司馬遼太郎と空海 -その4

 タライ回しにされた蝦夷の人達にしたら、いい迷惑だったのでしょうね。この人達は、なにも好きこのんで故郷である東国を後にしたわけではなく、ヤマト朝廷に反旗をひるがえさないための、いわば人質として強制的に連れてこられたわけですから。

 

 ともあれ、このように強制移住させられた蝦夷の人達が、”五国(いつくに)の佐伯部(さへきべ)の祖(おや)なり。”
(五ヶ国の佐伯部の先祖である。) と、日本書紀は伝えています。

 尚、作家は佐伯(さへき)について、蝦夷たちが、異語をつかっていたため騒(さえ)ぐように聞こえることから、佐伯とは言騒(ことさえ)ぐ”さへぎ”のことであろうと述べていますが、どうでしょうか。

 作家は、当然のように、”騒(さえ)ぐ”とか、”言騒(ことさえ)ぐ”という言葉を用いています。少し気になりましたので、私の乏しい手持ちの資料をひっくり返して調べてみたのですが、日本の古代において、騒ぐことを”サエグ”あるいは”サエク”とした例を見つけることはできませんでした。現代と同じサワグ(サワク)はたくさん出てくるのですが。

 少なくとも日本書紀の古訓の中には見当たりませんし、万葉集の中にも用例はないようです。

 サヘキは、岩波の古語辞典によれば、サヘ(障)キ(者)の意か、とされ、朝廷の命を妨害し反抗する者とされています。用例として、”山のサヘキ、野のサヘキありき。あまねく土窟(つちむろ)を掘り置きて、常に穴に住み(常陸風土記)”が挙げられています。

 また、万葉集には、サヘグあるいはサヘクの用例はなく、コトを頭に付したコトサヘク(言佐敝久)の用例が2つだけ(歌番号135番と同199番)あります(萬葉集総索引-単語篇、正宗敦夫編、平凡社)。

 これらによれば、サヘクとは、日本の古代において、「妨害する、障害になる」という意味合いで用いられていたようで、従って、佐伯(サヘキ)とは、「ミカドに抵抗し逆らった者達」ということだったのでしょう。

 もとより作家は博覧強記の人でしたから、以上のことは十分に承知の上で、小説の流れの上で敢えて牽強附会の説ともいえるものを持ち込んだのではないでしょうか。

 いずれにせよ、空海が、佐伯氏であり、そのルーツを辿ってみれば、被征服民である蝦夷であったとする作家の推断は、私のように「日本書紀」を座右の書としているものにとっては、興味深い指摘であり、十二分に説得力のあるものでした。

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