冤罪の構図 -2

 『人は私を悪徳弁護士と呼ぶ』という標題をつけて、刑事被告人である一人の弁護士が、ある週刊誌に独占手記を公表しました(週刊現代、2007.5.25号、2007.6.1号)。

 田中森一(たなかもりかず)氏、昭和18年6月8日生まれ、長崎県出身、63歳。岡山大学卒。昭和46年司法修習終了、その後東京地検、大阪地検等の検事を歴任し、昭和63年弁護士登録、いわゆるヤメ検の一人。

 田中氏は、平成12年3月、石橋産業をめぐる手形詐欺容疑で、主犯とされた許永中(きょえいちゅう)氏と共に逮捕。一審、二審ともに実刑判決(一審は懲役4年、二審は懲役3年)を受け、現在、最高裁に上告中。

 私が田中弁護士の2回にわたる手記でとりわけ注目したのは、検察の取調べの実態が、検事をしていた田中氏自身の経験にもとづいて暴露されていることでした。これほどアケスケに、検察のインチキの実態が公表されたのは初めてのことではないでしょうか。17年もの間検事の職にあった人物の発言ですから、極めて重いものがあります。

 田中氏はまるで他人ごとでもあるかのように、

『重大事件ほど、最初に筋書きをつくりあげ、取調べでそれに合った供述を集めていくのが検察の常套手段である。もちろん被疑者は検察の思い通りに供述はしない。そこでいろいろなテクニックが駆使される』

と口火を切り、眼をむくようなスサマジイことを淡々とした口調で続けています。

『これは私自身、検事としてやってきたことだが、まずその筋書きを被疑者に教え込む。密室の取調で、1週間も繰り返し教え込んでいくと、やがて相手は実際にそうしたかのような錯覚に陥り、「あのときはこうでした」と教えたように答えるようになる。それが調書になり、あとで冷静になった被疑者が検察の手口に乗せられたことに気づき、公判で「あれは検事から教えられた話だ」と言う。そんな被告の主張を通さないためのテクニックがまたある』(週刊現代、2007.6.1号)

 これに続けて田中氏は、このように嘘で塗り固めた検面調書(検察官面前作成調書のことです)を、信頼性があるかのように装って公判廷で押し通す、いくつかのテクニックを得意そうに披瀝(ひれき)しています。公判廷において裁判官を騙すテクニックと言ってもいいでしょう。田中氏は17年間、検事としてこんなトンデモないことを考え、捜査の現場で実践していたのです。建前としては秋霜烈日(しゅうそうれつじつ。秋におく霜と夏のはげしい日、すなわち刑罰または権威・志操のきびしくおごそかなことのたとえ。-広辞苑)をモットーとし、社会正義の最後の砦を自任している日本の検察の生々しい裏の姿です。
 田中氏はこのようなインチキ捜査のことを「汚れた仕事」と形容してはいますが、不思議なことに罪悪感はないようです。自分が訴追されたことについては検察の不当性を批判し、自らの潔白を懸命になって弁解しているようですが、かつて、捏造されたインチキ検面調書によって、どれだけ多くの人が無実の罪に陥れられ地獄の苦しみを味わったのか考えたことはないのでしょうか。誰もチェックしない、検察という暴力装置の頂点に身をおいていると、通常の感覚がマヒしてしまうのかもしれませんね。

『以前、私も加わったある銀行の不正融資事件で、若い検事が自分の父親くらいの年齢の銀行員を取り調べていたが、銀行員のほうがなかなか検察の筋書きを理解できず、調書が取れない。自分の頭をこづいて筋書きを覚えようとする銀行員を横目に、心根が優しい検事などは、「もうできない」と泣き出すこともあった。』(同誌、2007.6.1号)

 ソファーに寝っころがりながらここまで読み進めてきた私は、思わず、「オイ、オイ、オーイ!!心根が優しいなんて、こんなところで使うか!?」とツッコミを入れ、すんでのことで週刊誌を放り投げるところでした。ヤメ検である田中弁護士は、なんとも分かり易く、インチキ捜査の一端を明らかにしてくれたものです。私自身が11年前に、逮捕・勾留されて40日間に及ぶ検事の取調べを受け、全面否認を貫いた経験がありますので、田中氏の発言内容は、臨場感をもって迫ってくるのです。

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 ここで一句。

“わからへんどっちが組か警察か” -東京、笠井秀彦。

(毎日新聞、平成19年4月30日号より)

(“検察よ、お前もか。”-カエサルもどき。)

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