冤罪の構図 -5

 ヤメ検の田中森一弁護士は、悪びれる風(ふう)もなく、自らが検事時代に行った『汚れた仕事』を堂々と公言しました。私を含めた冤罪事件の被害者が、声を大にして検察から受けたヒドイ仕打ちに対して非を鳴らすことはあっても、蛙の面(ツラ)になんとやら、非難の矢を向けられた検察当局はダンマリを決め込み、黙殺してきました。

田中氏は具体的な事例についての言及はしていませんが、

『重大事件ほど、最初に筋書きをつくりあげ、取調べでそれに合った供述を集めていくのが検察の常套手段である。』(週刊現代、2007.6.1号)

と言い切り、検察の筋書き(仮定のストーリー、あるいは架空のストーリー)に合わせるために、密室の取調室の中で被疑者に繰り返し教え込んでいく、と背筋が寒くなるような恐ろしいことを口走り、挙句、

『1週間も繰り返し教え込んでいくと、やがて相手は実際にそうしたかのような錯覚に陥り、「あのときはこうでした」と教えたように答えるようになる。』(同誌)

と、アッケラカンと続けています。

 田中氏が自白している「検察の常套手段」は、田中氏の暴露を待つまでもなく公然の秘密でした。事実であるだけに、検察官はもちろん、検察OBも固く口を閉ざし、仲間うちでコソコソ話はするものの、これまで決して公言するようなことはしませんでした。他に話すことを憚る、犯罪以外の何ものでもないからです。田中氏の手記で明らかになったことは、社会正義の名のもとに17年間にわたって許しがたい非行を繰り返した検事(田中氏のことです)が存在した事実と、同様の非行を行っては口を拭(ぬぐ)っている少なからぬ数の検事が、過去だけではなく現在においても存在する事実です。このような事実を容認する検察の体質こそ、次から次へと冤罪事件が創り出されていく温床であると言えるでしょう。
 田中弁護士は同じく同誌の中で、

『「自分が調べた場所で、自分が調べを受ける」という屈辱は、筆舌に尽くしがたいものである。』

と悔しい思いを吐露しています。田中氏が、言ってはならない古巣における公然の秘密(犯罪)を暴露したのは、あるいはイタチの最後っ屁といったところかもしれませんね。
 たしかに、東京地検が田中氏を罠(わな)にかけたのが事実であり、田中氏が起訴された事件についてあるいは潔白であるかもしれません。しかし、私がこれまで縷々(るる)述べてきたことを考えますと、仮にそうであったとしても、「それでどうした?」くらいの冷たい反応しかできません。冤罪事件の被害者であった私は、共感を覚えるどころか、かえって白々しい気分に陥ってしまうのです。
 例えて言えばこんなところでしょうか、-

“人殺し集団に属していた人物で、自らも多くの人殺しをやった男が、集団からはじき出された。その人物は別の犯罪集団の用心棒となった。古巣の人殺し集団は、その人物が目障りになってきたのでひそかに抹殺を企てた。古巣に拉致監禁された男は、「自分がやったと同じ方法で殺される。助けてくれ」と大声で喚き出した。”

 自業自得とまで言うつもりはありませんが、このような人物に対して心からの共感を覚え、助けに向う人が果してどれほどいるでしょうか。
 私は田中森一氏については、先に述べたように、ある調査に関連して間接的に知っているだけで、直接のかかわりはなく、とくに嫌いだとか個人的な恨みを持っていることもありません。従って、私が確認することのできた田中氏自身の、過去と現在の言動のみが、私の判断の基準になるだけのことです。
 仮に田中氏が、抽象的な暴露にとどまらず、自らが手を下した検事時代のインチキ捜査について、具体的な事例を挙げて明らかにし、迷惑をかけた無辜(むこ)の人々に対して心からの謝罪をし懺悔をするのであれば、私のみならず、多くの人々の共感を得ることになるでしょう。検察のインチキ捜査によって社会的に抹殺されただけでなく、屈辱を受けたのを苦にして自ら命を絶った人々とその遺族の無念さは、実際に体験した者のみぞ知る、それこそ「筆舌に尽くしがたいもの」ですが、田中氏が自ら関与した事件のデッチ上げの真相を暴露し、ヌレギヌを着せられた人々に心をこめて謝罪するとすれば、冤罪の被害者のみならず、被害者に劣らぬ苦しみを味わった事件関係者の、せめてもの慰めとなることでしょう。

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 ここで一句。

“もう食事7万1000回もした” -神奈川、カトンボ。

(毎日新聞、平成19年5月16日号より)

(昭和17年生まれのご同輩。あとせめて、3万回はしたいもの。)

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