査察Gメンを犯罪人として告発!!-⑫

 金子宏氏は、今一つの租税犯の構成要件である
「税を免れたこと」
を論ずることなく、租税犯の未遂・既遂の問題にスリカエている。暴論である。加えて、逋脱犯の既遂の時期についての結論も誤っている。前回述べたところだ。

 租税犯の既遂の時期、即ち、いつ犯罪が成立するかについて金子宏氏は、以下、2つの最高裁の判例を引用している。一つは決定であり、今一つは判決である。
+最決昭和31年12月6日刑集10巻12号1583頁。
-以下、これを判例6.という。
+最判昭和36年7月6日刑集15巻7号1054頁。
-以下、これを判例7.という。
 判例6.は最高裁第一小法廷の決定であり、原審は東京高等裁判所(昭和30年11月28日判決)。物品税法違反事件である。
 判例6.は、

製造業者が物品税法八条の申告をしたときは、税務官署は、国税徴収法六条の規定により、納税人に対し、通常、申告にかかる納金額及び物品税法一〇条所定の納期日すなわち第二種及び第三種の物品にあっては毎月分を翌12月末日として告知するものであるから、かかる納期日に告知にかかる納金額だけを納めただけで本来納入すべき税金額を納めなかったときは、その納めなかった分の逋脱罪は、かかる納期日の徒過により既遂になるものと解するのが相当である(下線は筆者)。」

と判示し、「納期日に告知にかかる納金額だけを納めただけで、本来納入すべき税金額を納めなかった」場合には、「逋脱罪は、納期日の徒過(とか。むだに時をすごすこと。無為にすごすこと。-広辞苑)により既遂になる」と結論づけている。

 原審(東京高裁)は、

「物品税逋脱犯にありては、逋脱完遂の日時は、法律上一定せられており、即ち各申告の翌々月末日の納税期完了の時にあると解すべきである」

と判示して、判例6.の結論を簡潔かつ明瞭に示している。

 以上で明らかなように、この判例6.は、物品税(間接税)の判例であり、しかも、昭和37年4月1日施行の国税通則法がいまだ適用されない時(昭和29年)の事件にかかる判例であることから、判例1.と同様、先例価値がない。
 このことを前提とした上で、一応判例6.の内容について吟味することとする。

 まず、判例6.は

「製造業者が物品税法八条の申告をしたときは」

と述べて、“申告”という言葉を用いているが、この“申告”は申告納税方式(「査察Gメンを犯罪人として告発!!-⑤」参照のこと)とは全く異なる制度であることに注意しなければならない。物品税は間接国税であり、賦課課税方式によっているからだ。
 この賦課課税方式については、判例6.の当時では明確な定義がなされていなかったが、その後昭和37年4月1日施行の国税通則法第16条によって、

「納付すべき税額がもっぱら税務署長又は税関長の処分により確定する方式をいう」(国税通則法第16条2項2号)

として明確に規定されるに至ったものである。
 「納付すべき税額」にポイントをしぼってみると、片や、「納税者のする申告により確定する」(申告納税方式、国税通則法第16条2項1号)のに対して、一方は、「税務署長又は税関長の処分により確定する」(賦課課税方式、国税通則法第16条2項2号)のであるから、全く異なるものであることが判明する。
 つまり、賦課課税方式においては、納税者のする申告によって納付する税額が確定するわけではない。確定するのは、税務署長又は税関長の処分によるのである。

 次に判例6.は

「税務官署は、国税徴収法六条の規定により、納税人に対し、通常、申告にかかる納金額及び納期日を告知するものである」

と述べて、賦課処分によって決定された納金額と納期日とを告知することが法律(国税徴収法)によって定められていると判示している。
 たしかに、国税徴収法第六条

「国税ヲ徴収セムトスルトキハ収税官吏ハ納税人ニ対シ其ノ納金額、納期日及納付場所ヲ指定シ之ヲ告知スヘシ」

となっており、判示の通りその旨が明記されている。
 この国税通則法第六条の規定は、明治30年3月26日に公布された国税徴収法(法律第21号)によるもので、その原本は筆書きされたものである。

“朕帝國議曾ノ協賛ヲ経タル國税徴収法ヲ裁可シ茲ニ之ヲ交付セシム”

として、睦仁天皇(明治天皇)の署名と天皇印が印され(いわゆる御名御璽-ぎょめいぎょじ)、内閣総理大臣兼大蔵大臣として、伯爵松方正義の署名がなされている古色蒼然としたものだ。
 松方正義といえば、明治維新政府にあって国家財政の整備の任にあり、「松方財政」の名を残した国家財政のエキスパートだ。
 余談ではあるが、この松方正義、伊藤博文と共に無類の女好きで知られている。妾が19人いたとも29人いたともいわれており、明治天皇に「子供はいったい何人いるのか」と尋ねられたときに、とっさには答えることができなかったといったエピソードを残している。
 明治天皇と松方正義の墨書に接したとき、当時第二次松方内閣を組閣し、大隈重信を外務大臣に迎えて、女漁りの合間に藩閥政府と民党との妥協に意をくだいていた松方総理の姿が髣髴(ほうふつ)とする思いであった。
 尚この国税徴収法第六条は、昭和37年の全部改正で削除されており、新しくできた国税通則法第36条(納税の告知)に移され、次のように、「告知」が税務署長に義務付けられ(以前は収税官吏)、更に納税告知書の記載事項として、「納付すべき税額」、「納期限」及び「納付場所」を明記すべきことが規定された。

 国税通則法第36条

「税務署長は、国税に関する法律の規定により次に掲げる国税を徴収しようとするときは、納税の告知をしなければならない。
 一 賦課課税方式による国税(過少申告加算税、無申告加算税及び重加算税を除く。)
 二 源泉徴収による国税でその法定納期限までに納付されなかったもの
 三 自動車重量税でその法定納期限までに納付されなかったもの。
 四 登録免許税でその法定納期限までに納付されなかったもの
2.前項の規定による納税の告知は、税務署長が政令で定めるところにより、納付すべき税額、納期限および納付場所を記載した納税告知書を送達して行う。」

 国税徴収法第六条が削除され、新設の国税通則法に移されたのは、国税通則法の目的自体が変ったことによる。
 即ち、従来は、第一条(目的)で、

「この法律は、国税の賦課、徴収及び納付に関する手続の執行について必要な事項を定め」

となっていたのが、改正後の第一条(目的)は、

「この法律は、国税の滞納処分その他徴収に関する手続の執行について必要な事項を定め」

と改められ、国税の賦課と納付に関する手続の字句が削除され、専ら、国税の徴収に関する手続に限定されたことによるものである。
 国税徴収法の規定から削除された賦課と納付の手続きの規定は、国税通則法に移されて、明確な形で法文化されている。
 ちなみに、昭和37年4月1日施行のこの国税通則法第一条(目的)は、

「この法律は、国税についての基本的な事項及び共通的な事項を定め、税法の体系的な更正を整備し、かつ、国税に関する法律関係を明確にするとともに、税務行政の公正な運営を図り、もって国民の納税義務の適正かつ円滑な履行に資することを目的とする。」

とされている。
 この第一条(目的)は、はしなくも、この法律が制定されるまでは、即ち、昭和37年4月1日までは、
+「国税についての基本的な事項及び共通的な事項」が定められていなかったこと。
+「税法の体系的な構成」が整備されていなかったこと。
+「国税に関する法律関係」が明確にされていなかったこと。
+「税務行政の公正な運営」が図られていなかったこと。
を、法律自らがいわば“自白”しているものと言っていい。国税通則法制定の趣旨について、「査察Gメンを犯罪人として告発!!-⑤」で述べたところを、法律自らが認めているのである。

(この項つづく)

 ―― ―― ―― ―― ――
 ここで一句。

 

”相続税心配ないと父が言い” -糸魚川、山藤障子

 

(毎日新聞、平成28年3月20日付、仲畑流万能川柳より)

(嬉しくもあり嬉しくもなし。)

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