060 控訴趣意書
- 2004.11.16
- 冤罪を創る人々
****2)控訴審
*****(ア)控訴趣意書
一、 仮装売買による脱税(本件)に対して無罪を言い渡した第一審判決に対し、松江地方検察庁は控訴した。
平成11年12月20日、松江地方検察庁の検事栗原雄一は、広島高等裁判所の松江支部に宛てて、控訴の理由を控訴趣意書(平成11年(う)第28号)として提出した。
本文298ページに2つの別表が付された大部のものである。
二、 栗原雄一が作成した控訴趣意書は、さきに立石英生が作成した論告要旨と大同小異のものであった。同年12月28日、私は控訴趣意書を仔細に検討分析し、「検察側控訴趣意書に対する批判」と題する13ページの文書にまとめ、中村弁護人に手交した。控訴審の弁論に資するためである。
全体が支離滅裂な作文であることは論告要旨と同列であり、敢えて小異を挙げれば次のようになろう。
三、 立石英生は、私と組合の人達に対して悪口雑言の限りを尽くしたのに対して、栗原雄一は、それに加えて、本件について無罪判決を下した第一審の裁判官に対しても無能呼ばわりをし、悪態をついている。そのためであろうか、控訴趣意書は、論告要旨よりも50ページ程分量が多くなっている。
それにしても、この人達は悪口にかけては天性の才能を有しているようである。
四、 検事栗原雄一は、控訴趣意書の中で、複数の点において、原判決が認定してはいないことを認定していると嘘をついて平然としている。
日本語をまともに読むことができないのであろうか。この人には、義務教育の綴り方教室で、もう一度日本語の勉強をしてもらわなければいけないようだ。
五、 栗原雄一が、実質課税の原則は行政裁判において一般に承認されているほか、刑事裁判においても確定されているなどと事実に反する勝手な主張をしているのは立石英生と同断であるが、立石の場合、仮装だ、架空だといっている手前、余り前面に出していなかったのである。
つまり、仮に、仮装売買でなかったとしても、実質課税の原則からすれば、犯罪を構成し脱税であると主張している訳で、第一審においては、「仮装売買でなかったとしても」というような、いわば一歩引いた主張は余り強調したくなかったのであろう。
実質課税の原則は、租税回避行為を防止するための徴税の論理であり、このような徴税の論理によって脱税という犯罪が成立することは、ありえないのである。
脱税(タックス・イヴェイジョン)と租税回避行為(タックス・アヴォイダンス)とは明確に区別されており、わが国には、脱税を罰する法律はあるが、租税回避行為を罰する法律は存在しない。
罪刑法定主義を定める日本国憲法のもとでは、栗原雄一が主張する独自の見解は、ナンセンス以外の何ものでもない。
この人物は、本当に司法試験に合格しているのであろうか、疑わしい限りである。
六、 栗原雄一は、更に驚くべき論法を持ち出し、何が何でも無罪判決を覆し、有罪に持ち込もうと画策した。暴論である。
組合は、利益を繰り延べるために、租税特別措置法に定める特例制度を活用した。圧縮記帳といわれるものである。
組合は、この特例制度を利用して、16億5千万円の不動産を取得したのであるが、この不動産を取得したこと自体が、特例制度の趣旨に反しており、従って不正行為と認定できるなどと、とんでもないことを主張しはじめたのである。
栗原はこの特例制度の趣旨に反していることについて、微に入り細にわたって駄言を弄している。検察官は税法は苦手のようであるので、全てマルサの入れ知恵であろう。第一審の無罪判決にあわてた広島国税局が大木洋と藤原孝行の二人を急ぎ本局に戻し、控訴審にあたらせているからだ。「第二章 マルサ事案の概要と結末」の「3.一審判決」で述べたとおりである。
七、 そもそも、税法の立法趣旨に反しているというのならば、行政上の課税処分をすればよいだけのことであり、国税当局と違う解釈をして申告を行ったからといって、脱税という犯罪が成立することなどありえないのである。罪刑法定主義の建前から当然のことである。実質課税の原則を持ち出してみたり、立法趣旨を持ち出してみたり、なんとも忙しいことである。
この人は、もう一度予備校にでも戻って、憲法をはじめとする基本法の学習をする必要がありそうである。