154 いじめの構図 -3

****その3)

それからが大変であった。私が本を床にたたきつけるのを見届けた看守は、一声「反抗だ!」と、叫んで、管理棟にかけ込んだ。ほどなく3人の看守を引き連れて現われ、ドアの鍵をガチャガチャッと開け、私を独房から有無を言わさず引きずり出した。

私は管理棟へ連れていかれ、反抗的態度をとったことについて4人の看守から代わる代わる叱責された。つるし上げを食ったのである。30分程大声で責め立てられていたであろうか、再び独房に戻された。塀の中は確かに、普通の世界ではなかった。

翌日、朝の点呼と食事が終り、自弁品とか手紙の受け渡しが終った時点で、私は再び管理棟の一室へと連行された。そこには、処遇主任が一人机に座って待っていた。取調べである。

取調べ。これまで私は、取調べなるものを2回経験している。
一回目は、平成5年9月28日から同年10月1日までの4日間、広島国税局の査察によってなされたものだ。一問一答形式で査察官が、質問てん末書なる名称の調書を作成。調書ができると、内容の確認のための読み聞かせがなされ、その後署名と指印の押捺が求められた。
二回目は、平成8年1月26日に公正証書原本不実記載同行使の疑いで松江地検に逮捕され、その後40日間にわたって松江刑務所拘置監で検事によってなされたものである。査察(マルサ)のときと同様に一問一答形式であり、署名とか指印の押捺も同様であるが、異なっていたのは、検事が口頭で読み上げるのを側にいる書記官がワ-プロに打ち込んで調書が作成されたことと、調書の名称が供述調書となっていたことである。

そしてこの度が3度目である。立会人は前二回とは異なり、居なかった。処遇主任が一人机に座り私に向き合った。本籍、住所、氏名、年齢、職業の申述から始まって、任意で申し述べるという形式は前の2回と同じであった。
容易ならぬ事態に至っていることを察した私は、昨夜房内で本をたたきつけた経緯について申し述べた。被告人であるが故に侮辱されたことに対するとっさの反応であったこと、圧倒的に優位な立場の看守が被告人をいたぶり侮辱することが許されていいはずがないことを強調し、そのまま供述調書にしてもらった。

塀の中でのお仕置きには2つの種類がある。懲罰と訓戒だ。懲罰は規律違反者に対して科されるもので、反省悔悟させるための制裁のことであり、訓戒は懲罰事犯より軽度の規律違反者に対して科されるもので、反省を促すものである。備え付けの『被勾留者所内生活の心得』の15ペ-ジから17ペ-ジにかけて記されている。
訓戒は勾留中に4、5回食ったであろうか、呼び出されて直立不動の姿勢で訓戒を受けるのである。「以後、慎むように」、「ハイ!」と慎んで承って終わりである。独房から出ることのできる、数少ないチャンス位にしか考えていなかった。いわば気分転換である。
ところが懲罰となると訳が違う。現実問題として、不自由な生活が更に不自由になるからだ。

懲罰の種類として次の7つが定められている。
+叱責(しっせき)
+文書、図画(とが)閲読の3月以内の禁止
+請願作業の10日以内の停止
+自弁(じべん)に係る衣類臥具(がく)着用の15日以内の停止
+糧食自弁の15日以内の停止
+運動の5日以内の停止
+2月以内の軽塀禁(けいへいきん)
この中の1.の叱責は小言を拝聴するだけであるからどうってことはないし、3.の請願作業については受刑者だけのものであるから、私のような未決勾留の者には関係がない。ところがこの2つを除いた残りの5つの懲罰については、考えただけでも寒気がする。中でも7.の軽塀禁(昼夜罰室内に拘禁すること)ともなると文字通り生命の危険性にさらされる。現に、私と同じころ松江刑務所拘置監浜田支所に勾留されていた30歳台の男性が、軽塀禁を受けて死んでいる。飲酒運転で逮捕されたこの男性は、拘置所内で暴れたため、懲罰として窓のない部屋に放り込まれた、という。
真夏、外気温が35℃に達する猛暑の中で、密室内の温度は40℃を超えていたとも言われている。この男性は蒸し風呂のような状態の中で熱中症で死んだ。殺されたも同然である。

処遇主任は黙々と供述調書を作成している。懲罰を前提として型通りの取り調べがなされているような状況の下では、私がいくら正論を述べようとも無意味ではないか、このように判断した私は、前夜から練っていた対応策をぶつけることにした。処遇主任に対して、一発噛ませることにしたのである。

 

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