027 職員は語る
- 2004.06.22
- 冤罪を創る人々
***3.関係者の証言
****1)職員は語る
山根会計事務所 古賀益美氏の話
一、 私、その日(平成5年9月28日)は、トイレ掃除の当番にあたっていました。朝の8時半でした、二階の掃除をしていると、ドタドタッという音がしましたので、何ごとかと思って、階段を覗いて見たんです。
すると、三階にかけあがっていく男の靴が何足か目に飛び込んできました。エー、なんだなんだ、と思う間もなく、別の連中が、二階の私の部屋に入っていきました。三人でした。
二、 急いで、部屋に帰った私は、三人に向って、抗議をし、『一体何ごとですか。あなた方は山根所長の許可をもらっているんですか。』と言ってやりました。
三、 すると、キャップらしい45才位の男が、一枚の紙きれを高々と示して、「裁判所から捜索令状がでています。」と偉そうに言い放ったのです。
あとから判ったんですが、この人は、中村(中村真一、査察第三部門総括主査)という名前で、一見紳士風の男でした。
四、 この人達は、部屋の中をひっかきまわし、私に対して矢つぎ早に質問を浴びせてきたんですが、私には何のことやらよく分かりませんでした。
五、 途中、何人かの男が部屋をのぞいては帰っていきました。キャップだったんでしょうか、ヤクザと間違わんばかりの男が、私の顔をのぞきこむようにして、顔を近づけてきたときは、ホントにゾットしましたね。警察でもヤクザ関係をやると顔が悪くなるといいますが、マルサをやっているとあんな顔になるものかと妙に納得しちゃったりして。
六、 昼の12時すぎ、「昼食を食べて下さい。どうぞ食べて下さい。」などとしきりに言われたんですが、こんな引っかき回されているところで、しかもヤクザまがいの連中が眼を皿のようにして見張っているところで、昼食をとる気など起るはずがありません。だって、そうじゃないですか。お腹もすかなかったし、結局食べませんでした。
七、 私が山根所長の秘書の役割をしていたからでしょうか、私の自宅まで捜索されました。
私が重要なものでも託されて、隠しもっているとでも考えたんでしょうね。タンスの中の下着やら何やらひっくり返して、あさっていました。
めぼしいものがなかったようで、一寸拍子抜けしたようでした。アッタリ前田のクラッカー、なんていうと年がバレちゃうか。
八、 私の自宅から押収されたものは、次の5点で、中村真一は、現物と引きかえに、「差押目録謄本」を置いて帰りました、 ―
1. パスポート 一冊
2. 手帳(1991) 一冊
3. 手帳(1992) 一冊
4. 手帳(1993) 一冊
5. アドレス帳 一冊
九、 私、中村に対して、何でこんなもの押収するんですかと噛みついたんですが、ヤカマシーとばかりに持っていきました。今でも、何でパスポートなんか押収していったのか、理由が判りません。私が海外に逃亡するとでも思ったんでしょうかね、きっと。
一〇、 翌日、事務所で、再び取調べが行われ、中村は、なんかゴチャゴチャと書いた質問顛末書を私に読みきかせて、サインをするように求めてきました。
一一、そのとき、私、中村真一にキッパリと言ってやりました、 ―
「私は、よく分からないながらも、正直に自分の経験したことをお話しました。しかし、今の文章は、ニュアンスがかなり違うもので、山根所長に対する悪意に満ちています。
私は山根所長を全面的に信頼しており、多くの顧問先の方々も同じです。
所長を犯罪者にしようとしているあなた方の作文に同意はできませんので、サインはお断りします。」
一二、中村真一はなんとかして私に署名させようとしましたが、私は断り続けたんです。
ですから、私の質問顛末書の正式なものは一通もないはずです。
一三、マルサは、昼の12時半ごろに、部屋を引き上げていきました。
塩をまいてやりたいと思ったんですが、あいにく手許に塩がありませんでしたので、マルサの後姿に向って、思いっきり舌を出して、アッカンベーをしてやりました。清めのアッカンベー、なーんちゃったりして。
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