耳順について

この7月で満62歳になりました。60歳が耳順(じじゅん)と言われていますので、それを2年ほど超えたことになります。

 孔子は、四十にして惑(まど)わずと言い、五十にして天命を知ると言い、六十にして耳順(みみしたが)うと言っています。

 私の場合はどうでしょうか。四十にして惑わず、どころではなく、いよいよ惑い、五十にして天命を知るどころか、逮捕され更に惑いが深くなりました。



 耳順の意味を確認するために、岩波の広辞苑をめくってみたら、次のように記されていました、―”じじゅん(耳順)。論語為政「六十而耳順」。修養ますます進み、聞く所、理にかなえば何らの障害なく理解しうる意。60歳の異称。”

 不惑(ふわく、40歳)、知命(ちめい、50歳)共に私には全く当てはまらないのですが、耳順(60歳)については、なるほどと思われるフシがあります。

 確かに60歳を過ぎた頃から、今まで気付かなかったこと、今まで見えなかったことが、気が付き、見えるようになってきたことは事実です。

 孔子はより深い意味をこめて、耳順(みみしたが)うと言っているようですが、私の場合たとえば読書という極めて狭い領域について限定してみますと当てはまるようなのです。

 人生経験を積み重ねるにつれて、同じ本あるいは同じ作家であっても、訴えかけてくるものが異なると言われていることと同じことなのでしょう。本とか作家が変わる訳ではありませんので、読む側が同じ人物であっても、年月の経過と共に人物そのものが微妙に変わっていくんですね。

 幸田文(こうだあや)という女流作家がいました。明治の文豪であり考証家でもあった幸田露伴の娘にあたる人です。86歳の天寿を全うし、平成2年に亡くなっています。

 私がこの作家の作品に出会ったのは、たしか高校の教科書の中でした。作家のエッセイの一編が載せられており、題名も含めほとんど忘れましたが、エビ釣りの話であったと記憶しています。

 エビ釣り専用の細かい釣り針に、ミミズをつけて手長エビを釣るのは、私の幼い頃の楽しい思い出の一つです。作家にも同様な経験があったようで、釣り糸をそおっと引き上げると、”もわもわっと”、細長い両手を広げてエビが川面に浮かび上がってくる情景が実に見事に表現されていました。

 今から40年以上も前のことながら、作家の端正な美しい日本語は私の脳裡に鮮やかに残っています。

 父露伴が昭和22年に80歳で死去したのが、作家43歳のときでした。作家が文章を書きはじめるのは、それ以降のことですから、私が接した作品は作家の40歳代後半のものでしょう。

 最近、作家45歳の時の作品で代表作と目されている「みそっかす」(岩波文庫)を読んでみました。このところ私の興味の視野に考証家としての幸田露伴が入ってきましたので、露伴の生涯にわたって至近距離で娘の立場から父親を見続けてきた人の、文豪の想い出を読みたくなったからでした。

 父露伴だけでなく、祖母、おば達を含めた周囲の人々が、露伴の言葉を借りれば”しゃっとした”日本語で描き尽くされています。

 端正な美しい日本語が、寸分のゆるみもない文章に仕立てあげられているのは、ただ驚くほかありません。

 この作品など、今の62歳になった私だから理解できることが随所にあります。いたずらに年をとることを馬齢を重ねるといいますが、馬齢を重ねる楽しさが少しずつ分かってきたというのが、「耳順」についての現在の私の理解であるようです。 

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