます。
 国際的な分業(海外に生産拠点を置くことです)が公正であるためには、2つの国の間の交易条件が等しくなければなりません。現在は極端な不均衡の状態にありますので、交易条件が均衡状態に向うにつれて現在のような海外生産システムは崩れていくことになるはずです。
 秀れた工業製品を作っていくべしということについてはその通りであり、異論はありません。日本人がモノづくりに巧みであることは、江戸時代、あるいはそれ以前からの伝統ですので、これからも世界のトップレベルの製品づくりを目指していくことは大切なことであり、必要なことでしょう。
 しかし、工業でしか日本の生き残る道はない、国内で採算が合わないならば安い海外で、工業こそ日本の基幹産業であるとする意見に直ちには与(くみ)することはできません。つまり、なにがなんでも工業立国というスローガンは早晩撤回すべきではないかということです。

 次に2.の貿易立国について。
 日本は資源の少ない国である、原材料のほとんどを諸外国に依存しており、輸入した原材料を加工して付加価値をつけた上で輸出することによって成り立っている国家である、- これが貿易立国と言われているところのものです。
 日本もかつては、銅、銀、金、石炭、良質の鉄等を産出する、資源の豊かな国でした。銅とか銀については、江戸時代には重要な輸出品目だったほどです。それが掘り尽してなくなってしまった。それからは、モノをつくり続けるためには原材料を外国から買わざるをえないことになって現在に至っています。
 1.の工業立国でも触れましたように、日本人はモノづくりが得意ですので、原材料を外国から買って加工した上で外国に売るという、加工貿易をやっていくことについては全く異論がありません。
 しかし、これしか日本の生きる道はない、とばかりに専ら輸入に頼り、輸出に頼っていくやり方については、そろそろ冷静に見直す時期に来ているようです。資源国あるいは消費国の思惑とか動向に、日本経済が左右されるような国のあり方自体、そろそろ考え直す必要があるからです。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“ガザの町 アウシュビッツと 重なりし” -東京、赤とんぼ。

(毎日新聞、平成21年1月24日号より)

(かつてのベトナム、このたびのイラクとガザ。いかなる大義名分をつけようともジェノサイド(大量殺戮-さつりく-)である事実は変りません。)

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