空海と虫麻呂 -その2

 四六駢儷体は、四六文(しろくぶん)とも言い、広辞苑では、次のように説明されています ―

”漢文の一体。古文と相対するもの。漢魏に源を発し、六朝(りくちょう)から唐に流行。四字及び六字の句を基本として、対句を用いて口調を整え、文辞は華美で典故を繁用するのが特徴。奈良、平安時代の漢文は多くこの風によった。”



 今から8年前、平成8年の今頃、私は、無実の罪を着せられて、松江刑務所の拘置監に閉じ込められていました。日本書記では獄(ひとや)とされ、空海の「三教指帰」では囹(ひとや)とされているところです。

 無聊を慰めてくれたのは、奈良時代を中心とする日本の古典であり、その書写に没頭する毎日でした。



 書写をして、じっくり学んだ古典の一つに「常陸国風土記」がありました。713年(和銅6年)の詔に基づいて養老年間に撰進された常陸国(今の茨城県の大部分です)の地誌です。

 現存する五つの風土記(常陸国、出雲国、播磨国、豊後国、肥前国)の中でも常陸国風土記はとりわけ華麗な文体で知られており、「三教指帰」と同様、四六文で記されています。

 空海の著作より70年余り前に作られたこの風土記の作者は、はっきりしないのですが、多くの研究者は万葉歌人の高橋虫麻呂ではないかと言っています。



 空海の「三教指帰」を読み終えて、私の脳裡に直ちに浮かんできたのは、この高橋虫麻呂だったのです。

 書聖と讃仰され、真言宗の開祖でもある空海と、万葉歌人の中でもユニークな歌風で知られる高橋虫麻呂。

 私の中で、この二人の天才が結びついたのは、単に美麗な文体からだけではありませんでした。

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