冤罪の構図 -20

 国家国民に奉仕する立場にある公務員が、あろうことか、国民に君臨し、法によって彼らに与えられた生殺与奪の権限を好き勝手に振り回している、- 冤罪のほとんどが、不心得な公務員(私の場合は、国税局職員と検事でした)のデッチ上げであり、捜査に着手してから犯罪の事実がないことが明らかになった場合でも、頑として誤りを認めようとはせずに、何が何でも押し通してしまう、- これが、冤罪が次から次へと発生する大きな原因であり、冤罪の基本的な構図であると言ってもいいでしょう。

 冤罪を自分達で創り出していながら平然としている検事達は、あるいは次のように嘯(うそぶ)いているのかもしれませんね。

『ターゲットとなった国民の生命とか財産など、国民の上に立つ自分達には関係ないことだ。飼い犬に等しい大政翼賛会のような既成のマスコミをテキトーに操って、無知な国民を誘導し、ターゲットに対して悪人のレッテルを張ってしまえば済むことだ。お上(かみ)のすることに文句をつけ、盾ついてくる目障りなウルサイ奴は、どんなことをしてでも葬ってしまう、ただそれだけのことだ。』

 前回、一部の検事達に対して、国家に巣食う「獅子身中の虫」であると極言したのですが、それは他人からの伝聞をもとにした憶測ではなく、私自身の身を切るような実体験に基づく偽らざる表現です。
 そこで次に考えるべきことは、国民にとって迷惑千万な「獅子身中の虫」を国家組織から締め出すにはどうしたらいいのか、つまり、害虫退治の方策如何(いかん)ということです。
 たしかに、実効性を伴った罰則規定を整備することは大切なことです。抑止効果はそれなりに期待されることでしょう。しかし、法の整備には国会の議決が必要ですので、時間がかかり、今すぐという訳にはいきません。また、罰則が強化された法律が仮に成立したとしても、それを実際に運用するのは他ならぬ「獅子身中の虫」を多く抱えた公務員組織ですから、実効性の骨抜きなど朝メシ前のことかもしれません。いってみれば、盗っ人(ぬすっと)に戸締りをさせるようなものです。
 ではどうしたらいいのか。法の整備を待たずに、直ちにできることはないでしょうか。しかも、明日はわが身、国民の全てに関連することでもあり、決して他人事ではありません。弁護士など他人に頼むことなく、誰にでも自分でできることはないでしょうか。

 現在は情報化社会です。一昔前までは想像もつかないことができるようになっています。中でも、インターネットの発達と普及には目を見張るものがあります。日本でのブログ開設者が800万人を超えている現実は、極めて多くの人が情報を自ら発信することができる立場に立ったことを意味します。テレビとか新聞・雑誌などの既存のメディアに頼ることなく、自分で自由に情報の発信ができること、しかも日本だけでなく、全世界に向けて瞬時に情報の発信ができることは、私達人類がいまだかつて経験したことのない驚天動地のことなのです。しかも、情報を発信するのにほとんど費用がかかりません。今はブログの開設も簡単になっていますので、これを活用しないテはありません。

 そこで私の提案です。まず第一に、身に覚えのない疑いをかけられて取調べを受けたり、あるいは逮捕されたような場合、なんとか冷静さを取り戻して、何が起っているのか、何がなされているのか、どんなことでも構いませんので、刻明に記録することです。加えて、デジカメ、録音、録画、コピーなど、あらゆるものを駆使して、客観的な証拠をできるだけ多く残しておくことです。その際、日本弁護士会連合会が公表している“被疑者ノート”を活用されたらいいでしょう。この被疑者ノートは実によくできています。分かり易い解説も付けられており、直ちに役立つスグレものです。
 尚、蛇足かもしれませんが、自分で準備するだけでなく、逮捕が現実のものになった場合には、できるだけ早く信頼できる弁護士に相談することです。日本の刑事裁判は、私達が漠然と考えているように、正義は通るはずであるとか、デッチ上げが罪になることなどあるはずがない、といった甘い希望的観測とは無縁の世界です。法曹界という独特の臭気をもった、異常な世界と言っても過言ではありません。残念ながら、弁護士なしで対応することは難しいでしょう。餅は餅屋に、といったところでしょうか。ただし、弁護士といってもピンからキリまであります。医者にヤブ医者がいるように、中学生レベルの作文さえまともに書くことのできないオソマツな弁護士がいたり、お金を取るだけでほとんど仕事をしないようなフザケタ弁護士もいるのですから。秀れた人格の有能な弁護士に出会うのもその人の運かもしれません。

 次に、時期を見計らって、犯罪的な行為を行った公務員を実名で公表し、その人物が具体的にどのようなことをしたのか明らかにすることです。ネットで飛ばせば、全世界に向けて発信できますし、その情報は半永久的にネット空間に留まり、いつでも誰でも見ることができます。つまり、半永久的に晒し者(さらしもの)にするわけです。非行公務員は、彼らの人生を終えた後も、孫子(まごこ)の代にまで非行の事実を持ち歩くことになるでしょう。
 もちろん、このような情報を発信する場合には、当然のことながら発信者に責任がかかってきます。従って、公務員の実名を公表するからには、発信者自らも実名で行ない、責任の所在を明らかにすべきでしょう。仮に事実でないことを公表したりすれば、相手を公然と誹謗(ひぼう)中傷したことになりますし、場合によったら名誉毀損その他の罪で告訴されたり、損害賠償請求などをされかねません。そのためにも、客観的な証拠資料でキッチリと証明できることに限って公表することが大切でしょう。単なる腹たちまぎれにできることではありません。
 ネットを活用した、非行公務員の開示が一般的に広まっていくとすれば、頻発する非行の抑止効果は絶大なものとなり、デッチ上げによる冤罪は限りなくゼロになるに違いありません。私が三年半前に開示した『冤罪を創る人々』は、その試みであり、さきがけとして世に問いかけたものでした。

(この項おわり)

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 ここで一句。

“バレるまで稼ぎまくれという風潮” -都城、西博隆

 

(毎日新聞、平成19年10月2日号より)

(政治家、経営者、役人に蔓延する悪しきアングロ・サクソン流の処世術。古来、日本には「御天道様(おてんとさま)が見てござる」とか、「御天道様に申し訳ない」という、親から子へと言い継がれた教えがあり、清貧をよしとし、恥を大切にする文化がありました。最近、江戸時代の真実の姿を見つめ直すことによって、日本のあり方を再考する風潮があるのはいいことですね。)

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