江戸時代の会計士 -14
- 2005.12.13
- 山根治blog
恩田木工は、3つ目の無心を領民に話しかけます。無心の最後のものです。
(御用金を差し出している者へは、これまた殿様としてはご返済なされたいことやまやまではあるが、皆の知っての通り、元々手許に資金がないのであるから、今すぐ返済することはできない。また、このように言うのはどうかとは思うが、人間の暮し向きは今は良くとも、めぐり合わせが悪ければ孫子の代になって貧乏になるかも知れない。よって、万一そのようになったときには、利息を加えて返したいとは思うものの、それはとてもできないことである。しかし、せめて元金だけでも子孫に返すようにしたいと考えている。今すぐなければ暮らし向きが駄目になってしまう程のこともないと思われるので、子孫の為に、元金を殿様に預けて置いたと思ってはくれないか。これまた皆へのたってのお願いである。)
御用金は献金とは異なり、本来は利息をつけて返済する趣旨のもので、いわば強制的な公債というべきものでした。ただ現実にはこの返済は反故にされることが多かったのです。
このような御用金について、恩田木工は、ズルズルなしくずしに召し上げてしまうことはしないで、領民との間に一つの約束をするのでした。
それは、当面の間据え置きにして、御用金を出した領民の子孫が暮らしに困るようなことになったときに、元金を返すようにしようというものです。
領民としては、もともと返済されることは期待していませんでしたので、この第三の無心については否も応もなくただちに受け入れます。
(ありがたいことございます。殿様の御用のために差し出したお金のことでございますので、返していただく考えはございませんでしたところを、子孫が暮し向きに困った時には返して下さるとのことでございますので、この上もない御計らいで、孫子の代まで感謝するものでございます。)
領民たちはこのように申し述べ、“感涙を流して御礼申し上げ”たのでした。
領民に対して3つの無心を言い終わった恩田木工は、
(「いずれの者も拙者が話すことを納得してくれて満足している。さて又、次にここにやってくる時は、今までに役人たちから悪いしうちを受けたことがあったならば、遠慮することなく封書にしたためて差し出すように」と木工殿がお話になったところ、「かしこまりました」と申して、皆々喜び勇んで帰村したことであった。)
このように恩田木工が、領民に感謝の気持を述べるや、列席の誰もが想定していなかった爆弾発言が彼の口から飛び出します。これまで役人達から受けた悪事の数々を思いっきり書き上げて、封をした上で差し出すようにというのですから領民達は大喜びです。
ところが役人達にしたらたまったものではありません。これまでひそかにやってきたことが、白日のもとに晒されることになるわけで、パニックに陥ってしまいます。
(世間で言い触らされたことには、老中を始めとして列席していた役人衆は誰も、木工殿の器量ある計らいを見ていて感心しておられたのであるが、この時に至りさっと顔色をかえ、退席されたということであった。)
恩田木工は殿様から勘略奉行を仰せつけられ、藩財政の建直しに関して全権委任を受けた時に、老中以下の役人達から念書を書いてもらっています。『江戸時代の会計士-2』で詳しく述べたところです。
それは、“老分の方を始め諸役人中、拙者申す儀を何事に依らず相背くまじくと申す書付”でした。
殿様から全権委任を受けている上に、老中以下の役人も恩田木工の言うことはどんなことでも逆らわないと自ら誓っている訳ですから、木工に対して異議を唱えることができないのです。
しかし、恩田木工の意図は、ひとえに藩の財政再建をスムーズに運ぶことであり、他の役人の非を暴いて糾弾することではありませんでした。
後日、実際に領民から封印された“護符”が木工に提出され、殿様の目に触れることになるのですが、今度だけは不問に付すことにしました。つまり、領民が申し立てた役人たちの過去の悪事を、帳消しにすることにしたのでした。これによって逆に、役人仲間から絶大な信頼を受けることになり、財政改革が官民あげて動き出すことになるのです。
―― ―― ―― ―― ――
ここで一句。
(行財政改革の審議委員の中に、ホンモノのネコをニ、三匹入れてみたら? 小泉さん。国会議員がチルドレンで勤まる位ですから、ネコにだってこの位のことは-。)
ここで更に一句。
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