冤罪を創る人々vol.5

2004年04月20日 第5号 発行部数:202部

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 「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-




    日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。


    マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。


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 山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ


 株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント


http://www.mz-style.com/




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●(第五章)権力としてのマルサ ―暴力装置の実態




1.「マルサの女」の世界 ―その虚像と実像―




一、 「マルサ」―もともと国税の内部用語にしかすぎなかったこの


 言葉を一躍有名にしたのは、昭和六十三年に公開された伊丹十三監


 督の映画「マルサの女」であった。映画は大ヒットし、「マルサ」


 はその年の「流行語大賞」に選ばれ、一般に浸透していった。




二、 これを契機として、マルサ(査察)に関するルポルタージュ風


 の読み物が数多く世に出ることとなった。


  それらのほとんどは、映画「マルサの女」と、同じ視点から描か


 れたものであり、徴税側の論理が優先し、一般納税者の視点が欠落


 したものであった。


  つまり、マルサは脱税という社会悪に敢然と挑戦する正義の味方


 であり、マルサの標的にされた脱税者は、国家社会の敵であった。




三、 マルサは、国税の中でも一握りのエリートであり、一般税務署


 員の星として、「昔陸軍、今国税」とさえいわれる暴力装置として


 の国税の頂点に君臨していた。安月給をものともせずに、日曜祭日


 返上で、朝早くから夜遅くまで、社会の巨悪に立ち向かう不屈の精


 神の持ち主達であった。




四、 映画の中でも誇らしく歌われたマルサ名物「五万節」が、バン


 カラ風に響く勧善懲悪の世界であった、―


    


 ♪学校出てから十余年  今じゃ国税査察官


  朝ははよから夜ふけまで  ガサした件数五万件


 ♪学校出てから十余年  今じゃ国税査察官


  今日は反面あすはガサ  つぶした革靴五万足  


 ♪学校出てから十余年  今じゃ国税査察官


  布団 枕に大金庫 見つけた証書が五万枚


 ♪学校出てから十余年  今じゃ国税査察官


  残業終ってちょっと一杯  呑んだ焼酎五万本




五、 マルサはまた、「国税査察官服務規程」によって、通常の国家


 公務員以上の服務規程が課せられている特別な存在であった。




(続きはWebサイトにて)


http://www.mz-style.com/item/38






※都合により第三章と第四章は後日公開予定となります。


 ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。




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●山根治blog (※山根治が日々考えること)


http://consul.mz-style.com/catid/21




「飯塚事件について2」より続く


http://www.mz-style.com/item/35






  山根治です。飯塚さんが不撓不屈の精神の持ち主であるとすれば、


 似たような経験をした私は、二つの”不”を取り除いた、「撓(とう)


 にして屈(くつ)」になる生き方をしてきたと言えるようです。




  八年前、冤罪によって逮捕勾留されたとき、大きなショックを受


 けたことは事実です。これまでの路線が大きく変わることは当然考


 えました。


  国家暴力が牙をむいて私に襲い掛かってきたとき、私は大きく撓


 (たわ)み、屈(くっ)したのです。拘置所に放り込まれ、接見禁


 止の処分が付けられた私は、両手両足をもぎとられたに等しく、何


 も手を打つことができない状態でした。めっきり涙もろくなり、さ


 さいなことでもすぐに涙が出る始末でした。




  ジタバタしても始まらない、しばらく流れに任せようと考えた私


 は、久しぶりに与えられた休暇と考え、291日の勾留生活のほと


 んどを書写と読書にあてました。後日公開する「勾留の日々」で詳


 しくお話しいたします。




  このとき私が、無理に頑張り、自分ではできもしないことをあれ


 これと考えて、不撓不屈とばかりに、突っ張っていたらどうだった


 のでしょうか。


  それほど強くない私の精神は、耐え切れずに変調をきたし、ポキッ


 と折れていたことでしょう。


  今にして思えば、流れに身をゆだねて、思い切り撓み、精一杯屈


 したのが、私には良かったようです。




  私は、まもなく、満62才になります。これからも何回となく撓


 み、屈する局面に出会うことでしょう。


  私の好きな宍道湖の岸辺には、私の子供の頃には多くの葦が繁っ


 ていました。今はコンクリートで岸辺が固められて、ごくわずかし


 か葦が残っていません。


  夕暮どき、宍道湖の夕日を見るためによく散歩するのですが、風


 に撓みながらもしたたかに生き抜いている葦に接すると、なんとな


 く力が与えられるようです。




  パスカルではありませんが、人間は一本の葦であり、風や雨にど


 んなに痛めつけられようとも時が来るまでは決して枯れることのな


 い存在なのかも知れません。


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