凛にして毅なる碩学、北野弘久先生 -2

 「税法問題事例研究」(勁草書房)の中には、多くの鑑定意見書がそのままの形で掲載されており、当事者と北野先生との話し合いとか法廷における生々しい現場の雰囲気までも伝わってくるようです。

法学者にありがちな衒学的な言い回しは、北野先生の鑑定書には一切ありません。極めて分かり易い明解な言葉によって組み立てられた文章は、一分の隙もない見事なものです。税法の基本的な事柄に理解の及ばない無知な裁判官をなんとかして理解させようとするためでしょうか、噛んで含めるような言い回しが随所に見受けられます。

私が特に興味を抱いたのは、私自身のケース(『冤罪を創る人々』で詳述しました)と酷似している脱税事件に関する先生の鑑定書でした。
それは、熊本市で産婦人科医院を開業していた伊井久雄医師が租税逋脱犯(脱税犯のことです)として断罪された事件に関して、犯罪(脱税)の事実そのものが存在しないことと犯罪事実についての認識(故意のことです)が存在しないことを論証しようとして作成された鑑定意見書です。

先生の所論の中で私がとりわけ注目したのは、経理を担当していた伊井医師の妻が作成した「B手帳」と称するものに関する先生の認識についてです。
この「B手帳」というのは、大学の医局から派遣されてきた医師などに支払う謝礼を正規の帳簿から外して管理していた別帳簿のことです。当然その謝礼額に相当する額は、正規の帳簿の収入金から除外されています。
この「B手帳」を、立件した検察官は、脱税の手段として用いられたウラ帳簿であると主張し、裁判官も検察官の主張をそのまま鵜呑みにしてウラ帳簿であると認定したのですが、北野先生はこの認定に対して真正面から異を唱えておられます。
つまり、「B手帳」は、一般に脱税の裏に存在する「B勘」と称するウラ帳簿とは似て非なるものであって、「B手帳」も所得税法施行規則57条1項の「正規の簿記の原則」に基づく簿記であると論述されているのです。
たしかに税務調査の現場においては、仮に収入金の除外(俗につまみ申告と言っています)があった場合でも、直ちにその全てが過少申告ということにはなりません。
除外をするのにそれなりの理由があり、その上に、除外された収入金が事業のための経費に使われていることが明らかな場合には、たとえ正規の帳簿に経費が計上されていなくとも税務上の経費として認定されることが多いのです。
伊井医師の妻が作成し管理していた「B手帳」は、公務員である医師などに支払う謝礼金について、公務員の立場を考慮した場合、医院側としては正規の帳簿書類に支払先などを明記するわけにはいかないところからやむをえず作成されたものであって、直ちに医院側の脱税目的であるとはいえないでしょう。
更には公務員ではなくとも、名前等を伏せなければ協力してもらえない医師もいるわけで、このような場合、源泉所得税を医院側が負担することによって名前を伏せることは開業医の間ではままあることです。報酬を受け取った医師の側においては税務問題が完全にはクリアーされているとはいえないのですが、少なくとも支払った側の税務問題、ことに刑事罰が用意されている脱税に問われることは考えられません。

マルサの告発の背景には、この病院の事務長の逆恨みによる密告があったとされています。この人物は、医師の妻が妊娠中絶手術(略称でアウスといいます)を全て正規の帳簿に記入することなく除外して別ノートに集計し、その中から名前などを表に出すことを嫌う外部の医師への謝礼を支払っていた事実を知っていました。
収入を除外して、そのお金をたとえば、個人的に使ったり、あるいは密かに貯め込んでいたりするのであれば、脱税であると指弾されても仕方ないでしょう。しかし、医院の業務を手伝ってくれた医師に報酬として実際に支払い、しかも、この医師の妻は年度末には「B手帳」の残金(除外した収入金から支払った報酬額を差し引いた金額)を正規の帳簿にキチンと戻し入れをしていたというのですから、脱税ということにはならないのです。
このような脱税はおろか、通常の過少申告にも該当しないことが何故査察(マルサ)の対象になり、何故検察官によって立件され、何故裁判官によって脱税犯罪であると決めつけられなければならなかったのでしょうか。
この鑑定書には、日本における税徴収の現場の歪みと裁判制度における運用面での歪みの一端が明確な形で示されています。

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師の凛とした澄明性を耳でイメージして、一首。

”朝床に聞けば遙けし射水川(いみずかは) 朝漕ぎしつつ歌ふ船人”

 

(万葉集巻19、No.4150)
 
 

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