冤罪を創る人々vol.12
- 2004.06.08
- メールマガジン
2004年06月08日 第12号 発行部数:211部
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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-
日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ) 昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
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●(第五章)権力としてのマルサ ―暴力装置の実態
「9)国税庁長官への抗議」より続く
http://www.mz-style.com/item/60
10)抗議書(国税庁長官宛)
平成6年2月10日、岩本久人参議院議員から、査察課長の石井
道遠に手渡された国税庁長官宛の抗議書の全文をここに掲げる、 ―
抗議書
国税庁長官 濱本英輔殿
一、 私は、現在、広島国税局査察第三部門によって、国税犯則取締
法による調査を受けております。平成2年9月28日の臨検捜索か
ら4ヵ月が経過いたしました。私と多くの関係者が、まったく身に
覚えのない脱税という破廉恥な嫌疑を受け、言葉には言い尽せない
苦しみを味わってまいりました。この一連の強制調査において、不
当かつ違法な取り調べがなされていると思われますので、ここに事
実を記し、抗議をするとともに当局の見解を求めるものであります。
二、 まず第一に申し上げたいのは、広島国税局査察部は、誤った先
入観を持って、架空の脱税事件を創り上げ、私および関係者を脱税
の罪で告発しようとしていることであります。
調査担当の藤原孝行氏は、『自分の仕事は山根を告発することで
ある。告発した後、検察でも同じような事情聴取が行われることに
なる。裁判所に起訴するかどうかは、検察官の判断になるだろう』
と申し述べ、何が何でも告発だけはする姿勢をとっております。
三、 私は、平成5年9月28日の臨検捜査日より4日間にわたって、
松江税務署に呼び付けられ、大木洋、藤原孝行、新本修司の3名よ
り尋問を受け、私が、臨検捜索令状に示されている脱税の嫌疑とさ
れていることは、すべて事実に反することであると、具体的事実を
申し述べて説明をしても、まったく耳を傾けようとせず、鼻先であ
しらう扱いをいたしました。
四、 なかでも、嫌疑とされている事実が二つの確定判決(松江地裁
平成三年(ワ)第116号賃料請求事件および千葉地裁平成三年
(ワ)第879号株主権確認等請求事件)によって明確に否定され
ていることを申し述べ、その上、平成2年8月5日、この事実に関
連して、虚偽の申出を国税当局にしている人物から恐喝を受けた事
実を強調したことをも全く無視をして、国税当局が勝手に創り上げ
たシナリオを強引に押し通そうとしています。
五、 尚、この恐喝事件に関しては、すでに平成6年2月7日、東京
地方検察庁に対して告訴をいたしました。この恐喝の事実と、私が
脱税の嫌疑を受けている脱税の嫌疑とは、全く矛盾するものである
ことを申し添えておきます。
平成5年11月25日、再度、松江税務署の取り調べ室に呼び付
けられ、藤原孝行、新本修司の2名より尋問を受けた際も、同じよ
うな状況でありました。その後、藤原孝行氏の要請により、私は事
実経過を詳細に記した申述書を3通作成して、身の潔白を証明した
ところでありますが、何が何でも告発だけはするという姿勢を崩し
ていないようであります。
六、 昨年12月24日、東京国税局のロビーで、一人の男性が刃物
を胸に突き刺して、自殺をいたしました。その人物が携えていた遺
書には、国税当局への恨みが綿々と綴られていたそうであります。
この男性が社長をしていたハニックス工業は、東京国税局査察部に
よって、脱税のかどで東京地検に告発され、その告発の事実が公表
され、マスコミによって報道されるや、同社の社会的信用は失墜し、
報道後わずか4日にして会社更生法を申請して倒産するに至り、同
年12月20日破産宣告が出ているようであります。
七、 このように、検察が告発を受理するかどうか、あるいは受理を
して、起訴するかどうか、さらに起訴がなされて有罪になるかどう
かに関係なく、単に国税局が検察に告発をするという事実だけで、
企業の社会的生命は終わることがあるわけであります。
私の場合もまったく同様で、このようないわれのない嫌疑によっ
て、告発され、それが報道されただけで、私が20年近くをかけて
営々として築き上げてきた会計事務所は、一瞬のうちに崩壊し、私
の公認会計士としての生命は終わるわけであります。
(続きはWebサイトにて)
http://www.mz-style.com/item/64
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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
http://consul.mz-style.com/catid/21
「遊仙窟について-その1」より続く
http://www.mz-style.com/item/61
八年前、松江刑務所拘置監に閉じ込められ、無聊を慰めるために、
書写と読書に没頭する日々を送っていました。
万葉集、各国の風土記、あるいは懐風藻を書写したり読んだりし
ていると、「遊仙窟」という作品の名が本文もしくは注釈の中にし
ばしば出てくることに気付きました。
シャバにいれば、直ちに必要な本を手に入れて読むのですが、塀
の中ですから容易にできることではありません。
仮にこの作品が塀の外で入手でき、差し入れがなされたとしても、
独房の中にいつ入ってくるかは全く分かりません。早くて一週間後、
下手をしたら一ヶ月以上もかかるのです。
その上に、房内で所持できる本の数が制限されており、この作品
が房内に入ってくると同時に、所持している本を一冊房外に出す
(これを領置といいます)ことになるのですから、いいかげんな気
持ちで房内に本を取り寄せる(これを仮出といいます)ことができ
ません。
このような理由から、遊仙窟を独房で読むことは諦めたのです。
平成8年11月12日、291日ぶりに保釈され、シャバに出て
きた私は、直ちに県立図書館で「遊仙窟」を借り出して、夢中になっ
て読みました。
「遊仙窟」は私の愛読書というわけではありませんが、以上のよ
うな事情から、私にとって忘れ難い書籍の一つになっています。
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