074 尋問
- 2005.01.18
- 冤罪を創る人々
****3) 尋問
一、 検察官中島行博による本格的な取調べが始められたのは、平成8年1月28日、午後1時からであった。松江刑務所管理棟の一室である。
看守に連行されて部屋に入ると、正面に中島が窓を背に座っており、左横に渡壁将玄書記官がノート・パソコンを前にして控えていた。
私は、中島に向き合った机に席を与えられた。部屋には暖房が全くなく寒くて仕方ない。中島に対して暖房を要求したところ、中島の指示によって石油ストーブが入ってきた。
中島:「昨日あんたが、検察は暖かいところで仕事をしていて、被疑者は火の気のないところへ放り込むのか、と文句をつけたので、それではお互い同じ条件でやろうと思って、敢えてストーブを入れてもらわなかったんだ。私は寒さに強いんでね。」
― そうだろう、90㎏はある熊のような大男だ。ヘンなことに気をつかって意気がっている。
二、 中島の取調べは、マルサと検察が勝手に創り上げたストーリーに沿ってなされ、その意味では典型的な誘導尋問であった。
中島の私に対する尋問は、手許にある正式な記録の上では、平成8年1月28日付に始まり、同年3月4日付で終わる45通の検面調書に残されている。
面妖としか評しようのない尋問の連続であり、これらを称して起訴状を書いた藤田義清と公判を担当した立石英生の二人の検察官が「禅問答」と評したのは、ある意味で正鵠を射ている。
たしかに、中島行博は、若くして奥義を極めた禅の高僧であったに相違ない。
三、 中島の取調べはほとんどが雑談に費やされた。取調べ終了の予定時刻が近づくと、中島は「さあ、少しは仕事もしなくっちゃ」とか言いながら腕まくりをし、背スジをピンと伸ばし、禅僧にヘンシンしていった。それまでのふくれた顔がいくぶん引き締まり、心なし声色も変わっていった。熊が禅僧に変身するのである。変態である。
四、 中島は、当初私の経歴とか、組合に関与していった経緯などを問いかけてきた。この段階は普通の尋問であって、禅問答ではなく、目の前にいるのは単なる検察官中島行博であった。
ところが、事件の核心にふれる部分に至るや、中島の問いかけが一変した。同時に禅僧への変態が始まり、事実に反することを前提とした絵空事が空念仏さながら展開されたのである。
五、中島は、古式禅問答にはとても見出せないような珍妙な問いを発し、私に答えるように促した。
私は答える前に、念のため次のように問いかけてみた。
山根:「あなたは今、面白い問いかけをなさったんですが、私は自分の思った通りのことをしゃべってもいいんでしょうか。」
中島:「もちろんいいですよ、いやそうしてもらわないと困る。」
山根:「ただ、私の正直な気持を微妙なところまで表現するためには、私のネイティヴ・ランゲージを使ってお答えするのが一番なんですがね。それでいいでしょうか。」
中島:「ネイティヴ・ランゲージ?それは何のことだ。」
山根:「いやなに、出雲弁のことですよ。」
中島:「出雲弁?」
山根:「はい。」
中島:「どういうことなんだ。」
山根:「私、普段仕事をする場合に出雲弁が分らない人が多いために、やむなく慣れない標準語を使っています。たしかに、単なる意思の伝達ということでは、標準語で十分です。
しかし、気持の微妙な綾までは伝えることはできないんです。」
中島:「オレも出雲弁なんてはじめてだが、とにかく話してみてくれ。」
山根:「ではお言葉に甘えて。
“だらくそ、よもよも、そぎゃんだらつけたことええたもんだわ。そげなこと、しんけでもえわんわね。だらか。ほんにせえたもんだわね。どげん答えてええか分らんがね。”
中島:「・・・なんだ、それは。」
山根:「あなたの問いに対する私の素直な気持を、子供の頃から慣れ親しんだ正統出雲弁で話すとこうなるんですよ。」
中島:「どんな意味なんだ。」
山根:「標準語に翻訳いたしますと、 ―
“アンポンタン、よくもそのような訳の分らない理不尽なことが言えたものだ。そんなこと、気狂いでもいわないだろうよ。アホか、すっとこどっこい。どのように答えたらいいのか分からないじゃないか。”
― 位の意味でしょうかね。
六、 中島の大きな顔が更にふくれて、本気で怒っているようであった。私は予め中島の許可を得ておそるおそる話しているのに、何か気に障るところがあったのであろうか。心ならずも天下の検事サマに失礼なことをしたとするならば、反省しなければならない。
中島:「供述調書にそんな方言を載せるわけにはいかない。他の検事も目を通すものであるし、法廷に証拠として提出されるものであるから、誰にも分るようなものでなければいけないんだ。」
七、 中島と私との間で供述調書の書き方について話し合った末、結局、私の出雲弁の交じった標準語を中島が正しい標準語に直し、更に品のいい言葉に置きかえ文体をととのえた上で、中島が私の代わりに口述し、渡壁書記官がノートパソコンに録取することで落ちついた。
従って、私の供述調書は嘘の自白ではないまでも、中島による二重のフィルターを通したものである。
一つは、出雲弁が標準語に転換されていることであり、今一つは、全体に下品な私の言葉づかいが余所行きの上品な言葉づかいに転換されていることだ。
改めて、私の供述調書を読み返してみると、山根治の名前を騙ってしゃべっているのは誰だ、と思わず詰問したくなるほどである。現実の私は供述調書の私のようには標準語を話すことができないうえに、とてもあのような品のいい話し方などできないからだ。なにせ、自慢ではないが、私は非名門の生まれだ。
私にはまともな標準語など死ぬまで話すことなどできそうもないし、そのようなことをするつもりも全くない。しかし、話し方だけはひょっとして変えることができるかもしれないので、今後は供述調書の中にいる私を見習って、私が常日頃頻発している品のない言葉を謹み、上品な言葉づかいを心がけてみようか。
八、 中島と私との間に交された禅問答がいかなるものであったのか、また私がいつもの私とは違っていかに上品な言葉づかいをしているのか、供述調書の中から適宜拾い出してみることとする。
中島:「・・・何故不当ではないですか。具体的に説明して下さい。」
山根:「私は検事が何故不当であると言っているのか分かりません。当然私は正当だと思っています。」
(平成8年1月30日付供述調書)
山根:「私はその質問自体がナンセンスだと思います。」
「そのような誘導尋問による質問には答えるわけにはいきません。私は、「トンネル」とか「形」という言葉は、明らかに一つの意図をもった言葉であり、誘導尋問だと思います。」
「「環流」とか「迂回」という言葉は、特定の意図を持った言葉であり、特定の意図を持った誘導尋問にはお答えのしようがありません。」
(同年1月31日付、供述調書)
山根:「すでにこれまでの私の説明で尽きていると思うので、これ以上お答えする必要は認めません。」
(同年2月1日付、供述調書)
山根:「検事の質問はあまりにも意地悪な質問なので、今の段階で答えようがありません。」
(同年2月3日付、供述調書)
山根:「そのような見方をされるのは勝手ですが、実態と違っているとしか言いようがありません。」
(同年2月4日付、供述調書)
山根:「結果論であれこれ言われてもお答えのしようがありません。」
(同年2月7日付、供述調書)
山根:「検事がおっしゃっている疑問自体、おかしいのではないかと思っています。」
(同年2月14日付、供述調書)
山根:「この件につきましては、今まで何度となくお答えしていることで、これまでの説明で尽きていると思います。」
(同年2月29日付、供述調書)
九、 ほとんどの供述調書の中では、現実離れしたヨソヨソしい問答に終始し、品のない日本語は決して登場しないのであるが、二回だけ必ずしも品がいいとは言い難い日本語が登場したことがあった。
「馬鹿な経営者」と「下司の勘ぐり」とである。
一〇、「馬鹿な経営者」については次のような経緯があった。
平成8年2月4日、中島が現実の会社経営者なら到底考えそうもないことを前提にして、意地悪な質問を執拗に繰り返すので、さすがの私もキレたのである。
山根:「一寸待ってくれ。君が検事だと思うから、こちらも黙って聞いているんだ。ふざけんじゃない。そんな御託をゴタゴタ並べやがって。いいかげんにせんか。」
中島:「なんてこと言うんだ。」
山根:「ヤカマシー!今度は黙ってオレの言うことを聞け。バカヤロー。」
中島:「・・・。」
山根:「そもそも君が考えているような経営者が現実にいると思うのか。バカバカしいったらありゃしない。そんな経営者なんていないし、万一いたとしても、そんな君が考えるような馬鹿な経営者なら、会社なんてたちどころに倒産だ。
君は経済の現実などろくに知りもしないくせに、知ったふうなことを言うんじゃない。会計士のオレに向って何てことを言うんだ。バカヤロー。」
一一、「馬鹿な経営者」をめぐる私と中島とのやりとりの実際は以上のようなものであったが、検面調書の上では誠に上品な私が登場するのである。
山根:「検事が勝手に想像するような、そんな馬鹿な経営者はいないと思います。検事がおっしゃっているような経営者なら、会社経営などやっていけるわけがないからです。」
(同年2月4日付、供述調書)
一二、「下司の勘ぐり」についても同様であった。
バカヤロー、オタンコナス、アンポンタンといった私の日常用語で中島をひとしきり叱りつけた後にでてきたのが、「下司の勘ぐり」であった。
下司とは、こっぱ役人というほどの意味合いをもった言葉である。中島もこの言葉を知っていたとみえて、検事である自分に対して下司呼ばわりされたのが、いたくプライドを傷つけたようであった。
この「下司の勘ぐり」という言葉を供述調書にのせるのせないで、ひとしきりもめた末に、結局調書にのせることになった。
私の言ったとおりの言葉を録取しないのならば、今後の取調べには一切応じないと突っぱねたからである。
中島は、仏頂面になり、正面を向かずにいくぶん顔をそむけて、私の言い分をブツクサと口述し、書記官に録取させた。
このとき作成された供述調書はどこへ消えたのであろうか、ついに法廷に開示されることはなかったし、従って私の手許にも残っていない。幻の検面調書である。