冤罪を創る人々vol.105

2006年03月21日 第105号 発行部数:604部

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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-
http://consul.mz-style.com/catid/11

日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
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●「引かれ者の小唄」 ― 勾留の日々とその後
http://consul.mz-style.com/catid/41

「松尾芭蕉と夢紀行 -その2」より続く
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12.松尾芭蕉と夢紀行 -その3

私達三人は、多賀城跡にたたずんでいる。芭蕉、曽良、私の三人
である。
松尾芭蕉46歳、私より17歳も若い。現代の奇才、三島由紀夫
が自ら命を絶ったのが45歳のときだ。年に不足はない。
河合曽良41歳。芭蕉の忠実な弟子として、師に影のように従っ
ている。ともに、剃髪染衣(ていはつぜんえ)である。

三人とも一言も発しない。無言である。
目の前には苔むした一つの石碑がある。
石碑に顔をつけるようにして、刻まれた文字を目で追っていた歌
匠が、やおら矢立を取り出した。一字ずつ、碑文を丁寧に書き写し
ている。曽良も師にならう。
写し終えた歌匠の目にうっすらと涙が浮かんでいる。焦点の定ま
らぬ眼は、彼方の山の嶺々を泳ぐ。古人のおもかげが、歌匠の想い
を通じて、私に伝播し、幻視の世界にいざなわれていく。

夢紀行から覚めた私は、再び歌匠の自筆本に向った。

壺碑(つぼのいしぶみ)

名高い歌枕として、古来多くの歌人に詠まれてきたものだ。
芭蕉が石面の刻字を書き写した石碑は、元禄を遡ること20年ほ
ど前の、寛文の頃に発掘されたものである。それが歌枕の壺の碑と
混同されて世に喧伝された。たとえば、源頼朝が大僧正慈円に送っ
た返事の歌、

“みちのくの いわで忍ぶは ゑぞしらぬ 書きつくしてよ つぼの
碑(いしぶみ)”

(新古今和歌集。“「陸奥(みちのく)」の歌枕「岩手」や「信夫
(しのぶ)」、あるいは「蝦夷(えぞ)」ではありませんが、言わ
ずに我慢しているのだとおっしゃるのではお心のほどが分りません。
すっかり書き尽してください。壺の石文ならぬ文に記して。”
-現代語訳は、久保田淳校注、新潮日本古典集成本による。)

に詠まれている「つぼの碑」ではない、とされている。

歌枕としての「つぼの碑」は、坂上田村麻呂が、陸奥国七戸の北、
壺村(つぼむら)に建てたものと伝承され、弓の弭(はず)で書き
つけたという。
芭蕉が訪れた石碑は、現在の多賀城碑である。歌匠は、“市川村
多賀城ニ有”と記す。
江戸時代に発掘されてから、壺の碑(つぼのいしぶみ)と呼ばれ
てきた経緯は、奥細道菅菰抄(おくのほそみちすがごもしょう)に
よれば次のようであったという。

『昔、この碑は多賀城の前栽の壺(音は「コ」)のうちにあったこと
から、つぼのいしぶみという。ちなみに、いしぶみは、碑の字の和
訓である。思うに、庭中のつぼというのは、もともと壼(音は「コ
ン」)の字であった。ところが、壼と壺の楷書の字形が紛らわしい
ことから、門内や前栽などを「つぼ」というようになった。ついに、
その和訓まで誤ったのである。』 (抄訳は筆者)

つまり、

・壼(コン): 庭中、門内、前栽 (廣漢和辞典より)

・壺(コ) : 瓶のつぼ (同上)

とが混同して、庭中とか門内のことを「つぼ」とか「つぼのうち」
と呼ぶようになり、多賀城の庭にあった石碑を壺の碑(つぼのいし
ぶみ)と呼ぶようになったというのである。

歌匠は、このような事情を熟知していたのであろう。本来の「つ
ぼのいしぶみ」ではないことを承知の上で、敢えて

“爰至(ここにいた)りて うたかひなき千歳(せんざい)の記念
(かたみ) 今眼前に古人の心を閲(けみ)す 行脚(あんぎゃ)
の一徳(いっとく) 存命の悦(よろこび) 羈旅(きりょ)の労
をわすれて 泪(なみだ)も落(おつ)るはかり也”

と記し、歌枕と多賀城にまつわる古人を偲び、その心情に思いを馳
せている。想念の俳人にとって、史実そのものはさほど大きな意味
を持つものではなかったのかもしれない。

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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
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「疑惑のフジテレビ -8」より続く
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・ 疑惑のフジテレビ -9

上場会社に対して現在行なわれている会計士監査は、企業の内部
統制システムが十分に機能していることを前提として、試査(精査
に対するもので、全体が妥当であると判断できる程度に、一部を抜
き取って調査をすることです)に基づいて行なわれています。会社
の取引の全てをチェックする訳ではないのです。
一般に、抜き取り検査というものがあります。試査は、必ずしも
これと同じものではありませんが、この抜き取り検査をイメージし
てみたらいいでしょう。一部だけ抜き取って調べる点では同じです
から。

試査。

これは会社の内部統制システムがしっかりと定められ、現実に有
効に機能していることが大前提であり、試査をするのに必要不可欠
とされています。組織としての会社に対する信頼性が、担保になっ
ているのです。
ところがライブドアの場合はどうでしょうか。以前に確認しまし
たように、コーポレートガバナンス(企業統治)の観点から、堀江
貴文という特異なキャラクターを持った人物の一存で会社の全ての
ことが決定できる体制であったことが、デューデリを開始するまで
の段階で一般にも知られていました。
内部統制(インターナル・コントロール)は、コーポレート・ガ
バナンスの重要な要素ですから、ライブドアの内部統制は形だけの
ものであり、実際にはほとんど機能していなかったと考えていいで
しょう。

内部統制システムが十分に働いていないおそれがある。

この事実は、ライブドアの会計監査人であった神奈川監査法人
(現港陽監査法人)の監査報告書の信用性に関連いたします。この
監査法人は、上場時を含めて、上場後の5期にわたるライブドアの
財務諸表について、全て「適正」の意見を表明しているのですが、
デューデリを実施する以前の段階で、すでに信用性に欠ける可能性
があると判断できるのです。
会計士監査は試査を原則とし、その試査は会社の内部統制が十分
に働いていることが前提となるのですが、ライブドアには、コーポ
レート・ガバナンス、ひいては内部統制システムがなきに等しいと
推測されるからです。

これは、有価証券報告書に添付されている監査報告書が必ずしも
信頼できるものではないことを意味します。試査とか内部統制は、
会計士監査の基本ですので、当然のことながら、デューデリを引き
受けた監査法人も、監査報告書が必ずしも信頼に値するものではな
いことを十分に知っていたことになります。

以上をまとめてみますと、-

デューデリを引き受けた監査法人は、ライブドアが“無頼者”の
経営する会社であり、形の上では大企業ではあるものの、その実態
はワンマン経営の中小零細企業であり、従来の会計士が付している
監査証明は虚偽の疑いがあることを、デューデリを引き受けた時点、
あるいはデューデリを始めた直後にすでに十分に知っていたことに
なるのです。

―― ―― ―― ―― ――

ここで一句。

“ニセ医者の8年医療ミスがない” -東京、ぴーたーらびっと。
(毎日新聞:平成18年2月25日号より)

(ニセ医者のほうがマシ? 資格などは持っていても、“ナンチャッ
テ専門家”が横行。医師、弁護士、会計士、税理士、大学教授、著
名ジャーナリスト-数え上げたらキリがありません。)

(「疑惑のフジテレビ -号外4」はWebサイトにて)
http://consul.mz-style.com/item/501

 

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