052 日常業務の処理

****10) 日常業務の処理

一、 逮捕され拘置監に収容されたことは、公認会計士としての私に致命的な打撃を与えた。私は事務所の崩壊と会計士人生の終焉とを覚悟した。

 しかし、自ら投げだしてしまうことだけはしたくなかった。力尽きるまでやってみて、後は運にまかせようと考えた。



二、 幸い、岐阜の高庭敏夫公認会計士が私の事務所を支援するために駆けつけてくれた。スタッフに動揺はあるものの、それぞれが自らの職場を守り、維持していく気概は失われていない。



三、 更に、私の事務所は従来から一人一人のスタッフがプロ意識をもって仕事にあたってきており、私自身の仕事は特殊事案の判断とその処理に限られていた。

 従って、事務所の顧客の動揺をおさえることができれば、事務所の維持は可能であると判断した。

 平成8年3月10日、私は関係者への挨拶文をしたためて中村弁護人に託し、顧問先等の関係者への発送を依頼した。

 しかし、私の挨拶文は発送されることはなかった。職員の古賀氏がワープロで清書し、800人余りの宛名書きを終えた段階でストップがかかったからである。

 加山副所長と高庭公認会計士の意見として、顧問先の中には私が権力と闘っていくことに不安を感じている人達が少なからず存在するため、このような挨拶文を出すと、かえって関係先の動揺を増幅することになるのではないか、したがってしかるべき時期がくるまで発送を控えたほうがよいのではないか、ということでまとまり、発送しなかった旨、中村弁護人から伝えられた。

 私は現場サイドの考えを了とし、発送を見合わせることに同意した。

 いわば私の幻のメッセージは次のとおりであった。 拝啓
 この度の私の逮捕並びに起訴につきましては、皆様には、多大なご心配とご迷惑をおかけし、誠に申し訳なく思っております。長年にわたって、私に大きな信頼を寄せていただいてきただけに、心苦しくお詫びのしようもありません。
 しかし、この度の一連の騒動は、国税並びに検察当局が、事実にあらざる架空のシナリオによって、私を断罪しようとしていることによるもので、国家権力を背景にした弾圧であり、許すことができません。このような事態になった以上、私は身を賭して闘っていく所存であります。
 私といたしましては、一刻も早く勾留を解かれ、親しくひざを交えてお話したいと思っています。当面の間、幸いにも、私の事務所は、加山副所長のもとで、高庭敏夫公認会計士の支援を得て、運営させていただくことになりました。高庭氏は、私が最も信頼をおく二十数年来の会計士としての友人です。私同様よろしくお願い申し上げます。
 私が法に触れるようなことをしていないことは、裁判の結果が示すことになるでしょう。今一度、私にチャンスを与えていただき、引き続きおつきあい賜ることができますならば、これに過ぐる幸せはありません。
 書面にて十分に意を尽くすことはできませんが、私の気持ちをおくみとりくださいますよう、伏してお願い申し上げる次第でございます。敬具皆々様山根 治 

四、 事務所の日常業務に関して、房内ですべきことは概ね次の3つであった。

 1.資金繰り

 2.確定申告書の署名

 3.青色申告の取消しと更正通知への対応

五、 事務所の資金繰りについては、通常の資金手当の心配はなかったが、予想外の国税関連の支出が発生したため、その対応に苦慮した。

 広島国税局が組合の脱税を摘発すると同時に、私と私の関連会社を第二次納税義務者と勝手に決めつけ、差し押さえの挙に出たからである。ただ、国税局としても屁理屈には限界があったらしく、私と関連会社の全資産を差し押さえて換価処分することまではしなかった。

 私の勾留が予想外に長引いたため、資金繰りはまさに綱渡りの状態であった。

 私が291日ぶりに保釈されたとき、保釈金の支払いも重なって事務所の資金繰りはパンク寸前であり、私がまっ先に取り組んだのは事務所の資金繰りの立て直しであった。

 金融機関からの融資が期待できないなかで、貸金の回収、換価可能資産の売却等できる限りの対策を講じ、3ヵ月程かけて旧に復すことができた。

六、 関与先の税務の確定申告書については、税理士として署名した。房内での署名は、200件を超えた。

 確定申告書は期限内に提出することが義務付けられており、一日でも遅れると過少申告加算税というペナルティが課されるので、期限の一週間前には差し入れてもらうことにしていた。

 当初は他の差入物品と同様に、房内に到達するのに3、4日かかり、更に宅下げするのにも相当な日数がかかったため、期限内に提出することができなくなるおそれが生ずる状態であった。

 私は次のように申し向けて、一発かますことにした、 ―

 

山根:「確定申告書というものは法定期限までに提出することになっており、一日でもずれるとペナルティがかかってきます。私は、そのことを考えて、一週間ものゆとりをもって差し入れしてもらっています。

 刑務所の側がモタモタしていたために期限内に提出できなくなった場合には、どうしていただけますか。

 ペナルティは税額の10%、 私の関与先に負担していただく訳にはいきません。当然松江刑務所で負担して下さいますね。

 まあ、税務署も刑務所も同じお国のことですし、ペナルティといってもたいしたことありませんからね。

 なに、税額が1000万円としたらその10%で100万円、1億円としたら1000万円ですからね、この位の金額なら松江刑務所予算の予備費で十分賄えるでしょうね。」



 私の話に耳をすまして聞いていた若い担当看守は、緊張のためであろうか、顔がいくぶんこわばり、物も言わずに管理棟に駆け込んだようであった。

 以後、確定申告書については、特別扱いとなったらしく、差入れから宅下げまで、特急便となった。



七、 私が最も神経を使ったのは、組合の税金に関することであった。

 仮に刑事事件で無罪となったとしても、税金についてはしかるべき対応をしておかなければ、行政サイドで一人歩きをし、各種税金の支払が確定するおそれがあったのである。



八、 平成8年3月6日、原処分庁である益田税務署は、組合に対して青色申告承認取り消しの処分を通告した。

 同年3月25日、組合の四事業年度にわたる更正処分(税金の追徴)の通知が追い打ちをかけてきた。

 その後、島根県と益田市から各種各年度の税金の更正処分が次々と通告されてきた。

これらの処分は、通告を受けた日から二ヶ月以内に異議の申立てか、もしくは不服審判の申請をしなければ、自動的に確定してしまう。

 私は、時間稼ぎをするために、取り敢えず原処分庁に対して組合の代理人として異議の申立てをすることにした。

 房内で、それぞれの異議申立書を作成し、宅下げして事務所職員に清書させ、提出した。

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