冤罪を創る人々vol.11

2004年06月01日 第11号 発行部数:209部

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 「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-




    日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。


    マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。


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 山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ


 株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント


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●(第五章)権力としてのマルサ ―暴力装置の実態




「8)抗議書の作成」より続く


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9)国税庁長官への抗議




一、 平成6年2月10日、午後2時30分、岩本久人参議院議員は、


 私が作成した国税庁長官に対する抗議書を携えて、国税庁内の一室


 で、同庁調査査察部査察課長石井道遠と同庁長官官房総務課課長補


 佐加藤勝信とに会い、一時間にわたって面談した上で、石井道遠に


 抗議書を手渡した。




二、 同日、午後5時、岩本久人事務所から私のところに、報告書が


 届いた。同日、午後4時30分作成と記されてあった。


  それには、次のような石井道遠の言葉として、面談の内容が記さ


 れていた。




 1.「抗議書」については、今後調査の上、適当な時期に対応させ


  ていただきたい。


 2.個別案件の内容については、調査中なのでコメントができない。


 3.職員による不穏当な言動等については、事実であれば、適正を


  欠いているので、それへの対応は一任いただきたい。


 4.自分(石井道遠)は、2年前まで東京国税局の査察部長をやっ


  ていたが、立件できないものを告発することはありえないので、


  一般論として言えば、今後検察庁との協議会での合意がなければ、


  立件は難しいのではないか。




三、 平成6年2月14日、私は、同年2月8日に、広島国税局藤原


 孝行に手渡した三通の申述書のコピーと付属資料とを添えて、石井


 道遠宛てに、配達証明付の速達便で送付した。


  石井道遠が、岩本久人氏に内部調査をする旨確約したために、当


 方としても、より具体的な資料を提供すべきであると判断したから


 である。




四、 国税庁の査察課長として、全国のマルサを統括する立場にあっ


 た石井道遠が10年ほど前に、国民の代表である国会議員に約束し


 たことが、果たされていない。


  今からでも遅くない。岩本議員に申し述べた三つのことがらにつ


 いて、国税当局としてのしかるべき回答を求めたい。




五、 第一に、私の抗議書について、石井はどのような調査をしたの


 か。調査の上、いつ、どのような対応をしたのか、教えていただき


 たい。




  第二に、調査中の個別事案は、コメントできないとしているが、


 私の事案は刑事裁判にかけられ、しかも、国税当局が、検察と一体


 になって冤罪を創り上げたことが、判決の上で確定している。


  現時点でのコメントを求めたい。




  第三に、職員の不穏当な言動について、事実であれば適正を欠い


 ているので、それへの対応は一任いただきたいと言っているが、石


 井はどのような対応をしたのか、明らかにしていただきたい。




六、 現場の責任者であった広島国税局統括国税査察官大木洋の暴力


 団顔負けの数多くの言動は、録音されて残っており、全て事実であ


 る。


  私を破廉恥な犯罪人に仕立てあげ、社会から抹殺しようとした中


 心人物が、大木洋である。


  大木洋が私になすりつけた冤罪が、法廷の場で明白に斥けられた


 のが、平成13年6月11日であり、同年6月25日、広島高検は


 上告を断念し、捏造マルサ事案に関する無罪判決が確定した。


  私が冤罪であると訴え、厳重に抗議したにも拘らず、証拠を捏造


 してまで冤罪を創り上げて、私を断罪しようとした大木洋の不正行


 為が、法廷で明らかにされたのである。




七、 大木洋が広島国税局調査査察部次長から、同調査査察部長に昇


 進したのは、その直後の同年7月10日である。


  私にとって、わが眼を疑うようなこの人事について、是非とも石


 井道遠はじめ国税当局のコメントを聞いてみたいものである。






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●山根治blog (※山根治が日々考えること)


http://consul.mz-style.com/catid/21






「空海と虫麻呂-その5」より続く


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  空海の縁によって「遊仙窟」(張文成作、今村与志雄訳。岩波文


 庫)を読み返してみました。




  科挙に合格したエリート張文成が、赴任の途中で、深山幽谷に迷


 い込み、この世のものとは思えない桃源郷に足を踏み入れるところ


 から物語は始まります。


  そこには、十娘(じゅうじょう)という名の仙女が、五嫂(ごそ


 う)という名の兄嫁と数人の侍女と共に暮らしていました。




  十娘は16才、五嫂は19才。二人共未亡人で、夫亡き後一切の


 男を絶って女達だけの生活を送っています。


  十娘は絶世の美女、「城がつぶれ、国がつぶれるほどの美しさだ


 (傾城復傾国)」。


  宮殿ともいえる華麗な住まいに案内された文成は、二人の仙女と


 の間に機知に富んだ会話を、詩によって交わします。妙なる音楽が


 奏でられ、山海の珍味が供され、文成は夢見心地になってしまいま


 す。




  クライマックスは、現代の官能小説を思わせる描写によってもた


 らされます。




 ”紅い褌(したぎ)に手をさしいれ、翠(みどり)の被(うわがけ)


  に脚をまじえた。二つの唇を口にあてて、片臂(うで)で頭をさ


  さえ、乳房のところをつかみ、内腿(うちもも)のあたりを撫で


  さすった。口を吸うたびに快感がはしり、抱きしめるたびにうれ


  しさがこみあげた。鼻がつんと痺(しび)れ、胸がつまった。し


  ばらくして、眼がちらつき、耳がほてり、血管がふくらみ、筋が


  ゆるんだ。わずかの間に、数回もあい接したのである。”




  若い時の空海は、どのような思いで「遊仙窟」を読んでいたので


 しょうか。


  健全な男子であったに違いない空海が、女性に対して強い憧れを


 抱き、このような読物に沈潜するのはむしろ当然のことでしょう。




  ただ、これから先がわれわれ凡人と違います。空海は、女性に対


 する思いを邪念として切り捨てることなく、性欲を認容し、性愛を


 包摂した仏教体系を構築したのです。いわばエロスのエネルギーを


 肯定し、止揚したところに空海の独自の境地が生まれました。


  エロスのエネルギーの転換と昇華。これによって得られたパワー


 が、弘法大師としてあがめられる数多くの偉業を達成せしめた原動


 力の一つとなったと言えるでしょう。

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