冤罪を創る人々vol.18

2004年07月20日 第18号 発行部数:212部

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 「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-




    日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。


    マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。


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 山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ


 株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント


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●(第五章)権力としてのマルサ ―暴力装置の実態




「大木洋・証拠の隠匿」より続く


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(1)大木洋




(ウ) 民事裁判の判決




一、 私は、平成5年9月28日のガサ入れの初日に、マルサによっ


 て架空と決めつけられた不動産取引に関係のある民事裁判の判決が、


 直前の同年9月20日に、松江地裁から出されている事実を、大木


 洋に告げ、判決は、この取引が真実有効に成立していることを明確


 に認定していることを申し向けた。




二、 マルサの脱税嫌疑を真正面から否定するこの判決について、大


 木洋は、一瞬動揺しながらも、次のように言い放ったものである、 ―




 「刑事事件は、民事裁判の判決には拘束されるものではない。そん


 なもの一切関係ない。」


 


三、 平成6年1月18日、私は、民事裁判についての大木洋の言い


 分を記録として残すために、広島の大木洋に架電し、改めて問い質


 した、 ―




山根:「私が嫌疑を受けていることに関連して、民事裁判が今3つ進


 行中なんですね。3つ、これご存知ですね。その内の2つは、すで


 に判決が出ています。一つのものは、あなたが昨年の9月28日、


 松江においでになったときに、私お話申し上げて、9月20日に判


 決がでましたよとお話し、判決文のコピーを差し上げましたね。」


大木:「賃貸料の請求の件ですね。」


山根:「そうです。それが2週間の控訴期限が過ぎても、佐原が控訴


 しなかったために、判決が確定しました。


  もう一つの株主権の関係の訴訟については、昨年の11月29日


 に、千葉地裁の判決が出ました。もう2週間以上たっていますが、


 佐原が控訴していないようですので、おそらく、今の時点で、判決


 が確定しているはずです。」


大木:「ほう。なーるほど。」


山根:「2つの判決とも、佐原の言っていることは全く信用ができな


 いといって全面的に退け、取引は真実有効に成立していると認定し


 ています。あなた方は、佐原の言うことを真に受けて、私達に脱税


 の嫌疑をかけているわけですね。


  この2つの民事判決について、あなたはどう考えているんですか。


 あくまで、脱税の調査に民事裁判の判決は関係ないとおっしゃるん


 ですか。」


大木:「ええ、関係ないですね、全く。」


山根:「全く?」


大木:「関係ありません。民事の場合、既判力は当事者にしか及ばな


 いんですから。我々の調査に影響を与えるものではありません。」


山根:「民事法廷で佐原が、あることないことを思いつくままにしゃ


 べっているんですが、あなた方の調査の参考になりませんか。」


大木:「私達の調査には、全く関係ないし、参考にしませんね。」


山根:「全く参考にしない?」


大木:「そうです。と言うのはね、民事の場合、当事者は何を言って


 もいいですから。法廷で嘘を言っても構わないわけです。なんせ、


 偽証罪というのはないんですから。」




四、 以上は、平成6年1月28日に録音したテープを忠実に再現し


 たものである。


  民事裁判でも、当時者同士のいわば、慣れ合いの裁判ならばとも


 かく、この2つの判決は、当時者が敵対的関係にある裁判の判決で


 ある。


  しかも、相手方の佐原良夫は、自らの責任をなんとか逃れようと


 して、民事法廷で嘘に嘘を重ね、その挙句、もともとの契約が架空


 のものだと言い張ったことを、正面から否定する内容の判決である。


 脱税の認定には全く関係のないものであり参考にする必要はないと、


 一蹴していいはずがない。




五、 前項で述べたように、脱税とはなりえない決定的な証拠をつか


 んでいながら、握りつぶした事実に加え、民事の判決とはいえ、極


 めて重要な証拠を全く無視した大木洋は、自ら確信犯として、捏造


 脱税事件の告発へと突き進んでいった。






(エ) 余罪の追及




一、 平成5年9月29日、私が余罪の追及などするなと抗議したの


 に対して、大木洋は国犯法の調査に際して、脱税以外の余罪を追及


 するのは当然であると居直った。




二、 私は、大木の言動を記録に残しておくために、平成6年1月


 17日に広島の大木洋に架電し、余罪の追及について改めて大木に


 質した。午後1時20分から30分間、2人で話し合った軌跡は録


 音テープに残され、15ページの反訳文となって、私の記録簿に


 ファイルされている。


  ここに忠実に再現することとする。 ―




三、 山根:「大木さんが、去年の9月29日だったと思うんですが、


 私に教えて下さったことがありましたね。」






(続きはWebサイトにて)


http://www.mz-style.com/item/85






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●山根治blog (※山根治が日々考えること)


http://consul.mz-style.com/catid/21






「司馬遼太郎さんについて-その4」より続く


http://www.mz-style.com/item/82






  空海は、承知2年(西暦835年)に62才で死にました。この


 死の事実をめぐって、作家は「空海の風景」の中で次のように述べ


 ています。-




 ”しかし死んだのではなく入定(にゅうじょう)したのだという事


 実もしくは思想が、高野山にはある。この事実は千余年このかた継


 承されてきて、こんにちもなお高野山の奥之院の廟所の下の石室に


 おいて定(じょう)にあることを続け、黙然と座っていると信ぜら


 れているし、少なくとも表面立ってこれを否定する空気は、二十世


 紀になっても高野山にはない。”




  今でも、維那(いな)と呼ばれている僧侶が、黄衣(こうい)を


 まとって、廟所にいる空海の衣を更えたり、朝夕二度の食事の膳を


 勧めたりしているそうです。私のように宗教的には中立的な立場に


 いるものには、とうてい理解の及ばないところなのですが、ただ、


 強烈な信仰の存在には身の引き締まる思いがします。




  司馬さんもこの入定説(空海は死んだのではなく、即身成仏とし


 て生きたまま現在も存在しているとする考え)に疑問を投げかけ、


 物理的には否定していますが、千年以上も続いた即身成仏信仰自体


 を否定しているのではありません。作家の信仰一般に対する真摯な


 思いと敬虔な祈りとが背景にあるのでしょう。あるいは、それ以上


 に一人の天才としての空海に対する作者の熱い思いがあるからでしょ


 うか。


  空海は死に、火葬された、-これが作者の結論です。




 作者がその根拠とする大きなものは、古代日本の正史の一つである


 「続日本後記」の記述です。


  空海の死に関しては、かなりのスペースが割かれており、時の朝


 廷がいかに空海を処遇していたのかが分かります。作者は、簡潔な


 記事であると言っていますが、日本書記をはじめとしたいわゆる六


 国史の中の死亡記事としてはむしろ長文に属するものです。




  その中の淳和(じゅんな)上皇の弔詞に曰く、-


 ”嗟呼(ああ)、哀しいかな、禅関僻在(へきざい)にして、凶聞


 (きょうもん)晩(おそ)く伝はり、使者奔赴(ほんぷ)して荼毘


 (だび)を相(あひ)助くることあたはず。これを言ひて恨(うら)


 みとなせども、悵恨(ぢゃうこん)いづくんぞやみなん。旧窟(き


 うくつ)を思ひ忖(はか)るに、悲涼(ひりょう)、料(はか)る


 べけんや。”


 (ああ、哀しいかな。瞑想の修業道場(である高野山)が僻地(へ


 きち)なので、(京には)訃報(ふほう)が遅れて伝わった。弔問


 (ちょうもん)の使者は、心せわしくかけつけたが、師の荼毘を助


 けることもできなかった。こういって恨んでみても、悼(いた)み


 恨みことは、どうして消えることがあろうか。昔の座禅をしていた


 庵(いおり)に思いをはせるにつけても、悲しみに沈むのは深くは


 かりしれない。)


  -漢文の読み下しと現代語訳は、「弘法大師空海全集第八巻-


  筑摩書房刊」によっています。




  正史が上皇の弔文(公文書である院宣)を掲載し、そこに「荼毘」


 (火葬)と明記されていることに加えて、火葬の習慣は、仏教徒の


 あいだで広く行なわれており、空海が、密教は仏教の発達形態であ


 るとしている以上、仏教の思想と作法に逆らってまで非火葬の方式


 に固執したとは考えられないこと、この2つの根拠によって、作者


 は、入定説を明確に否定しているのです。


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