015 強制調査 初日 ― 平成5年9月28日(火)
- 2004.04.27
- 冤罪を創る人々
***2.強制調査 ― 国犯法による捜査
****1)強制調査初日 ― 平成5年9月28日(火)
一、 朝8時20分、私は、下着姿で、キッチンテーブルに向かい、K.Aの件に関する書類を作成していた。
玄関のチャイムが鳴った。
二、 「広島国税局です。」
「何の用か?」
「とにかく玄関を開けて下さい。」
三、 数人が玄関にいる。ただごとではない異様な雰囲気である。
玄関を開ける。背広姿の男が8人もいる。
四、 令状が呈示された。法人税法違反の嫌疑で家宅捜索をする旨が告げられた。
一人が改めて令状を両手でもって呈示。査察官藤原孝行であった。
五、 令状を確認するために、受け取ろうとするが、なかなか手渡してくれない。
複数枚あるようだ。手にとってゆっくり見たいので、見せるように要求。押問答の末、ようやく手渡してくれる。
六、 読む。カメラのフラッシュが光る。益田市畜産の千葉の不動産に係る税務処理を脱税と早とちりしているようだ。
完全な誤解であることは明白であるが、広島地方裁判所が、臨検捜索差押許可状を発行しているので、止むをえない。血の気が引き、足がふるえる。
七、 マルサが私に呈示した令状は次のとおりであった。
臨検捜索差押許可状
犯則嫌疑者氏名 益田市畜産協同組合
犯則事件名 法人税法第159条違反(ほ脱犯)
平成 5 年 9 月 24 日 .
広 島 地 方 裁 判 所
裁判官 藤原俊二
石見空港建設に伴う土地建物等の収用により受け入れた移転補償金に関し、税負担の軽減を企図し、利益を圧縮する方法等により、平成2年4月1日から同3年3月31日までの事業年度において、譲渡担保による貸付を不動産売買があったごとく仮装し、「収用に伴い、代替資産を取得した場合の課税の特例」を不正に利用して、固定資産圧縮損を計上したり、架空借入金に対し支払利息を計上し、平成3年4月1日から同4年3月31日までの事業年度においても、架空借入金に対し支払利息を計上し、平成4年4月1日から同4年5月22日までの事業年度において、架空資産の貸付に係る家賃収入の未収入金を貸倒損失として計上し、平成4年5月23日から同5年3月31日までの事業年度においては、架空資産の売却損を計上するなどして、益田税務署長に対し、所得金額を過少に申告し、多額の法人税を免れている。
事業年度 | 申告収入金 | 申告所得 | 見込脱漏所得 |
平成3年3月31日期 | 8,137 | △427,330 | 1,568,658 |
平成4年3月31日期 | 49,494 | 0 | △132,133 |
平成4年5月22日期 | 13,499 | △27,123 | 50,486 |
平成5年3月31日期 | 0 | 0 | 66,065 |
(単位:千円)
八、 同年9月30日、松江税務署において、捜索令状を再度見せてくれるように要求し、更にコピーを要求したが拒否されたため、筆写した。このとき、主要部分を書き写したものが上記である。
捜索押収対象物件は、最後に印刷してあった。総勘定元帳、補助簿に始まって、考え得る限りのものが100近く列挙してあった。これだけは書き写さなかった。
九、 8人が家に入ってきた。白のマツダのボンゴバンが車庫に入っている。シールが貼ってあり、車の中の様子はわからない。
一〇、朝8時30分。まだ風呂に入っていなかったので、風呂に入ってヒゲを剃る旨告げ、風呂に入る。
風呂の中で、野菜スープを飲みながら考えた。
― 「とんでもない連中が来たものだ。押しかけて来たからにはしようがない。対応を誤ると、私の事務所は潰されてしまう。しっかりしなければ。
私にとっては一大事であるが、考えようによっては、生涯に二度とないチャンスではないか。
公認会計士というプロの眼で、なりゆきを見すえ、この連中がどんなことをするのか、しっかりと記録に残してやろう。ヨーシ!」
身体の震えがおさまってきた。
一一、朝9時。風呂を出る。すでに自宅の捜索が始まっていた。サイフ、名刺入の中をチェックされる。常時持ち歩いている鍵束(5コ)について、それぞれどこの鍵か問い質される。
一二、事務所にも捜索が入っていることを査察官から聞く。所長室には職員に見せたくないものがあるので、私が行くまで、手をつけないように要求。OKをとる。
事務所の加山裕太副所長、島根総合研究所の小島泰二事務局長に電話して、10時ごろに行くことを告げる。
一三、朝食がまだであったので、査察官の許可を得て、めしを食う。味がない。
一四、玄関に貼られた出入禁止の札をはずすように要求。はずしてくれる。
出入禁止 法人税法第159条違反の嫌疑により調査中につき、国税犯則取締法第9条にもとづき、何人も出入することを禁じます。
広島国税局調査査察部査察第3部門
大蔵事務官 収税官吏 藤原孝行
一五、朝9時30分、自宅の捜索立会いは家内がすることになり、私は連れ出される。私の車、日産シーマの捜索。別の令状が呈示された。
トランクのシートを剥がして見ている。後部座席にM社の資金繰表が置いてあった。それを一点だけ押収。関係ないものだと抗議したが、聞く耳持たぬとばかりに押収。
一六、朝日町の2つの不動産物件を見たいというので、連れていく。査察官の藤原孝行、新本修司同行。
まずアボアール。押収物件なし。次にコスモビル。鍵を一級建築士M氏に渡してあったので、事前に電話連絡したうえで、M建築事務所まで鍵を取りに行き、コスモビルへ。ここも押収物件なし。
一七、午前10時すぎ山根ビルへ。一階の島根総研の入口、二階のビジネス情報サービスの入口、二階の山根会計事務所の入口に、それぞれ「出入禁止」の札が貼られ、捜索がなされている。
それぞれの責任者に対して、「令状による捜索であり、査察の指示に従ってくれ。国税局の誤解によるものだから、君たちは心配しなくてもよい。」旨話す。
一八、午前10時15分。三階には、10人程の査察官がウロチョロしている。
所長室にて、職員に見せたくないものを、前原非利(査察第四部門統括主査)に示す。それ以後、所長室の捜索は、職員T立会いのもとで行われた。
一九、連中の仕事ぶりをしばらく観察する。仕事の手際はいいようだ。プロの訓練を受けている。皆、黙々と下を向いてやっている。兵隊アリを連想。あるいは精悍なドーベルマンか。
10ヶ所以上の現場の同時進行。携帯電話でさかんに連絡をとりあっている。FAXがとびかっているようだ。
二〇、三階の山根会計事務所と一階の島根総研の入口に貼られた「出入禁止」の札をはずすように、再三にわたって藤原孝行に要求するが、断られる。
入り口の扉を閉め、「本日臨時休業」の貼り紙をするので、札をはずしてくれと頼むも、拒絶される。
人をさらし者にする気である。
二一、所長室で、査察官前原非利が、金庫の中にあった吉川春樹の借用証を見つけ、私に対して、吉川への貸付金の残高は現在いくらになっているかと、唐突かつ威圧的に質問する。
無視。そんなこと宙に覚えているもんか。ニラミつけてやる。
二二、昼、1時頃、自宅に帰って昼メシを食う。味がない。しばらく休息した後、再び事務所へ行き、立会いをする。
二三、古参の職員大原輝子が、三階の第二応接室で前原非利より尋問を受けていた。一人が側でメモをとっている。
私はあいさつに行き、二人と名刺交換。しばらく話をしたが、ジャマだとばかりに体よく追い出される。
二四、二階のビジネス情報サービスの部屋で、職員古賀益美と話し合う。中村真一(査察第三部門統括主査)、他三名による事務所及び古賀の自宅の捜索を終え、事情聴取も完了したようだ。
古賀益美、マルサの質問てん末書には署名捺印はしなかったという。「山根所長を呼び捨てにし、犯人扱いするような人達の文章にサインなどできない」と断ったそうである。さすが、私の部下である。
二五、しばらくして、山根ビル二階に事務所をかまえている顧問の中村寿夫弁護士が立ち寄る。
「三階の事務所に行ったところ、出ていってくれと言われ、追い出された」由。
中村弁護士、国犯法による捜索立会は初めてのようだ。
二六、午後四時すぎ。藤原孝行より松江税務署への同行を求められる。
いくらでも話をするので、私のオフィスでやってくれと頼むも、強引に署までと言って譲らない。
「署へどうしても行かなければならないのか」と私。
「そういう訳ではないが、署には他からの押収物件も集められており、話を聞くのに便利だから」と言うので、一応納得して、松江税務署へ同行する。新本修司も一緒であった。
二七、午後4時30分。松江税務署、一階取調べ室。
表の道路に面した六畳ほどの畳の部屋に、机と椅子が臨時に置かれている。まさに警察の取り調べ室である。
本拠地で私をしめあげようということであろう。
三階にガサ入れの本部が置かれていたことを後で知る。
総指揮官は、大木洋。広島国税局調査査察部査察第三部門統括国税査察官という、いやに長ったらしい肩書を持っている。
二八、藤原孝行が開口一番、腕まくりをして、すごむように私に宣言した。新本修司が側でメモの用意をして控えている。
「さあ、料調(資料調査課による任意調査のこと)の調査は本日をもっておわり、これから国税犯則法による強制調査に移る。
山根とは最低三ヶ月、長ければ半年以上つきあうことになる。自分が直接の担当者として、ことにあたる。自分の仕事は検察に告発することだ。今日は夜遅くなると思うので、じっくりつきあってもらおうか。」
山根:「あなたも職務としてするわけだから、私もつきあわざるを得ない。
しかし、今日は疲れているし、それに夕方6時を過ぎてまで仕事をする習慣はない。6時になったら帰らせてもらう。」
藤原:「山根は犯則嫌疑者であるから、初日の今日だけは、夜遅くなっても、質問顛末書が一応出来上がるまで、つきあってもらうことになる。」
山根:「質問顛末書とは何か」
藤原:「自分が山根に質問するので、それに答えて欲しい。それを受けて、できるだけ忠実に自分は供述調書の形で書き取る。これを質問顛末書という。
単に尋ねるだけではないので、何倍も時間がかかることになる。」
山根:「そんなことにつきあうことはできない。私はどんどん話をするので、2人でメモをとり、供述調書の形にまとめてくれ。
翌日、私はそれを点検して、自分の言ったことに相違ないと認めれば、すすんで署名捺印をする。」
押問答の末、そのようにすることになった。
二九、時間の点に関して、初日の今日だけは、せめて夜の9時位まではつきあってくれとのことであったが、拒否する。
山根:「身柄を拘束するのか。」
藤原:「いや、そうではない。協力して欲しいということだ。」
山根:「協力できないと言ったら、私を逮捕するのか。」
藤原;「国税に逮捕権はない。」
私は、時間の点では協力できないとして、6時すぎには帰宅した。アッカンべーだ。
三〇、大木洋、取調べ室にときどき顔を出す。名刺交換をする。
大木:「私も松江出身。松江はほんとうにいい町だ。極悪人がでるような町ではないんだが。」
顔をゆがめて、上目づかいにジロッと私を睨みつける。私は初対面の一公務員から、全人格を否定されるに等しい、極悪人と決めつけられた訳である。
大木:「私ら査察は、1億2000万人の国民の付託を受けている。相手があいてだけになかなか大変な仕事だ。
したたかな連中が多いが、センセイは一応、公認会計士なんだから、こうなった以上、素直に協力することだ。」
自らを、月光仮面か遠山の金さんと錯覚している人物が眼の前にいる。
三一、大木洋。顔が悪い。顔が全体にゆがんでおり、悪相である。人を長年疑ってばかりいると、このような顔になるものか。妙に感心する。
筋金入りの日本人であり、達意の文筆家であった山本夏彦のエッセイの言葉がリアリティを伴って浮んできた、-「税吏はみつぎとりであり、銀行員は高利貸だ。ともに賤業である。」
三二、初日の藤原孝行の尋問は次のとおりであった。
藤原:「令状による捜索がなされたのであるが、山根に思い当ることがあるか。」
山根:「全くない。令状を読んでみたが、全くの言い掛かりであり、迷惑千万である。」
以下、名前、本籍、住所、生年月日、職業等の質問があり、佐原良夫、吉川春樹と知り合った経緯、益田市畜産と係わりあった経緯が質問された。
三三、翌日は、朝の8時半から調査を始めたいので、それまでに松江税務署に出頭するように言われた。
私は、通常オフィスの仕事は朝の10時半から始めることにしているので、10時半にしてくれと言ったが、結局、双方妥協して、朝の10時に行くことになった。
三四、夕方、6時半に帰宅。夕食をとり、ビールを飲む。共に味がない。
三五、二十数年前に勉強した刑事訴訟法の本を取り出して読む。
捜索令状は書き写しできることを確認。国犯法の取り調べは任意であることを確認。供述調書(質問顛末書)の書き写しは要求すれば、できることを確認。
三六、夜遅く、益田市畜産の岡島信太郎組合長、増田博文常務に電話し、取り調べの状況を尋ねる。
誘導尋問が頻発され、恫喝を受けて、完全に国税側の虚構のシナリオに沿った質問顛末書が作成されたことが判明した。嘘の自白が引き出されたのである。タイヘンだ。
三七、私は組合の二人に対して、厳重に申し入れた。
― 真実のこと、自分が知っていること、自分の記憶に残っていることだけを話してくれ。しかも、それがキチンと質問顛末書に書き込んであることを確認してから、サインして欲しい。
― いい加減なことでサインをすると、後で取り返しのつかないことになり、私は責任をもてなくなる。
― 真実と違ったことを、国税はデッチあげようとしているので、絶対にダマされてはいけない。
― 私は責任をもって、あなた方の相談に応じており、法に触れるようなことは断じてしていないので、とにかく、マルサには真実ありのままを話すようにしてくれ。その後は、私が命にかけて、あなた方を守る。
私の声が次第にかすれてきた。
三八、二人とも、「困った!困った!」を連発。
山根:「これからでも遅くないので、明日直ちに質問顛末書を訂正するように要求して欲しい。」
三九、更に、岡島組合長曰く、「16億5千万円で買ったものを、1千万円で売ったのは、組合長として組合に対する背任行為ではないか。背任罪になると言われたら、どのように申し開きするつもりなんだと、えらい剣幕で叱りつけられた。」
犯則嫌疑者といえども、マルサに、背任などと言って叱られる筋合いはない。余計なお世話だ。一体何様のつもりであろうか。ここは、国犯法の調査の場であり、背任罪など追及する場ではない。
これについても、翌日、厳重抗議することにした。
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