東京オリンピックを無視する会

 昭和39年、今から50年前のことである。私は国立(くにたち)の大学構内にあった中和寮でくすぶっていた。小林秀雄の言葉を借りれば、『いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬の様にうろついていたのであろう。』(“モーツアルト”)

 大学の授業にはまともに出ないで、それこそ朝から晩までモーツアルトに浸りながら、青くさい書生談義に明け暮れていたのである。



 議論の相手はもっぱら湯川和彦さん(「疑惑のフジテレビ -号外」参照)。私より3つか4つ年上であったこの先輩は、カミソリのような人物であった。妥協を許さない鋭い舌鋒で容赦なく切りつけてくる論客として寮の中では鳴り響いていた。留年を繰り返しては寮に住みついており、まさに寮のヌシのような存在であった。

 この先輩、夏目漱石には特別な思い入れがあったようで、小学2年の時に漱石全集に接して以来、3年ほどの間に全集を読破し、中学生の頃には、漱石の全作品をほとんど暗記していたという。確かに驚くべき記憶力の持主であった。

 私が出会った頃の湯川さんは、ギリシャ哲学とドイツ哲学に没頭、自らをシノペのディオゲネスになぞらえていた。ディオゲネスの化身となったカミソリが、論争相手に対してところ構わず噛みついてくるものだからたまったものではない。
 生まれつき負けん気の強い私は、噛みつかれたまま黙っているはずがない。毎日のようにケンカ別れしては、次の日には何ごともなかったように、二人で仲良くモーツアルトを聴きながら、書生談義を繰り返していた。
 私に多くのことを教えて下さった、稀有な才能の持主は、60才を前にしてお亡くなりになったという。気にかけながらも、大学卒業以来一度も会うことがなかったのが今さらながら悔やまれる。

 寮の部屋、あるいは、国立(くにたち)音大の近くにあったクラシック喫茶店“ジュピター”で、二人して喧々諤々、それこそ口角泡を飛ばしていた頃に開催されたのが東京オリンピックであった。
 日本中が、初めて日本にオリンピックが来るというので大騒ぎを演じているのがなんとなく面白くない。オリンピックが日本に誘致されたいきさつに、どことなくウサン臭いものを感じたからだ。
 積極的に反対するのも無駄な労力を費やすことになる。もともと二人とも、カスミを食って生きることができれば最高だと思い込んでいた怠け者だ。カネも時間もかかる反対運動などすすんでするはずがない。
 そこで私達は『東京オリンピックを無視する会』を結成することにした。会長が湯川さん、幹事長が私の二人だけの会である。モノグサをモットーにしていた私達であるから、二人だけの会として誰にも参加を呼びかけないことにした。会則、規約など勿論なしである。ただ単に、二人だけで東京オリンピックを無視することにしたのである。

 あれから50年。2020年に再び東京でオリンピックが開かれることになった。このたびの東京オリンピックは、50年前以上にキナ臭いシロモノだ。腐臭さえ漂っている。
 建前は、スポーツの祭典だとか、平和の祭典だとか謳(うた)っているが、真っ赤なウソである。
 ズバリ、今度の東京オリンピックは、福島第一原発の事故隠しではないか。
 三年前の不幸な原発事故について私は、人災事故であると考えているが(「原発とは何か?」「11/28講演会「闇に挑む『原発とは何か?』-福島第一と島根-」」参照)、人災によるものであろうと、天災によるものであろうと、いずれにせよ、チェルノブイリ大事故に匹敵するか、あるいはそれを超える悲惨な事故であったことだけはまぎれもない事実だ。
 一年余り前に野田ドジョウ内閣が、原発事故終結宣言を出したが、終結どころか、放射能被害の状況は日々拡大する様相を呈しており、大量の放射能がいまだタレ流しの状態だ。除染作業を行っているというが、放射能に汚染された物質をアッチへやったりコッチへやったりしてゴマ化しているだけのことではないか。3年経った現在の福島の状況を冷静に見れば歴然としている。
 つまり、メルトダウンした福島第一原発は現在も非常に危険な状況にあり、再臨界に達して放射能汚染が東京にまで達する可能性は極めて大きいとされているのである。
 加えて、昨年、30年以内に東京直下型地震が発生する確率は70%(!!)とする予測結果が示され、東京の都市機能が壊滅的な打撃を受けることが数値をもって公表されたり、富士山の大噴火とか、中南海地震の発生も、そう遠くない将来に起きることが予測されている。
 つまり、6年後の東京が、上記4つのうちのどれが起ろうとも、廃墟のような街と化すことが今から高い確率をもって予測されているということだ。そのように危険な場所が東京だ。何兆円もの国費を、国の借金を増やしてまでオリンピックに投入しようとするなど、狂気の沙汰である。まともな政治家のすることではない。

 安倍総理は、オリンピック招致の会場に赴いて、

「福島の放射能汚染水は海に流出することなく、コントロールされている(アンダー・コントロール)」

などと、事実に反することを世界に向ってアピールした。
 安倍総理が見えすいた嘘をついた背景には、なんとしても全国で停止中の原発をできるだけ早く再稼働させたいという願望があったと考えて差しつかえない。オリンピックに世界の人々を安全に迎えることができることを、敢えてウソをついてまで強調したかったのであろう。

 このたびの東京オリンピックの開催についても私は反対はしない。50年前と同様に無視するだけだ。
 ただこのたびについては、物理的、政治的、経済的な理由から開催することができなくなるものと考えている。
 物理的というのは、東京が前に述べた4つの災害に見舞われる可能性があることであり、政治的とは早晩安倍内閣が崩壊し、自民党が野党に転落することであり、経済的とはアベノミクスと称するインチキ経済政策のバケの皮がはがれ、いずれ破綻することだ。

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 ここで一句。

“女房の記憶押したい削除キー” -佐倉、繁本千秋

 

(毎日新聞、平成26年1月30日付、仲畑流万能川柳より)

(女房の記憶とかけて、ドラえもんのポケットと解く。その心は、亭主の嫌がることが即座に取り出せる。)

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