040 永田嘉輝
- 2004.08.10
- 冤罪を創る人々
****5)永田嘉輝
一、 大木洋の後任。平成6年7月、広島国税局調査査察部第三部門統括国税査察官。検察庁への告発書類を決裁した人物。平成15年、税理士登録。現在は岡山市で税理士事務所をかまえている。
二、 平成6年12月16日、午前10時54分、永田嘉輝に架電。
永田曰く、『今までの話、いろいろ聞いております。調査に協力いただけてない。部下を馬鹿野郎呼ばわりするような方とは、一切話したくないので電話を切ります。』
三、 確かに、私は、前日の12月15日に、藤原孝行に電話で厳重に抗議をし、その際、藤原に対して、「君達マルサはドロボーか強盗だね。」と申し向けたのは事実である。バカヤローなどという品のないマルサ用語など決して発してはいない。いや、ひょっとしたら売り言葉に買い言葉で、バカヤロー位のことは口走ったのかもしれない。
私は、自分のことを一度も品のいい紳士だと思ったことはない。ただ、マルサの人達ほどひどくはないと思っているだけだ。
四、 永田は、私に一切話をさせずに、怒気を含んだ声で、一方的にまくしたて、電話を切った。その間わずか25秒であった。
その後、私が何回電話しても、電話口に出ようとはしなかった。私が永田嘉輝と話をした、というより永田が一方的に怒鳴りまくったこの25秒間が、私と永田との直接の唯一の接点であり、その後、永田はマルサの伏魔殿から出てこようとはしなかった。
五、 平成8年1月26日、私が検察庁に逮捕された日に、永田は、検察官中島行博らと共に私の自宅に赴き、家宅捜索を行なった。今の時点で永田嘉輝が作成した差押え目録を改めて点検してみると、94点が記載されており、よくぞこんなものまでといった物品のオンパレードである。大木洋の後任の責任者である永田としたら、ようやく検察を騙して私を逮捕させることができたのであるから、喜び勇んで、憎さも憎い山根の自宅に乗り込んで、差押えという名のもとに、手当り次第にさらっていったのであろう。
その11日後の同年3月6日に、永田は、藤原孝行を告発人とした告発書類を、査察第三部門統括査察官として決裁した。