冤罪を創る人々vol.7

2004年05月04日 第7号 発行部数:208部

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 「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-




    日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。


    マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。


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 山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ


 株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント


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●(第五章)権力としてのマルサ ―暴力装置の実態


 2.強制調査 ― 国犯法による捜査




「2)初日のマルサ動員状況」より続く


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3)強制調査二日目 ― 平成5年9月29日(水)。




一、 午前10時、松江税務署、取調べ室。すでに藤原孝行、新本修


 司の二名が待機している。


  ポットに入れた野菜スープを持参。-国税のお茶など飲めるか。




二、 私は、藤原と新本の二人に対して、厳重抗議を申し入れた。


― 誘導尋問をやめろ。


― 質問顛末書は、本人が話した通りに書け。デッチあげはやめろ。


― 威圧的な言辞は慎め。


― 余罪の追及などと言って、脅迫するな。


  以上、益田市畜産の岡島組合長と増田常務に対する違法な取り調


 べに関連して抗議。




三、 私は、益田税務署の取り調べの現場に電話をかけさせることに


 した。


  新本修司、市外通話なので、松江税務署の交換台を通してかけて


 くれる。




四、 組合の増田常務が電話口に出てきた。




山根:「昨日話したとおり、国税局の口車に乗らずに、あくまで真実、


 あなた方が実際に経験した事実だけを話してくれ。


  更に、質問顛末書にサインする時は、単に読み聞かせてもらうだ


 けでなく、正副二通作るはずであるから、必ず、一枚は自分の手許


 において、キチンと何が記してあるか、自分の目で確かめてくれ。


  又、昨日の事実に反する供述の訂正を直ちに申し入れるように。」




五、 岡島組合長が電話を代わった。


  増田常務への電話と同様に、事実のみを話すべきことと、昨日行っ


 た虚偽の自白の訂正を直ちに行うべきことを伝え、担当の査察官に


 代わってもらう。




六、 担当の三瀧恒雄(査察第四部門統括国税査察官)が電話口に出


 てきた。


  私は、三瀧に対して、「背任など余罪をチラつかせて、脅迫しな


 いように」申し向け、厳重に抗議した。




七、 私の抗議に対して、三瀧はかなり怒っているようであった。




山根:「このような状態で調査が続行されるのは不安だ。組合長につ


 いては今後、私の立ち会いのもとで取り調べをしてくれ。」




八、 「断る!」― 三瀧が大声で怒鳴りまくる。耳が痛くなる。


  「静かに話したらどうか。」こちらも大声で注意する。


  電話の向こうに暴力団がいる。


  声の大きさでは、私も負けてはいない。


  私の声の調子もレベルアップし、暴力団モードにスイッチする。




(続きはWebサイトにて)


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●山根治blog (※山根治が日々考えること)


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「空海と虫麻呂-その1」より続く


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  四六駢儷体は、四六文(しろくぶん)とも言い、広辞苑では、次


 のように説明されています ―




 ”漢文の一体。古文と相対するもの。漢魏に源を発し、六朝(りく


  ちょう)から唐に流行。四字及び六字の句を基本として、対句を


  用いて口調を整え、文辞は華美で典故を繁用するのが特徴。奈良、


  平安時代の漢文は多くこの風によった。”




  今から8年前、平成8年の今頃、私は、無実の罪を着せられて、


 松江刑務所の拘置監に閉じ込められていました。日本書記では獄


 (ひとや)とされ、空海の「三教指帰」では囹(ひとや)とされて


 いるところです。


  無聊を慰めてくれたのは、奈良時代を中心とする日本の古典であ


 り、その書写に没頭する毎日でした。




  書写をして、じっくり学んだ古典の一つに「常陸国風土記」があ


 りました。713年(和銅6年)の詔に基づいて養老年間に撰進さ


 れた常陸国(今の茨城県の大部分です)の地誌です。


  現存する五つの風土記(常陸国、出雲国、播磨国、豊後国、肥前


 国)の中でも常陸国風土記はとりわけ華麗な文体で知られており、


 「三教指帰」と同様、四六文で記されています。


  空海の著作より70年余り前に作られたこの風土記の作者は、はっ


 きりしないのですが、多くの研究者は万葉歌人の高橋虫麻呂ではな


 いかと言っています。




  空海の「三教指帰」を読み終えて、私の脳裡に直ちに浮かんでき


 たのは、この高橋虫麻呂だったのです。


  書聖と讃仰され、真言宗の開祖でもある空海と、万葉歌人の中で


 もユニークな歌風で知られる高橋虫麻呂。


  私の中で、この二人の天才が結びついたのは、単に美麗な文体か


 らだけではありませんでした。


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