冤罪を創る人々vol.88
- 2005.11.15
- メールマガジン
2005年11月15日 第88号 発行部数:417部
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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-
日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ) 昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
http://consul.mz-style.com/
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●「引かれ者の小唄」 ― 勾留の日々とその後
http://consul.mz-style.com/catid/41
「断髪 -その1」より続く
http://consul.mz-style.com/item/428
2)断髪 -その2
散髪は、拘置監の廊下にビニールを敷きその上に椅子を置いて行
なわれた。理容師の免許を持っていると思われる受刑者がバリカン
とクシだけを用いて散髪をするのである。ハサミとかカミソリなど
の刃物を一切用いないのは、刃傷沙汰が起るのを未然に防ぐためで
あろう。
見張りの看守が一人いて、坊主頭の受刑者が黙々と髪を切ってく
れる。被収容者は互いに話をしてはならない決まりになっているか
らだ。交談(こうだん)の禁止である。
スソ刈りが終ったとき散髪をしてくれた受刑者がポツリと言葉を
洩らした。
「うしろのキズが目立たないようにしておきました。」
たしかに私の後頭部の下の方には小さなハゲがある。小さい頃に
ケガをした跡だ。
そのハゲを気づかってキズと呼び、しかもそれを目立たないよう
にスソ刈りしたというのである。
私にはその心づかいが何とも嬉しく、思わずこの受刑者に向って
最敬礼をし、心から「ありがとうございます。」と感謝の言葉を発
したのであった。
断髪といえば、私は20歳、大学の2年生までは坊主頭で通して
いた。それ以降長髪にしているのであるが、二回だけ坊主頭になっ
たことがある。
一回目は松江市で会計事務所を開設してから10年近く経ったこ
ろのことである。事業も順調に軌道に乗り、私は忙しく飛び回って
いた。
事業以外でも住民運動に参画し、宍道湖中海淡水化反対運動の急
先鋒の一人として、農水省と島根県と松江市に対して、あるいは地
元の経済団体に対して、淡水化事業の弊害を多くの仲間達と共に科
学的データを手にして説いて回っていたのである。
淡水化事業が見直されることなく強行されるようなことがあれば、
宍道湖と中海の2つの汽水湖が汚染されて死の海になることが確実
視されており、死の海となり豊かな生活環境が破壊されるならば、
経済活動の基盤に図り知れない損害を及ぼすことが懸念されたから
である。
私のファミリーに大きな問題が起ったのはこのように公私ともに
繁忙な時であった。
2人の息子の一人が、学校仲間と一緒になって事件を起し、私の
配偶者が学校に呼び出されたり、警察に呼び出されたりしたのであ
る。
私の父は三歳の時にフィリピンで戦死しているため、私には父親
がどのようなものなのか実感する機会がなかった。緊急時の対応に
ついての心構えができていなかったのである。
とりあえず2人の息子と私の3人で話し合いをすることにした。
しかし、事件を起した息子はもっぱら首をすくめているばかりであ
るし、もう一人の息子は、われ関せずとばかりに迷惑そうな顔をし
ている。
二度と不祥事を起こさせないようにするにはどうしたらよいか、
考えあぐねた末に罰として丸坊主にすることを思いついた。色気の
つきはじめた男の子にとって最も恥ずかしいことを懲しめのために
課すことにしたのである。案の定、丸坊主にすると宣告された息子
はポロポロと涙を流し始めた。
一人だけ罰として丸坊主にすれば、思春期にさしかかろうとして
いるだけに、反省の念が生ずるどころか、かえって被害者意識が大
きくなって、逆効果を生むおそれがあった。
そこで連帯責任という理屈をつけて、もう一人の息子と私も同時
に断髪することを提案した。
事件の当事者である息子はめそめそと泣いているだけであるし、
もう一人の息子は迷惑千万とばかりにフグのようなふくれっ面をし
ている。
(続きはWebサイトにて)
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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
http://consul.mz-style.com/catid/21
・ 凛にして毅なる碩学、北野弘久先生 -1
北野弘久先生から分厚い一冊の本が送られてきました。先生の近
著、「税法問題事例研究」(勁草書房)でした。
半世紀に及ぶ先生の学究生活は、単に大学の中にとどまるもので
はなく、広く一般社会との関わりの中でも実践されました。先生の
お言葉によれば、積極的に“法実践活動に参加”されたのです。
この本には先生の法実践活動の一端が集成されており、実際に法
廷に提出された鑑定書が多く収録されています。
光栄なことに、私の刑事裁判における先生の鑑定書も2章17ペー
ジにわたって収録されました。
控訴審(高裁)と上告審(最高裁)のために書いて下さった2通
の鑑定意見書です。
第一審で有罪とされた別件(本件は無罪でした)に関するもので、
「本件(山根注、有罪とされた別件のことです)は、税法および税法
学への無知から生じた不幸な事件である。本件には法人税法159
条違反として刑事責任を問われねばならない事実はまったく存在し
ない。被告人(山根注、私のことです)を有罪とすることは誰の目
から見ても疑いもなく冤罪である。検察官および原審裁判官の無知
がきびしく問われねばならない。原判決は破棄されねばならない。
そうでなければ、著しく正義に反する。」
(同書、P.544~P.545)
と断じて下さったものです。
結果的には、先生の心からのご尽力にも拘らず一審有罪の判決が
くつがえることなく確定しましたが、私としては、日本の税法学の
第一人者と目されている北野弘久博士に冤罪であると認定していた
だき、その上に、このような学術書にまで多くのページを割いて収
録していただいたことで満足感以上のものを感じています。
尚、私の事案は、税法学の基本的教科書とされている先生の「税
法学原論」(第五版)の中でも引用していただいています。(同書、
P.510~P.511)
この「税法学原論」は1984年に初版が刊行されて以来、私の
仕事の上でのバイブル的な存在であっただけに、2003年に刊行
された第五版において私の事例を追加して引用していただいたこと
は感激であり、誠に光栄なことでした。
私は、30年前に会計事務所を開設して以来一貫して納税者の立
場に立ち、税務当局に対して厳しく対峙してきました。
その間、私を精神的に支えたのが、北野税法学であり、北野先生
の“質問検査権の法理”でした。これは、「税法学原論」において、
第22章税務調査権として集大成されているところです。
税務当局が傲岸不遜な態度を示し、理に合わない不当なことを押
し付けようとするたびに、先生の「質問検査権の法理」を繰り返し
熟読したことをまるで昨日のことのように想い出します。
まさに私の税理士人生(会計士人生といってもいいでしょう)は、
北野弘久博士という碩学の凛然かつ毅然とした姿勢に導かれたもの
でした。
3年間の執行猶予中は、税理士と会計士の資格が停止されていま
すが、既に2年が経過しました。1年後には資格が復活しますので、
気持ちを新たにして北野先生の末端に連なる弟子の一人として納税
者の権利を守るために再び税務当局に毅然と立ち向かっていくつも
りでいます。
―― ―― ―― ―― ――
北野先生の著書は、税理士・公認会計士・弁護士などの専門家だ
けでなく、会社の経理・総務担当者にとっても心強い味方になるも
のです。
税金とは何か、税務調査とは何かについて理論的に分かり易く解
明されている名著であり、実務の現場で必ずや役に立つものと信じ
ます。
北野弘久著「税法問題事例研究」(勁草書房) 2005年9月20日刊行
北野弘久著「税法学原論 [第五版]」(青林書院) 2003年6月25日刊行
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北野先生のご紹介 (著書における紹介文より抜粋します)
◎北野 弘久(きたの ひろひさ)
1931年富山県富山市生まれ。
[最終学歴]
早稲田大学大学院法学研究科憲法専攻終了。
[専攻]
税財政法・憲法。
[主要経歴]
大蔵省主税局・国税庁勤務後、1960年に学界へ。東京大学社
会科学研究所講師、日本大学法学部専任講師、助教授、教授。日本
大学比較法研究所長。2001年に日本大学を定年退職。現在、日
本大学名誉教授・法学博士・税理士・弁護士。中国・北京大学客座
教授。中国・西南政法大学名誉教授。
国会参考人15回、法廷等での鑑定証言等約400回。租税犯罪、
地方税財政、租税の使途問題への助言も多数。
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