縁結びということ-3
- 2013.08.06
- 山根治blog
松江市に縁切り神社がある。佐太神社(松江市)の境外摂社・田中神社である。縁切り寺というのは各地にあるようであるが、縁切り神社は全国でも珍しい。
この神社の特徴は、単なる縁切りというだけではない。隣り合せに縁結びの神社があり、縁切り・縁結びの神が一対になっていることだ。
身にまといついた罪・穢(けが)れを、ハライ、浄めて消滅させることによって、自(おの)ずから悪(あ)しき縁を断ち切ることができる。その上で、新しい良(よ)き縁を神に請い願うということなのであろう。
罪や穢れを取り除くのに2つの方策がある。禊(みそぎ)と祓(はらへ)である。
禊(みそぎ)は、水によって身を洗い清めて、罪や穢れを除却すること、つまり身を滌(そそ)ぐことだ。吉事祓ともいう。
祓(はらへ)は、科料を差し出し、また祓(はらへ)つ物を投げ棄てて、罪や穢れを除去することだ。凶事祓ともいう。
禊にせよ祓にせよ、事前にあるいは事後になすべきことがある。神に対する挨拶だ。言葉ではない。言霊(ことだま)としての言葉を発するのは神職に限られ、一般の人が妄(みだ)りに発してはいけない。
一般人に許されるのは、拝礼と拍手(かしわで)だ。
中でも重要な意味を持っているのが拍手である。手のひらを打ち合わせて鳴らすことだ。一回打ち合わせることを一拍といい、二回を二拍、三回を三拍、四回を四拍といっている。
この拍手、単なる神への挨拶ではない。神への誓いの意味を持つ重要なものだ。
以上のように、縁結びの神に、男女の仲を始めとした良き縁を祈願するには、祈る側としても相応の気がまえをもって行なうことが必要だ。他力本願ではない。一方的にお願いするだけでは、神も願いを聞き届けてはくれない。
縁切り、つまり、禊(みそぎ)、あるいは祓(はらへ)を行って、身にまとわりついた罪、穢れをはらいのけた上で、新しい良縁を請い願う、これが縁結びの意味するところだ。
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ここで一句。
(似た者夫婦。)
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