098 安部譲二との出会い
- 2005.05.24
- 引かれ者の小唄
***5.安部譲二との出会い
一、 平成8年4月3日に借り受けた官本の中に、安部譲二の「つぶての歌吉」があった。
早速読んでみた。面白い。官本は房内にいつまで置いてもよかったので、少しずつ読むことにした。早く読み終えたらもったいないと思ったのである。
二、 そのころ私は、万葉集の書写に熱中していた。書写の合い間に気分転換が必要であり、そのために軽い読み物を読むことにしていた。一日に一時間位、主に午睡時間を利用して、フトンを敷き横になって楽しんだ。
当初弁護人から差し入れてもらったのは、オール読物、小説宝石、小説クラブ、小説新潮などの雑誌であった。しかし、それらは読むに耐えないもので、すぐに飽きてしまった。
その後に差し入れてもらったのは、司馬遼太郎の作品であり、気分転換にはころあいのものであった。
「俄〈浪華遊侠伝〉」を手はじめに、「酔って候」「故郷忘じがたく候」「最後の将軍」「果心居士の幻術」「言い触らし団衛門」「われもまた剣法者」が差入られ、房内で楽しんだ。
三、 普段私は、現代作家の作品を読むことはほとんどなかった。ことに芥川賞の作品とか、ベストセラーなどは、ただそれだけで私の興味の外におかれた。
今から40年以上も前のことである。松江商業高校2年の時であった。本田秀夫校長の訓話の中に、郷土が生み出した明治の文豪森鴎外の名前がしばしばとりあげられた。
これが契機となって私は、文豪の作品に親しむようになり、次第に鴎外の世界に魅了されていった。その結果、こと日本の現代文学に関しては、役の行者に呪縛された一言主の神のように、鴎外にいわば呪縛されてしまったのである。
大学に入ってから、当時若い世代から絶大な支持を得ていたある芥川賞作家のベストセラー作品を買い求め、読んでみた。人並みに現代の作家に触れてみようと思ったのである。
しかし、数ページと読み進むことができなかった。文章の余りのひどさに胸が悪くなったのである。直ちに読むのを中止し、ゴミ箱に放り込んだ。日本語が冒涜されていると思ったからである。
四、 鴎外の呪縛から解放され、素直に読むことのできたほとんど唯一の現代作家は、三島由紀夫であった。
作家は、私が27才、茨城の配偶者の実家で居候をしながら会計士の試験勉強をしていた時に、東京市ヶ谷の駐屯地で、割腹し、自ら45年の短い生涯を閉じた。
テレビで三島自決の報に接した私は、しばし茫然とし、固まってしまった。多くの華麗な作品を生み出した類い稀な才能がこの世から去っていった寂寥感が私を襲った。
五、 異色の経歴を持った著名な作家であることは知っていたが、安部譲二の作品をそれまで読んだことはなかった。現代作家に対してアレルギー症的な思い込みがあったために、読む気がしなかったのである。
それが、独房という活字の乏しい環境の中で、偶然に作家の作品に出会うことになった。
「つぶての歌吉」 ― つぶて投げという特殊技能を持った男の破天荒な物語である。活字であれば何でもいい位の気持で読み始めたが、少し読んでみて驚いた。
単に面白いだけではない。グイグイ引きつける文章力に瞠目した。
これは並の作家ではない。
三島の作品が華麗な日本語をよみがえらせたのに対して、安部の作品は、端正な日本語をよみがえらせている。しかも気どらない通俗的な語り口だ。
作家は、相当ハチャメチャなことを語っているが、しっかり抑制のきいた文章は特有のユーモアをかもし出し、全体が温かい羽毛でつつまれている。
天性のストーリー・テラーなのであろう。同じ内容を他の人が表面的に真似て書き上げたとしたら、とても下品なものになるに違いない。
作家の知性とユーモアが、豊かな体験に裏打ちされて、巧みな言葉の中に包みこまれている。まさに安部ワールドといったものが展開されていくのである。
六、 私は、作家の他の作品も読んでみたくなった。
作家のデビューを飾った「塀の中の懲りない面々」が独房に入ってきたのは6月7日のことであった。独房に運んできた看守が、かなり複雑な顔をしていたのが印象的であった。塀の中にこの本を差入れてもらう人はあまりいないのかもしれない。
この作品は独房内の私に、心からの愉悦を与えてくれた。それは、書写の気分転換を超えるものであった。
加えて、願箋とか自弁とかの塀の中の専門用語が随所に用いられており、臨場感をもって読み進むことができた。誠に得難い体験であった。
その後、「塀の中の懲りない面々(2)」「塀の中のプレイボール」「賞あり罰あり猫もいる」「塀の外の男と女たち」が次々と入房し、私は多彩な人間模様が織りなす安部ワールドに包み込まれることとなった。
塀の中の楽しいひとときを作家によって与えられた私は、豊かな気持に包まれて、再び日本の古代に遊ぶことができたのである。
七、 保釈されてから、「つぶての歌吉」(朝日文芸文庫)10冊を買い求め、入院等をして無聊をかこっている友人達に贈った。
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