粉飾された2兆円 -3
- 2008.05.06
- 山根治blog
2兆円という数字が何を意味するのか、あるいは国交省がインチキをしている(らしい)と断ずるのは何故であるか、とんでもないインチキのカラクリを述べる前に、現在私達松江市民が心の底から守り通そうとしている「大橋川」、つまり、河川改修の俎上(そじょう)に乗せられている、水郷松江のシンボルとも言える「大橋川」と松江市及び松江市民との関わりについて説明いたします。
<%image(20080507-6154.jpg|480|360|大橋川)%>
<松江大橋北詰からの大橋川の眺め>
私が住んでいる松江市は、現在は島根県の県庁所在地ですが、かつては古代出雲文明の中心地でしたし、近世には城下街として栄えてきました。松江の地に城(私達は千鳥城、あるいは単にお城と呼んでいます)が造られてから400年、このところ開府400年の記念行事が折にふれて賑やかにとり行なわれています。
松江市はまた、水の街であり、水都といわれ、水郷といわれています。日本海という海があり、宍道湖(しんじこ)と中海(なかうみ)という2つの汽水湖(きすいこ。海水と淡水の混じった湖のことです。)を擁しています。そして何よりも特徴的なことは、江戸時代に造られた堀川(私達は、おほりと呼んでいます)が今なお街の中を縦横に流れていることです。その為もあって橋の数は極めて多く、平成の大合併前の旧市内だけでも591の橋があるといわれ、水の都ベニスの450の橋、運河の街アムステルダムの508の橋を凌(しの)いでいます(「松江余話」より)。
水郷、松江市を南北に区切り、街のド真中を流れているのが全長7.6kmの大橋川です。塩分濃度が海水の2分の1である中海と10分の1である宍道湖を結ぶ川ですから、大橋川自体も汽水(きすい。海水と淡水が混じっている水のことです。)です。川全体が汽水であるだけではありません。潮の干満によって、水が上流と下流を行ったり来たりするために、塩分濃度が常に変化しますので、全国でも珍しい川として知られています。大橋川の中央部には、中洲(なかす。私達は中の島と呼んでいます)を含んだクリーク(川の流れが細かくいくつかに分れている地帯のことです)があり、水都松江の重要な景観を形づくっており、そこでは豊かな独得の生態系が形成されています。全国一の産出量を誇る宍道湖のヤマトシジミをはじめとする多くの魚介類の成育に重要な役割を果たしていることに加えて、2つの湖の水質浄化にも大きな役割を果していると言われています。
このように私達の大橋川は、ヤマタノオロチ伝説のある斐伊川の上流から流れてくる水を単に日本海に排出する役割を持っているだけでなく、逆に日本海の塩分を含んだ水を宍道湖(しんじこ)に持ち込む役割をも持っています。このような、淡水を排出し海水を流入させることによって、中海と宍道湖という二つの汽水湖の生態系のバランスを微妙に調整する役割を担っているのです。2つの湖に豊かな海産物を供給する要(かなめ)の川であり、同時に、水都・松江の自然的景観と歴史的景観を形成する重要な役割を果している川でもあります。川の水面(みなも)は、四季折々、あるいは朝昼晩、鏡のように澄み渡ったり、あるいはうねるような渦(うず)を巻いたりと千変万化、なんともダイナミックに変化し、私達地域住民をゆったりと包み込み、心の安らぎを与えてくれる、いわば“母なる川”と言ってもいいでしょう。
古代の出雲(いづも)においては、宍道湖、大橋川、中海を一体として捉えて“飫宇の海(おうのうみ)”(万葉集371、536)あるいは単に“入海(いりうみ。出雲国風土記)”と呼び慣わされ、豊かに花開いた出雲文明の中軸をなしていました。豊かな海産物は古代の人々の食を潤(うるお)し、舟による交通は人々の交易に多大な便益を与えました。ことに今の大橋川のほとりは人々が集参する場所として知られ、賑わいも一入(ひとしお)でした。人々が品物をやりとりする市(いち。出雲国風土記では「市人(いちびと。商いをする人のことです)四(よも)より集(つど)い、おのづからに“いちくら”を成せり」と言っています)ができていたり、男女の出会いの場(うたげ。出雲国風土記では「男女時によりてつどい、あるは楽しみて帰り、あるは耽遊(ゑら)ぎて帰ることを忘れ、常に燕喜(うたげ)するところなり」と記されています)があったりして、古代出雲人(びと)の生活の中心だったのです。
かつて飫宇の海の一部とされていた大橋川は、古代から中世、近世、近代と、地域住民との深いかかわりを保ち続け、現在に至っています。まさに、この河岸に住む私達の生活に溶け込んでいる存在と言っても過言ではありません。
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ここで一句。
(黄砂。有害物質が付着した砂、春の風物詩とシャレている訳にはいかないようで。)
***<今の松江>
お城はナンジャモンジャの花が盛りです。毎年、5月の連休後に咲き始める白雪のような花は、私達をさわやかな香りで楽しませ、10日ほどの花の命を終えていきます。(平成20年5月8日11:30a.m.、撮影)
<お城二の丸のナンジャモンジャ>
<椿谷(つばきだに)のナンジャモンジャ>
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