100 外出

***7.外出

一、 勾留中に外出したのは、10回であった。一回だけ本件で再逮捕されるために検察庁に出頭したほかは、全て松江地方裁判所への出頭であった。

二、 外出の手順について、平成8年7月9日、第三回公判廷に出廷したときの状況に即して、具体的に記述してみよう。

三、 午後12時20分頃、担当看守が、私が収容されている拘置監二階の4号室の前で、「出房!」の号令をかけ、私を房から連れ出す。ここで、ノート、筆記用具等の携帯品の検査がなされる。
私は房の入口を出て、窓側に向って立ち、看守の「回れ右!右向け右!」の号令を受けて身体の向きを変え、「進め!」の号令で歩き出す。歩くときは正面を向いて、スリッパの音をたてずに、手をキチンとふって歩かなければならない。しかも歩くところが定められている。
拘置監の廊下には、房に沿って40cm幅のだいだい色の硬めのカーペットが貼ってある部分と、カーペットの貼ってないビニール・タイルの部分とがあり、前者は看守が歩き、後者は未決囚が歩くことになっている。

四、 勾留されて間もない頃は、廊下の歩行について、ことごとく叱責を受けた。
まず、回れ右である。

「回れ右ができないのか!」

できないのである。回れ右など何十年もやったことがないので、オタオタしたものだ。
次いで、

「キョロキョロしてはいかん!まっすぐ向いて歩け!」

私は元来人一倍好奇心が強いほうで、勾留生活の見るもの聞くもの全てが珍しく、首を左右にふりながら観察していたのである。
あるいは、

「スリッパをすって歩くな。足をキチンと持ち上げて歩け。」
「ポケットに手をつっこんで歩いちゃいかん。手を出せ、手を。」
「そこはお前らの歩くところじゃない!カーペットの貼ってないところを歩け!」

このころになると私もすっかり慣れており、看守から注意を受けることはなくなっていた。外出だけでなく、面会のための出房が頻繁にあったからである。

五、 看守に連行されて、二階から階段を下りて、拘置監の出入口に至る。
出入口のドアの横に壁があり、その壁の下に白い塗料で足型が描かれている。その上に立って壁に向かう。足型が壁スレスレのところに位置しているため、足型に合わせて直立すると、ほとんど鼻と眼鏡が壁にくっつく感じとなる。
直立した後、「回れ右!」の号令で身体の向きをかえて検身を受け、それが終ると「左向け、左!」の号令で左に向きをかえ、「進め!」の号令をまって、拘置監から出ていく。
渡り廊下を経て管理棟に向かい、取調室に入る。ここで担当看守から取調室に待機していた別の2人の刑務官にバトンタッチされる。

六、 取調室では、着衣を全て脱ぎ全裸となる。再び携帯品のチェックがなされ、脱いだ服は、金属探知器で入念に検査される。
検査が終ると再び服を着用し、スリッパを外出用のスリッパに履きかえる。グレーのスリッパは、外出用も所内用も共に合成樹脂製の丈夫なもので、メーカー名が入っていない。刑務作業によって作られたものであろう。
手錠をかけられ、腰縄を打たれて管理棟を出て、車に乗る。
通常、車はワゴン車であるが、このときは、黒塗りのクラウンであった。
後部座席の真中に座り、両側に二人の刑務官が座る。左にいる刑務官は腰縄を手にもち、右にいる刑務官は無線で刑務所と連絡をとっている。
車は刑務所の門を出て、国道431号線を西進し、くにびき道路を左折する。このとき、無線で連絡がなされる。

「刑松(けいまつ)、刑松(けいまつ)、こちら○○号車。ただいまA地点通過。」

刑松とは、松江刑務所のことであり、A地点とは、この十字路のことであろう。
車はくにびき道路を南進し、県道260号線を右折する。総合体育館、マクドナルド、ケンタッキーのある四つ角である。ここで再び無線が発信される。

「刑松、刑松、こちら○○号車。ただいまB地点通過。」

県道260号線を西進した車は、事務所の顧問先であるT歯科医院とK蕎麦店の前を通過して、裁判所の西側に位置する裏口に到着する。ここで再び無線連絡がなされる。

「刑松、刑松、こちら○○号車。ただいま現着。」

現着とは、現場、即ち裁判所に到着したということであろう。午後1時であった。ここで車から降りる。

七、 裁判所の裏口には、腕章を巻いた裁判所の職員が三人待機している。
私は手錠・腰縄のまま、一階の被告人控室に連行される。鉄格子のついた小部屋が5つあり、その一つに入る。
部屋というより、檻と呼ぶべきもので、手錠・腰縄の状態で入れられ、鍵がかけられる。
トイレは、檻の外に二ヶ所あり、用をたすときは、ドアを開けたまま、監視されながらすることになる。
この日は、時間がなかったので、手錠・腰縄のまま檻に入れられたのであるが、6月10日の第二回公判の時には、30分程時間にゆとりがあったため、手錠・腰縄を外して檻に入れられた。しかも、備え付けのマンガ本を2冊、看守が差し入れてくれたのである。
それは、大阪のあくどい金融ゴロを描いた「ナニワ金融道」シリーズであった。刑務官がこのマンガ本を私に手渡すとき次のように言った。

「ほら、あんたの専門書だ。」

八、 第三回公判の開廷時刻は午後一時半であった。
その10分前に3階の31号法廷へ、50段位の階段をクネクネと登っていく。
法廷内へは手錠・腰縄の状態で連行され、被告人席の前ではじめて解除される。
被告人席に座り、両側には刑務官が私をはさむようにして着席する。
この日は、組合員藤原洋次氏の証人尋問が予定されていた。藤原洋次氏はすでに述べたように、検察官永瀬昭の脅しによって嘘の自白を強いられた人であり、この日の証人尋問は重要な意味をもつものであった。
藤原洋次氏は、法廷では一転して真実の証言に終始し、公判検事立石英生の狼狽ぶりは気の毒なほどであった。
午後3時に5分間の休憩があった。再び手錠・腰縄を打たれ、一階の檻の部屋まで降りて行き、トイレを使う。

九、 この日の法廷は午後4時20分に終った。起立をして礼をし、再び手錠・腰縄で法廷を後にして、一階の檻の部屋に入る。
通常は、檻の中に入って迎えの車が来るのを待つが、この日はすでに車が来ていたため、檻に入って待つことなく、直ちに車に乗せられ、刑務所に向った。
往路と同じ道筋を通り、同じ無線連絡がなされ、刑務所に着く。
刑務所の鉄の大扉が開き、車が入っていく。
車から手錠のまま降りたところで、待機していた看守に「称呼番号、名前!」と誰何されるのに答えて、「2番、山根治」と発声する。
建物の内部の取調室に連行され、再び全裸になって綿密な検査を受ける。出るときの検査より更に念が入っている。
スリッパを所内用に履きかえて、出房したときと全く同じ手順を経て、房に帰る。房内にはすでに夕食が用意されていた。

一〇、この日、私には一ト月ぶりの松江の街であった。車の窓ごしに街並を見ると、なつかしさの余り、思わず涙ぐんだ。涙は、私の身体をガードし、体調を調整する役割を果たしていたようである。

 

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