冤罪を創る人々vol.30
- 2004.10.12
- メールマガジン
2004年10月12日 第30号 発行部数:241部
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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-
日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ) 昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
http://www.mz-style.com/
【お知らせ】
「冤罪を創る人々」が週刊ダイヤモンド(※10月25日発売の
10月30日号)にて取り上げられることになりました。
週刊ダイヤモンド http://dw.diamond.ne.jp/
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●(第六章)権力としての検察 ― 暴力装置の実態
「(9) 検察側証拠開示」より続く
http://www.mz-style.com/item/125
(10) 日常業務の処理
一、 逮捕され拘置監に収容されたことは、公認会計士としての私に
致命的な打撃を与えた。私は事務所の崩壊と会計士人生の終焉とを
覚悟した。
しかし、自ら投げだしてしまうことだけはしたくなかった。力尽
きるまでやってみて、後は運にまかせようと考えた。
二、 幸い、岐阜の高庭敏夫公認会計士が私の事務所を支援するため
に駆けつけてくれた。スタッフに動揺はあるものの、それぞれが自
らの職場を守り、維持していく気概は失われていない。
三、 更に、私の事務所は従来から一人一人のスタッフがプロ意識を
もって仕事にあたってきており、私自身の仕事は特殊事案の判断と
その処理に限られていた。
従って、事務所の顧客の動揺をおさえることができれば、事務所
の維持は可能であると判断した。
平成8年3月10日、私は関係者への挨拶文をしたためて中村弁
護人に託し、顧問先等の関係者への発送を依頼した。
しかし、私の挨拶文は発送されることはなかった。職員の古賀氏
がワープロで清書し、800人余りの宛名書きを終えた段階でストッ
プがかかったからである。
加山副所長と高庭公認会計士の意見として、顧問先の中には私が
権力と闘っていくことに不安を感じている人達が少なからず存在す
るため、このような挨拶文を出すと、かえって関係先の動揺を増幅
することになるのではないか、したがってしかるべき時期がくるま
で発送を控えたほうがよいのではないか、ということでまとまり、
発送しなかった旨、中村弁護人から伝えられた。
私は現場サイドの考えを了とし、発送を見合わせることに同意し
た。
いわば私の幻のメッセージは次のとおりであった。
拝啓
この度の私の逮捕並びに起訴につきましては、皆様には、多大な
ご心配とご迷惑をおかけし、誠に申し訳なく思っております。長年
にわたって、私に大きな信頼を寄せていただいてきただけに、心苦
しくお詫びのしようもありません。
しかし、この度の一連の騒動は、国税並びに検察当局が、事実に
あらざる架空のシナリオによって、私を断罪しようとしていること
によるもので、国家権力を背景にした弾圧であり、許すことができ
ません。このような事態になった以上、私は身を賭して闘っていく
所存であります。
私といたしましては、一刻も早く勾留を解かれ、親しくひざを交
えてお話したいと思っています。当面の間、幸いにも、私の事務所
は、加山副所長のもとで、高庭敏夫公認会計士の支援を得て、運営
させていただくことになりました。高庭氏は、私が最も信頼をおく
二十数年来の会計士としての友人です。私同様よろしくお願い申し
上げます。
私が法に触れるようなことをしていないことは、裁判の結果が示
すことになるでしょう。今一度、私にチャンスを与えていただき、
引き続きおつきあい賜ることができますならば、これに過ぐる幸せ
はありません。
書面にて十分に意を尽くすことはできませんが、私の気持ちをお
くみとりくださいますよう、伏してお願い申し上げる次第でござい
ます。
敬具
皆々様
山根 治
四、 事務所の日常業務に関して、房内ですべきことは概ね次の3つ
であった。
1.資金繰り
2.確定申告書の署名
3.青色申告の取消しと更正通知への対応
五、 事務所の資金繰りについては、通常の資金手当の心配はなかっ
たが、予想外の国税関連の支出が発生したため、その対応に苦慮し
た。
広島国税局が組合の脱税を摘発すると同時に、私と私の関連会社
を第二次納税義務者と勝手に決めつけ、差し押さえの挙に出たから
である。ただ、国税局としても屁理屈には限界があったらしく、私
と関連会社の全資産を差し押さえて換価処分することまではしなかっ
た。
私の勾留が予想外に長引いたため、資金繰りはまさに綱渡りの状
態であった。
私が291日ぶりに保釈されたとき、保釈金の支払いも重なって
事務所の資金繰りはパンク寸前であり、私がまっ先に取り組んだの
は事務所の資金繰りの立て直しであった。
金融機関からの融資が期待できないなかで、貸金の回収、換価可
能資産の売却等できる限りの対策を講じ、3ヵ月程かけて旧に復す
ことができた。
(続きはWebサイトにて)
http://www.mz-style.com/item/129
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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
http://consul.mz-style.com/catid/21
・一億円を捨てた男
かつて一億円の現金を、兜町(かぶとちょう)の路上で拾った大貫
某なるタクシーの運転手がいました。遺失物として警察に届けられ、
大騒ぎになりましたが期限内に所有者が名乗り出なかったため、全額
が運転手のものになったいわゆる一億円拾得事件です。
大貫某なる人物がしばしばマスコミに登場し、ランニングをして身
体を鍛えたり、日本刀を振りかざしたりと、ユニークなパフォーマン
スを展開したことから、各種のマスメディアが派手にとりあげ、全国
的に大きな話題になったものでした。
拾った大貫某もさることながら、道端に一億円もの現ナマを忘れて
いったのは一体誰だろうかということで、各マスコミは懸命になって
その所有者を探しましたが、結局ウヤムヤのままに終ったようです。
一億円といえば大金です。落とした者が気づかない訳がありません。
実は、私も面識があったある相場師の配下の者が、決済資金として運
んでいた途中に、ほんの一寸の間、ガードレール上に置いたスキに持っ
ていかれてしまったというのが真相でした。10秒前後のことであっ
たそうです。
真の持ち主として警察に届け出て、拾った人に一定の謝礼金を支払
えば、大半のお金は返ってくるわけですが、この相場師は敢えてそれ
をしなかった。何故、届け出をしなかったのでしょうか。届け出をし、
名乗りでた場合、当然のことながら資金の出所を明らかにしなければ
なりません。この相場師には資金の出所を明らかにすることができな
い理由があったのです。
当時この相場師はかなり大きな相場を張っており、多くの顧客の資
金を預って運用していました。20口以上の仮名口座を使い分けて相
場を仕切っていましたが、一億円の出所を明らかにすることによって
それらが全て白日のもとにさらされるおそれがありました。そうなれ
ば、彼を信頼してまとまったお金を預けていた顧客にまで累が及び、
迷惑をかけてしまうと判断したのでしょう。
株式市場に流入していた資金で、個人の相場師のところに入ってく
るものは、ほとんどが裏金でしたので、相場師としての彼の判断はむ
しろ当然のものでした。
彼は、一億円の身銭を切って顧客に弁済し、その顧客だけでなく、
他の顧客の秘密を守りました。このことによって、この人物の評価は
一段と高くなり、資金流入のパイプが更に大きくなり、その後も数々
の相場を手がけていきました。
キチンとした計算をしないで、大雑把にお金のやりとりをすること
を、俗にドンブリ勘定といいます。この相場師の場合、大雑把な度合
いが一ランク上のバケツ勘定といったところでしょうね。彼のバケツ
は一応底がついていましたので、なんとか相場師を続けていくことが
できたようですが、中には始めから底のないバケツでせっせと顧客か
ら大金を集めては金をバラまいて失敗していく連中もいたようです。
まさに、事実は小説よりも奇なり、といったところでしょうか。
―― ―― ―― ―― ――
ここで川柳を一句。
“紅白の舞台の裏で動くカネ” -成田、離らっくす
(毎日新聞:平成16年8月24日号より)
(シーザーではありませんが、NHK、お前もか!!)
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