124 心のルーツへの旅
- 2005.10.04
- 冤罪を創る人々
****(2) 心のルーツへの旅
一、 二十年程前のことであろうか、私が40才前半の頃である。
東京で一人の僧侶と出会った。剃髪染衣のその人は、私より幾分年長で、慶応大学出身であった。
私達は、一夕、卓を囲み、盃を傾けて親しく語り合った。尋常ではない輝きを湛えた双眸は、私を柔らかくつつみ込み、全身から発せられるオーラは、私の肌を粟立たせ、頭髪を逆立させた。
二、 僧侶は一つの書籍を私に勧めて去っていった。文字通りの一期一会であり、その後再び会うことはなかった。
一週間後、松江の自宅に2つのダンボール箱が届いた。僧侶の指示によって版元が送達したものである。
中には、「先代旧事本紀大成経」72巻が入っていた。宮東斎臣氏の解説になるもので、活版印刷ではなく、原稿をそのままコピーして製本したものであった。
私はまず量の多さに仰天し、ついで手作りの書籍であることに二度仰天した。110万円という価額を了解して購入しており、ある程度の量は想定していたが、まさかこれほどとは思っていなかったのである。
三、 私は早速解読にとりかかった。祈りを使命としていた人物が、全身全霊を傾けて勧めてくれた本である。何が記されているのか、どうしても知りたくなった。
全体の解説を読み、序の巻から読み始めたところ、当時の私には全く歯の立たない難解なものと分かり、序の巻の中途で解読を断念せざるを得なくなった。
それから十年程この書物は、私にとって、猫に小判の存在として、部屋の片隅にうず高く積み上げられ放置されていた。
四、 平成8年1月に逮捕され、291日間の勾留生活を送るなかで、万葉集をはじめ日本の古代の主な文献に親しく接したことはすでに述べた。
その時、古事記、日本書紀、懐風藻、風土記、日本霊異記等を全て原文でじっくり読み込んだおかげで、一人の僧侶からのメッセージとも言うべき、「先代旧事本紀大成経」72巻本がさほど抵抗なく読めるようになった。
猫に小判であった「先代旧事本紀大成経」が、いわば鰹節になったのである。
二ヶ月程かけて主要な巻を読み了え、一つの結論に達した。
旧事本紀72巻本は、巷間言われるように、偽書として直ちに排斥されるべきものではなく、成立年代はさておき、一定の価値を持った歴史的な書物であるということである。
たしかに、平安時代以降に書き加えられたと思われる部分が数多くあり、聖徳太子の作とするには無理があるようだ。しかし、記紀にない所伝が多々存在することもまた確かであり、更に日本神道の一つの立場が詳しく説かれており、捨てがたいのである。
五、 その後私は、白河家三十巻本旧事紀に進んだ。三重貞亮氏の訓解になるもので、松下松平氏の解題が付されているものだ。朴炳植先生から寄贈されたものである。
更に、最近になって、先代旧事本紀十巻本が、大野七三氏によって校訂編集され、訓註本として刊行された。
最近の私は、この十巻本が先代旧事本紀のコアの部分ではないかと思うに至っている。
六、 旧事本紀が私に示唆するものは何か。20年前に発せられた、祈りの人からのメッセージは何であったのか。
記紀で捨象もしくは改竄されたと思われる饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)が、わが出雲族と重要なかかわりを持っているのではないか。
出雲国風土記に多くの足跡を残し、今なお出雲地方を中心に、全国各地で伝承されている出雲族と出雲の神々を解明する手がかりになるのではないか。
出雲族とその神々は私の心のルーツであり、その一端が旧事本紀の行間から垣間見えてくるのではないか。歴史の彼方に消し去られた古代出雲の人達の声なき声が聴こえてくるのではないか。あるいはまた、出雲の神々の姿が、斬新な形で現われてくるのではないか。
わが心のルーツヘの旅が、新たに始まった。62才からの出発である。
***【謝辞】
2004年3月より「冤罪を創る人々」を公開してきましたが、今回で終了させていただきます。長い間ご愛顧いただきまして、誠にありがとうございました。
今後は「引かれ者の小唄 - 勾留の日々とその後 」をお届けいたします。内容的には「冤罪を創る人々 (第五章)勾留の日々」の続きといった位置付けとなります。よろしくお願い申し上げます。
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